オープニング(op)で5人を出すのは4人を出すより少し難しいかも

 実は『うぽって!!』のステマです。
うぽって!!
 メインキャラ4人の出し方(捌き方)って、『ゆるゆり』と似てるよね?
ゆるゆり
 個人的にはアニメ『ゆるゆり』のop、前半定石通りにやって、後半フリーダムなところがいいよね。ラストの1-2-4人になってくところなんかいい感じです。
 もっと頑張っちゃってるアニメopはこれ。
探偵オペラ ミルキィホームズ
 ココロちゃんとアルセーヌ及びその周辺も出さないんで大変なんだけど、基本音楽って「4回までは繰り返してもいい」みたいなんで4人メインキャラだと割とうまく出来る。
 ところが、4人じゃなくて5人出てくるアニメのopは難しいんだこれが! これなんか、一人余ってね?
ロウきゅーぶ!
 こう、キャラの名前&ソロで歌わせるところのカットなんか、すげえエロゲアニメっぽいです…。
 メジャーな5人組のアニメ。これも1人余ってないかな?
けいおん!!
 これなんかもちょっと5人で大変な例。「1.2.3.4.プリキュア4」にすればいいんだけど、2+3の出し方になってるよね。
Yes! プリキュア5
 で、どうするかという解決方法の一つとして、5人出すのはあきらめて、6人にする!
咲-saki-阿知賀編OPパロ 比較してみた
 1期だと宮永照、2期だと赤土晴絵まぜて合わせてる。
 エロゲアニメ系opで5人とか探す。これけっこう好きでした。でもエロゲアニメ的にキャラ見せるの諦めてるね…。
Shuffle!
 こんなのはどうかな? 2+1+2、2+2+1とかでキャラを出してる例。タイトルのところ(5人が歩いてるところ)は、尺足らずのところを、ちょっと近づいて撮ったカットでうまく処理してる。
とらドラ!
 これもうまく捌いてるな、と思った5人組の例。
スマイルプリキュア!
「スマイル! スマイル! プリキュア! 一緒に! !」で3人出して、
「スマイル! スマイル! プリキュア! 明日へJump! (Shine!)」では残りの2人+全員が走る後ろ姿。
 ラストは「スマイル! スマイル! スマイル! スマイル! スマイルプリキュア!」で無理がない。ヒロインちょっと多めですね。
 11人いるとどうやって出したらいいか分からなくなる。まあこれはペアで出せるんで。
ストライクウィッチーズ 1期

なんで敵は「右」から来るの?

 これは以下のメモの続きです。
なぜ舞台・映画・アニメのキャラクターは「右から左」へ動くの?
アニメ『氷菓』を舞台化するなら、古典部の部室はこうするしかない(opの絵はおかしい)
 
 参考動画。
ゴジラ(1954) 予告編 [GODZILLA] 1080p HD BD trailer - YouTube
 なんか、基本ゴジラ右から左へ動いてませんですかね? 右から飛行機来るシーンもある(あと有名なのは国会議事堂のシーンとか、隅田川のところとか、高圧電線のところとか、けっこう「右を向いてる」ゴジラはあります)けど、予告映像ではだいたいゴジラは左を向いている。群衆が左から右へ逃げてるの見ると「そっちはゴジラがいる方だろ!」と思う。
 で、こんな仮説を立てて見る。参考動画。
飛龍奮戦ス(ミッドウェー海戦) - YouTube
 日本=左、アメリカ=右。
 ところが、欧州だと、
Me163 VS B-17 - YouTube
 連合軍=左、ドイツ=右。笑。
 実写及びそれを再現したものだと、右から左へ飛ぶドイツの飛行機もありますが。
Me 163 Komet - YouTube
 で、日本が中国を攻める時は、ゼロ戦右から左へ飛ぶ?
実録 ゼロ戦の勇姿 - YouTube
 まあこれは南側から撮らないと北半球の場合は逆光になる、という撮影上の都合だとは思いますが、世界地図の通りですかね。
 で…多分アメリカ人も日本人もイギリス人も、基本右側が敵なんだよ。ひょっとしたら多分ドイツも
 要するに、日本人にとってゴジラアメリアメリカ人にとってゴジラはドイツ。
 おまけの参考動画。素人がイマジナリー・ラインとか光の当たり具合とかあまり考えないで動画作ると多分こんな感じになる。敵・味方、右・左ごっちゃですね…。
RABAUL [IL-2] - YouTube
 それに対して、映画『ロッキー2』の、路上走行シーンなんですが…走る方向がしょっちゅう入れ替わっていて、本当だと「?」になるはずのところを、うまく正面・背後動画入れてる感じ。
Rocky Runs Up The Stairs -- ORIGINAL - YouTube

アニメ『氷菓』を舞台化するなら、古典部の部室はこうするしかない(opの絵はおかしい)

 これは以下のメモの続きです。
なぜ舞台・映画・アニメのキャラクターは「右から左」へ動くの?
 俺は富野由悠季『映像の原則』で語られている上手・下手(かみて・しもて)の理論は、演劇空間とか宇宙空間のように虚構性の強い場面作りには意味あると思うんだけど、街頭ロケ撮影実写やそれに近いアニメの場合は、照明・道路規制の問題があって理論通りにはいかないんじゃないかと思う。逆に言うと、理論を通そうと思うと不自然になる。
 例えば現在放映中のアニメ『アクセル・ワールド』、9話だとハルユキの家にニコがいて、黒雪姫と対決(?)するわけだけど、これ、右に黒雪姫、左にニコになったのは、部屋の構造(入り口とモニターの位置)に由来していて、演劇空間のためではないと思う。
 アニメ『アクセル・ワールド』、ゲーム空間では多分演劇的上手・下手(かみて・しもて)手法を使ってると思うんだけど(分析しきれてない。主人公は左で最初戦って右に移動→勝利、みたいな感じ?)、実在空間では、車を右側通行にするわけにはいかなかったりするし。
 …とか言ってたら、アニメ『けいおん!』では、叡山電車が堂々と右側通行してる、という情報をいただきました(@manrikiさんどうもありがとうございます)。これ、演出的にどういう意味があるのかさっぱり分からない。
 とはいえ、たとえば学校の中は普通右側通行で、通路が北側といういう構造をしているから、窓を背景にして左から右へ歩いている子の「前」(手前)を、右から左へ走る子は、渡り通路以外にはあり得ない、と思う。左から右へ歩く子の「奥」を右から左へ走る、と思う(想像してみて)。廊下で出会う、というのは、涼宮ハルヒ・シリーズの鶴屋さんぐらいしか思いつかない…。
 し、しかし『氷菓』7話「正体見たり」では、温泉に向かうえると奉太郎が左側通行してますね…もう、京都アニメーション…。
 で、今日は「席(座り方)」の話。『とらドラ!』の川嶋亜美初登場のファミレスのシーンとか、『涼宮ハルヒの消失』とか思いつくけど、資料ない。
 
 上手・下手の演出とは関係ないけど、アニメ『氷菓』のop。
氷菓 OP - YouTube

 最初はこんな感じ。(場面1)
      B
      壁
     空席  空席
A 窓   机       出入り口 C
     える  空席
      仕切り
      D
 
 それが、3人が入ってくると、こうなる。(場面2)
      B
      壁
     奉太郎  える
A 窓   机       出入り口 C
     里志   摩耶花
      仕切り
      D
 えるさん、奥の席ゆずってますね?
 で、次の部室の場面ではこうなって、(場面3)
      B
      壁
     摩耶花   里志
A 窓   机       出入り口 C
     える(空席)奉太郎
      仕切り
      D
 となって、えるが出入り口から入ってきて、奉太郎を引っ張る。
 いろいろおかしい
 …こいつら、部室の席どこにするか決めてないんですかね? 毎日変えてたほうが新鮮ですけど…。早く来た人が出入り口から見て左奥に座るとか? 「場面2」の座り方は、「行きましょう、折木さん!」と、何かあったらえるが事件の現場に奉太郎を連れてく気満々ですね!
 正しい並びかたは、多分これ。6話「大罪を犯す」から。机を隔てないと、えると奉太郎の距離が近すぎてしょうがない
      B
      壁
     える  里志
A 窓   机       出入り口 C
     奉太郎 摩耶花
      仕切り
      D
 しかし実写・アニメのずるいところは、ABCDどこにカメラを置いても大丈夫なとこですね(照明とか手間を考えると、アニメのほうが自由度高いかもしれない)。このまま舞台にしたら、登場人物4人のうち2人が常に背中だけ、という、とても難しい演出になってしまう。出入り口は右か左かに設けるしかないよね? まあ世の中には『12人の怒れる男』の舞台化なんてあったわけで。
     背景
   ABCDEF
   GHIJKL
     客席
 椅子を動かしたり、役者を立たせたりして、芝居にはなりますですがね…。
 俺が古典部の部室を舞台にするなら、多分こんな感じにする。

          b
         背景

         里      摩
         志      耶
                花
a 出入り口      机       (使用しない) c
         え      奉
         る      太
                郎

         客席
          d

 つまり、舞台としては「B」視点と「A」視点を混ぜるえる・里志が右を向いていて、奉太郎・摩耶花が左を向いているように机を並べる。
 これだと、えると奉太郎の間に机があって、なおかつ「行きましょう、折木さん!」と、机の前を回って(客席側を通って)えるが誘える。さらに、摩耶花の「足ぶらんぶらん」が右側の客席から見えてお得だ!
 
 これは以下のメモに続きます。
なんで敵は「右」から来るの?

なぜ舞台・映画・アニメのキャラクターは「右から左」へ動くの?

 富野由悠季『映像の法則―ビギナーからプロまでのコンテ主義』から。p55

 当たり前の感覚でいえば、上に見えるものは大きいし、“上位のもの”と感じることもできます。上からくる(見えてくる)ものは“強いもの”とも感じられます。
 下からのものは、その逆の印象づけをしてくれます。
 それと同じようなことで、右と左ではどちらが“上か下か?”という問題も、先に書いたように、右に見えるものが上位で、左に見えるものが下位となります。
 強いものは、右から出てきますし、右から左に動いているように展開されたほうが正確につたわります。同時に、自然な流れ、当たり前の流れに見えますし、左から右に動くものよりも、短い時間間隔でとらえられます。

 いろいろな演出方法として「右から左が自然」ということになっているようですが(ゲームはちょっと不明)、
演出のルールを知るとアニメはもっと楽しくなる!! - アニメな日々、漫画な月日
とある科学の超電磁砲 OPの演出の解説 一貫性のある正負の方向 - karimikarimi
ゲームの右と左 マリオはなぜ右を向いているのか - 最終防衛ライン2
物語の進行方向について(日本漫画のメリットとか):島国大和のド畜生
 もっと単純に考えてもいいのでは、というのがぼくの今日の考え。
 映画の場合。
イージーライダー「ワイルドで行こう」 - YouTube
 多分バイクで走る映画としては世界一有名な映画だと思うけど、冒頭、バイクは右から左へ走ってますよね? これ、強いから? ぼくの考えでは、車は右側通行のアメリカでは、カメラがそっちのほうに置きやすかったから。バイクが左走って、カメラが右側から撮ったら、道路交通法(ってアメリカにあるかしらないけど)違反になっちゃう。
 で、最後のほう、モーテルに泊まろうと思って日の暮れた道を走る二人のバイクは左から右へ走ってますよね? これはモーテルに意味を持たせたかったからかな?
 ネットで見られるかどうか不明なんですが、このあとこの二人は何回か左から右へと走りますが、それはたとえば、
・明らかに左側走ってる(交通違反かどうかは不明)
・林の中の子供の視線
・カメラ道路わきに固定で、道路の進行方向左側にあるガソリンスタンドに寄る二人を撮る
 などがあります。その他どういう場面でも、まあだいたいカメラの都合だと考えていれば間違いない。
 日本で「バイクに乗ってる人」を撮ろうとすると、「左から右」の向きになります。そのほうが景色が普通に見える。
 こんな感じ。
Sportster xl1200l Female rider encounter - YouTube
 日本映画だと、車は左側通行なんで、左から右へ走るのがほとんどのはず。そのほうが撮りやすいから
 同じ理由で、電車だと東海道線の上りは左から右、下りは右から左へ流れる(追記:よく考えたら上り・下りとも左側通行の路線外から撮るんで「右から左」だった。上りは海が背景、下りは山が背景)。
 具体的な例を探そうと思って黒澤明『天国と地獄』見たら、下りの「特急こだま」が左から右へ走っていて驚いた。えーと…そのあと、河原に残された子供を助けに刑事さんたちが土手を、左から右へ走る車で助けに行きます。
【とある科学の超電磁砲】 -OP fripSide only my railgun 歌詞付き - YouTube
 電車の「右から左」移動は、これ、舞台が東京の西側なんで、西から東(上り)ですかね? 太陽を正面にしてる。映画ではあまりそういう撮り方しないと思うけど。で、美琴の太陽の当たり具合だと、上り電車の南側の窓。対向電車来たらどうするのかは不明です。
 ちなみに新opだと、車が左走行→カーブを右側に走行車線越えてストップ→(左ハンドルの車の)右側の助手席に座っていた女の子が降りる、という、実写でやったらいろいろ問題になりそうなことやってます。
 多分たいていの日本のアニメでは、人は(右側通行なんで)道を歩いている絵は右から左へ動きますですな。そこまで実写的風景にこだわらなくてもいいと思うんだけれど、人間の目はそれに慣れてるのかな? 多分『映画 けいおん!』もイギリス右側通行なんで、日本と同じセンスで撮ってた気がする。
 車が右から左へ動く日本の例もないことはないです。車で送り迎えされているお嬢様が、校門の前で車から降りるシーン(お嬢様は後部座席)。
 もうちょっと分かりやすいところだと、『魔法少女まどか☆マギカ』の1話とかどうかな? 冒頭、夢の中でまどかが右から左へ進むのは、多分右が手前で左が奥、という人間の感覚があるからだと思うけど、ほのかが教室に入って来るシーンはなぜ右から左かというと、多分たいていの教室は向かって右に出入り口があるんで、左から右のシーンを描くと教室の人たちを描かなければならない(黒板上にカメラを置く感覚)んで面倒くさいからとか? まあその後、保健室に二人が行くシーンでは、右から左へ動くまどか・ほのかを見ている学校の人たち写してますですが…。
映画「陸軍」 ラストシーン - YouTube
 日本映画史上屈指の名場面だと私的には思っている、木下恵介の映画『陸軍』ラストシーンです。注目したいのは5分以降の人の動き。軍隊の行進は基本右→左なんで、それを見ている群集&田中絹代の動きは左から右になるんですけど、これ、別に田中絹代が右から左へ動く絵でもよくね? とか思いませんか。ぼくは単純に、自然光の関係でカメラが太陽を背にして田中絹代を撮りたいから(顔の影が彼女に出ないようにしたいから)と思ったんですが、違うですかね? その前の、橋のほうへ走っていく田中絹代&群集は、右から左へ走ってます。
 要するに、実写撮影の「右から左」「左から右」ってのは撮影上の都合というのが、演出と同じぐらいあるのでは? という話。アニメの場合だって、左から右へ動かすときには「路上」ではなく「歩道上の、より道路より遠い側」を撮るのは、画面的に面倒な上にあまり意味がないからかも。
 とりあえず、「左から右」への場面としては、どの程度有名か不明ですが、同じ木下恵介二十四の瞳』の、高松港の堤防沿いの道を泣きながら歩く少女の演出を推しておきたいです。みんな見て! 左側通行だけど
 で、舞台の話なんだけど(ここまでは序論です)。
 当然のことながら、映画・アニメより以前に芝居というものがあって、西洋には「上手(かみて)」「下手(しもて)」の概念があり、西洋演劇と共に日本にもその作劇術が伝わってきたわけですが、日本古来の芝居にはそんなものはありません。ほとんどの演劇において、役者は左から出て右に座ったり、右側にある舞台で芝居する。能においては「橋懸り」という奴ですかね?
 参考動画。
勧進帳 - YouTube
 西洋だとこんな感じ? もっといい例があるかな?
新国立劇場バレエ 3分でわかる白鳥の湖 - YouTube
 なんでそうなったか、つまり「上手」「下手」ができたかというと…座席の右側の人(舞台から見て左側の人)によりよく見てもらいたいため。なぜそうかというと、右側の人のほうが左側の人よりえらいから
 なんで右側の人のほうがえらいかというと、多分戦争と関係がある。攻めるときは必ず右側から攻める。右側に大将いないと駄目だよね? で、敵のほうは向かって左から攻めてくるんで、巴形になったり(昔の戦争の場合です)。
 
 適当にまとめると、
1・芝居の右側が上手なのは、えらい人に見せるため
2・映画で右から左に流すのは、多分撮影都合上の問題
3・アニメも多分手間暇の問題。あと映画に目が慣れている人のため
4・右が手前、左が奥に感じられるのは、人間の心理的にあるかもしれない
(ただし例外はいくらでもあると思う)
 
魔法少女まどか☆マギカ』に限らないけど、戦闘シーンのあるアニメ、どっち向きで戦っているか考えながら見ると面白いかもです。あと西部劇
 

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

 
 なお、なぜグランドピアノが下手に置かれるかというと、フタの向き考えてみるといいですね。逆向きだとうまく響かないだろ! なんでグランドピアノの右側が開くかというと…左側開けるようにするのは大変だから
 
 これは以下のメモに続きます。
アニメ『氷菓』を舞台化するなら、古典部の部室はこうするしかない(opの絵はおかしい)
なんで敵は「右」から来るの?

映画『ヒトラー〜最期の12日間〜』の某人物の台詞について(「低気温のエクスタシーbyはなゆー」関連)

 こういうブログがあります。
低気温のエクスタシーbyはなゆー
 まあだいたい、24時間以内に「Togetter」でデマ認定されてしまうような情報をコピペ→拡散している、俺にとってはノイズを増やしているだけの迷惑極まりないブログです。
PKAnzug氏による検証 『福島県の子供の病死者数が増えている』? - Togetter
 
 で、2012年5月25日現在「低気温のエクスタシーbyはなゆー」の冒頭には、以下のテキストがあります。

映画「ヒトラー最期の12日間」より: 「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは、平然と「国民の自業自得(自己責任)」だとうそぶく。「(ドイツ)国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ」

 それに対して、以下のような指摘があります。
https://twitter.com/MyoyoShinnyo/status/205503245089648640

福島県の子供の病死者数が増えている」と煽っている(?)「低気温のエクスタシーbyはなゆー」というHP、トップに「ヒトラー最期の12日間」の台詞が引用されてるんだけど、それは映画でも史実でもヒトラーでなくゲッベルスの台詞である事を考えると、ソースを確認しない人なんだってことは判る
MyoyoShinnyo(こなたま)

 本当だったらもうこれRTしておしまいにしてもいい(情報源としてこっち関係のこなたまさんは更にソースを探す必要はあまりない気がする)んですが、それだと俺もソースを確認しない人になってしまうので、とりあえず映画『ヒトラー〜最期の12日間〜』と、本『ヒトラー最期の12日間』(ヨアヒム・フェスト、鈴木直・訳、岩波書店、2005年)を確認しました
 映画は52分あたりから。ゲッベルスの台詞(字幕)

ゲッベルス「モーンケ、何だ」
モーンケ「市民軍は敵の餌食です。経験も装備も乏しくて」
ゲッベルス「その不足は彼らの熱烈な勝利への執念が埋める」
モーンケ「武器がなければ戦えません。犬死にです」
ゲッベルス「同情しないね。同情など感じない。彼らが選んだ運命だ。驚く者もいようが----我々は国民に強制はしてない。彼らが我々に委ねたのだ。自業自得さ

 1時間11分あたり。

ヒトラー「死ぬのは難しくない。ほんの一瞬だ。そして後は永遠の平安」
シュペーア「国民はご容赦を」
ヒトラー「わが国民が試練に負けても、私は涙など流さん。それに値しない。彼らが選んだ運命だ。自業自得だろう

「自業自得」って、同じ台詞二人が言ってますですかね?
 DVDなんで、映画公開時とは字幕違うかもしれない。あとドイツ語字幕ついてないんで本当は何て言ってるのかよく分からない。
 本のほうはこんな感じ。『ヒトラー最期の12日間』p63-65

 ゲッベルスは、窓に厚紙を打ち付けた執務室で、ロウソクの光をたよりに新聞報道のための最後の会見をおこない、偉大なる計画が挫折したすべての責任は将校団、および危機にあおられて身内の結束に走った彼らの「反応」にあったと非難した。ゲッベルスは長広舌をふるい、将校団が平時のころからすでに軍備を怠り、フランスとソ連に対する戦闘では決断を誤り、連合軍の侵攻中には役に立たず、ついには七月二〇日[国軍将校団によるヒトラー暗殺未遂事件]にまでいたったことをあげつらい、旧特権階級は再三再四、「裏切り」だけをおこなってきたと断言した。
 これに対してゲッベルス配下の官吏ハンス・フィリッチェ部長は「しかし、国民が示してきた忠誠、信念、献身的態度は無視してはなりません」と異議をとなえた。そのとき、普段はつねに計算高く慎重に言葉を選ぶこの宣伝相が、国民も腰抜けだったと、はき出すように言った。
「自分の妻が強姦されるというのに、男たちがもはや戦おうとすらしない国民相手に、いったい何ができるというのかね」と、ゲッベルスは怒りをぶつけた。
「その国民は今、東部戦線では逃亡し、西部戦線では白旗を振って敵を迎えている」と彼は「憤怒で顔を真っ赤にして」叫んだ。自分は、国民に同情はしない。国民がみずからこの運命を選択したのであれば、なおのことだ。一九三三年、ドイツの国際連盟脱退の是非を問う国民投票が行われた時、国民は自由投票によって隷属の政治を捨て、果敢な挑戦の政治を選ぶ決断をした[この投票では四五〇〇万人の有権者の九五%が脱退に賛成したとされる]。その挑戦が今や挫折したのだ。こう述べるとゲッベルスは席から立ち上がって、つけくわえた。
「確かにこのことは少なからぬ人々にとって驚きだろう。……しかし思い違いをしないでもらいたい。われわれはドイツ国民に無理強いしてきたわけではない。同じように私はいかなる人間に対しても、自分の部下になるよう無理強いした覚えはない。国民が自分の方からわれわれに委任したのだ。……つまりは自業自得ということだ」。
 ゲッベルスは立ち去りながら、ほとんどドアに近いところでもう一度振り返り、部屋の中に向かって叫んだ。
「しかしわれわれが退場するときには、世界が震撼するだろう」。

 …「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」との関連は見出せなかったですが?
 シュペーアの記録(証言)を確認したいんだけど、今回は、ドイツ語の資料・史料見て(読んで)ないのでいい加減ですが、「ソースが映画」だったらこの程度でいいかな。いずれにしても「国民が地獄を味わうのは当然の義務」という言葉は確認できなかった。
 
 一応公平に書くと、
1・映画『ヒトラー〜最期の12日間〜』で、モーンケの「市民軍を何とかして」というお願いに、ゲッベルスは日本語字幕上では「自業自得」と言っている。
2・同じく映画『ヒトラー〜最期の12日間〜』で、シュペーアの「ベルリン市民を脱出させるべき」的進言に、ヒトラーは日本語字幕上では「自業自得」と言っている。
3・「国民が地獄を味わうのは当然の義務」という言は確認できなかった(別の史料当たれば見られるかもしれない)。
4・本『ヒトラー最期の12日間』(ヨアヒム・フェスト、鈴木直・訳、岩波書店、2005年)では、ゲッベルスの言葉は確認できるが、多分「ベルリン市民」の話ではない
5・多分この件に関しては、「低気温のエクスタシーbyはなゆー」は、トップページを

映画「ヒトラー〜最期の12日間〜」より: 「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」的なシュペーアの進言を退けたヒトラーは、「国民の自業自得(自己責任)」だと言う。「わが国民が試練に負けても、私は涙など流さん。それに値しない。彼らが選んだ運命だ。自業自得だろう」

 ぐらいに直せば、「ヒトラーの台詞」として問題はない気がする(ただし「映画」の中の話なんで、史実は未確認)。
6・要するに、こなたま氏は記憶違い、はなゆー氏は盛りすぎな気がする。
7・引き続き誰も信用しない
 
 ということで…どんなもんですかね、@MyoyoShinnyo(こなたま)さん?
  
(2012年5月26日追記)
 @MyoyoShinnyo(こなたま)さんさんから連絡をいただきました。
https://twitter.com/MyoyoShinnyo/status/206183477329137664

おーっ、そうだ!そういえばシュペーアとの会話で言ってた気がする。

https://twitter.com/MyoyoShinnyo/status/206185563190071299

独語版DVDは引っ張り出すのめんどくさいので日本語版で確認した。というわけで、これ http://bit.ly/KJ3pYE は私が映画でのヒトラーシュペーアとの会見のシーンを完全に失念、意識の端にすら上げていなかったがためのミスです。

https://twitter.com/MyoyoShinnyo/status/206185983480299520

ベルリン戦での「自分たちを選んだ自業自得」発言はゲッベルスのが有名なので、そのための思い込みでした。

 ということです。

サイト名を変えました

 数年ぶりに変えてみました。もうすでにとっくの昔に「日記」じゃなくなってるんで。
「愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)」
 ラテン語が気になる人は以下のテキストなど見てね。
引用テキストの多いぼくの日記でカエサルの「人は自分の見たいものしか見ない」という話をしてみるよ
カエサル『ガリア戦記』から引用2つ
 某アニメの影響は…少しある。
 

記者会見では質問ではなく演説するので有名な朝日新聞の本田雅和記者が2012年4月から福島総局になったそうです

 ウィキペディアがソースですが。
本田雅和 - Wikipedia

2010年9月に夕張を去り、同年10月から札幌で勤務。2012年4月から福島市の福島総局に勤務している
(中略)
2007年4月から北海道報道センターに転属となり、記者として復活。夕張支局で勤務していたが、『北海道新聞』が財政再建に向けた夕張市の取り組みをスクープすると、その都度市役所の担当部署に怒鳴り込み、記者同士の飲み会でも「あの記事は何だ」と他の記者に文句をつけてエキセントリックになることがしばしばあると報じられた。また、夕張市長の記者会見では質問者としての立場を超え延々と自説を開陳し、他の記者の質問時間を奪うなどの行動が災いして夕張の記者クラブを分裂させるに至ったともいう(本田は、記者会見で、長時間の質問をする事が多い)。

 ニューヨーク・タイムズのノリミツ・オーニシ記者と並んで、独自の視点から記事を書くことで有名な朝日新聞本田雅和記者ですね。
 こんな記事なんて、本田さん臭がちょっとします。
朝日新聞デジタル:民衆裁判で原発事故は「予見可能」/郡山-マイタウン福島

民衆裁判で原発事故は「予見可能」/郡山
 
2012年05月21日
 
 ●東電幹部ら「有罪」、「人道に対する罪」に言及
 東京電力福島第一原発事故について、市民が自らの手で国と東京電力の刑事責任を追及した「原発を問う民衆法廷」。20日、郡山市であった「判決」公判では、大学教授らの判事団が国や東電の当時の幹部らに「有罪」を言い渡した。
 この日は、南相馬市の詩人若松丈太郎さん(76)、田村市の農家渡辺ミヨ子さん(70)ら4人も意見を述べた。若松さんは原発災害を「核災」と表現し「将来に禍根を残さないために、核災の原因者たちの犯罪を糾弾しなければならない」と訴えた。
 渡辺さんは現在、三春町で小学4年の孫娘ら家族5人で避難生活を送る。原発から25キロ離れた田村市都路町で、無農薬でナツハゼを育てて、ジャムやジュースにして販売していた。だが放射性セシウムで汚染されたため、売るのをやめた。
 時折、涙声になりながらも、「ウソで作り上げられた安心安全の中で、か弱い人たちは生きていけない。事故を起こした責任を認めて下さい」と述べた。
 また内部被曝(ひばく)の危険性を訴える大阪赤十字病院小児科医の山本英彦さんと、事故後、双葉郡ドキュメンタリー映画を撮影した映画監督の佐藤武光さんが証人となり、国や東電の対応を批判した。
 「被告」の弁護団を務めた弁護士3人の法廷助言者は、国や東電は「今回の事故は、予見することも、結果を回避することも不可能だった」と訴えて「無罪」を主張した。
 だが、判決はいずれも「可能だった」と判断。さらに今回の事故については「人道に対する罪も追求すべきだ」と付け加えた。
 
 ●「良心に従って」市民自らが判断
 
 福島第一原発事故に関し、政府と東京電力の刑事責任を市民の手で追及する「原発を問う民衆法廷」は国家による裁判ではない。このため法的拘束力はないが、法廷を担う弁護士と元判事による「検事団」や大学教授による「判事団」は、「あらゆる権力からの自由の下、良心に従って行動すること」を求められ、「そのことを通じて普遍性を獲得することを使命とする」とされている。
 民衆法廷ベトナム戦争における米軍の戦争犯罪を裁く「ラッセル・サルトル法廷」が始まりとされる。1960年代、哲学者バートランド・ラッセルや作家ジャン・ポール・サルトルが呼びかけ、国の枠組みの中では裁かれなかった国際法違反や人道に対する罪を市民が裁く手法として広がった。アフガン、イラク戦争についても国際的な市民の連帯の中で開催された。
 「被告の弁護人もいない一方的な人民裁判」との批判に対し、原発民衆法廷も被告の弁護役として日韓の弁護士3人を立てた。
 法廷実行委員会の伊藤成彦・中央大名誉教授(社会思想史)は「これまでの民衆法廷が戦争責任を問うてきたのに対し、原発を問うのは初めて」と語る。依然手探りの面はあるが、現実の司法制度でも原発事故の刑事責任を問う動きが出る中、「市民の手で先鞭(せんべん)を付けたい」との考えだ。

 なんか木下黄太さんと絡みそうな予感がすごくする。
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2012年05月10日(木)
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