冒頭での注意事項

なんかこのテキスト、嫌韓な人にリンクされたり言及されたりすることが多いみたいなので、念のため。
以下のテキストは、俺が単に「本当はどうだったのか」という興味があってまとめたもので、むやみに嫌韓・嫌在日コリアン感情を煽る目的で作成したものではありません。公開したテキストはどのように右寄り・左寄りのかたがたにイデオロギー的に言及されてもしかたないとは思います(あきらめてます)が、その点よろしくご配慮ください。
ただし「「関東大震災における虐殺された朝鮮人はいなかった」「関東大震災における朝鮮人虐殺は半島系の人の捏造である」と愛・蔵太(=俺)は言っている」のような誤読と、それに基づく言及はしないでください。そのような意図はありません。
関東大震災で虐殺された朝鮮人のかたがたのご冥福をお祈りします。

冒頭での注意事項・その2

この中のテキストには「関東大震災における虐殺された朝鮮人の数」については、その調査方法その他の面において疑問・疑念がある、というテーマや主張はありますが(それが朝鮮半島の人もしくはそれに類する人の捏造かどうかは、故意か無意識かデータの扱いに無知なのかは不明なのでよくわかりません)、「関東大震災における虐殺された朝鮮人はいなかった」「関東大震災における朝鮮人虐殺は半島系の人の捏造である」というテーマや主張はありません(そのような意図はありません)。
また、「関東大震災における虐殺された朝鮮人はいなかった」「関東大震災における朝鮮人虐殺は半島系の人の捏造である」とも書いてありませんし、それに類する隠喩・暗喩もありません。ないものがあるように見える人は、俺にとっては謎の人です。

関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(まとめ)

日記に書いたものを一つにまとめてみました。以後、この件に言及される際は、http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20020901にリンクを貼っておくと便利です。

(1)関東大震災と朝鮮人虐殺事件(2003年9月2日)

少しこれについて興味を持ったので、真相を調べてみたいと思います。特に「6000人」という虐殺の数は正確な情報なのかどうか(予告)。まぁ、数百人、あるいは数十人レベルでも虐殺があったとしたらそれは虐殺なので、その「6000」という数字はどこから、あるいはいつから出て来た数字なのか知りたいところ。まさか阪神大震災の被害者の数字に合わせて出て来た最近の数字ということはないと思いますが…。
ネットだと、だいたいこんな感じ。
↓〈関東大震災-朝鮮人虐殺から80年〉 今も残る民族差別、蔑視意識作り出す(朝鮮新報 2003.7.15)
http://www.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0715-00001.htm


犠牲者は約6600人と言われるが、日本政府はいまだに虐殺の事実認定すらしていない。
数字の根拠は不明。虐殺の事実認定というのはどのようなことかも不明なんですが、この数字を認めることが「認定」なんでしょうか。
関東大震災80年ミニパネル展示「描かれた朝鮮人虐殺」
http://www.40net.jp/~kourai/home/shinsai.htm

朝鮮人虐殺」については、虐殺された人数というもっとも基本的な歴史的事実さえ明確ではなく、公的発表の200余人説から、現在の研究史で常識といわれている6600人余まで、その犠牲者数には様々な説がある。
これも資料・史料の名が明記していないので「現在の研究史で常識といわれている」といわれても、それは誰による研究史なのか不明。
関東大震災下の朝鮮人虐殺 犠牲者6000人以上
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/tyousen3.htm

 1923年9月1日、関東地方南部に大地震が発生しました。地震の被害は、東京・横浜を中心に死者・不明者10万4千人以上、こわれたり焼失した家屋は55万5千戸をこえたと言われています。
 この地震の最中、6000人をこえる朝鮮人の人々が殺されるという大虐殺事件が起きました。日本の侵略によって生活を奪われ、日本に渡ってきた朝鮮人(1万数千人が居住)が犠牲となったのです。
どうも、半島の人と左寄りの人のサイトは、事実の検証にはあまり役に立たないことが分かりました。
掲示板ではこんな数字も。
http://www.egroups.co.jp/message/kaientai_master/467

関東大震災時の虐殺については司法省調査書によれば、死者233名、
重傷15名、軽傷27名、計275名。誤殺日本人死者58名、重傷13名、
軽傷18名、誤殺中国人死者3名、重傷5名とあり、内務省警保局の調査
(大正12年9月1日以降ニ於ケル警備措置一班)
朝鮮人の死者231名、誤認日本人死者59名としています。
しかし、朝鮮総督府官憲が”詳細に調査した結果”朝鮮人の被害者は832名
とし、その調査に基づき震災時に死亡したり行衛不明となった朝鮮人の遺族
には一人付き200円宛の慰謝金を贈り、地方官をして懇に遺族を慰問せしめ
ましたが、その人員は830名で弔慰金総額は16万6千円でした。
こうした歴史的事実があります。

しかし、表に出るのは氷山の一角ですので、少なく見積もっても1000人以上
が虐殺されたと考えられます。

「表に出るのは氷山の一角ですので」という部分以下の飛躍には納得いかないですが、832名という数字がいつ、どのようにして6000名になったのか、ますます知りたくなりました。

(2)関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(2003年9月5日)

しかしネットでいくら検索しても、具体的な史料・資料を明記してあるサイトはなかなか出てこないですな。中にはこんなのがあったりして。
http://www.kya-k.com/kawasaki/kawasaki.htm


 当時、日本にいた同胞の総数は8〜9万人。うち東京に1万2000〜3000人、神奈川には約3000人いたと言われる。全体で6000人、そして神奈川で4000人という犠牲者の数がどれだけ大きいかは一目瞭然だろう。
ていうか、住んでる人以上の犠牲者(虐殺の被害者)を出すのは、はっきり言って無理。日本人にはよくわからないギャグか何かですか。
↓日本、韓国、の歴史問題について
http://www.jiyuu-shikan.org/goiken/01/12/gmain.html

地震が発生した時、日本当局が、「朝鮮人が暴動を起こし、日本人を殺している」よいう流言蜚語をまき散らしたため、6000名が虐殺される大惨事を経験した。〜(韓国教科書)。

*全世界が注目、救援の手を差しのばしてくれた中、一部新聞報道により混乱、第一師団、近衛師団、海軍、が出動警備したが自警団に拠る殺人事件は275件有り、767名の犯人は裁判で裁かれている。

*「韓国教科書」の6000名、という根拠分からないが、プロパガンダ紙で上海に居た、(金 健氏、関学出身)が3680名虐殺されたと記事にしている。 (独立新聞、李相協氏、調査)慰問班の、朱栄幹氏と一週間の調査で6661名〜6268名と発表。

  (独立グループ)が虐殺2861名、警察による殺人577名、騎兵隊による殺人3100名、未確認殺人3249名と分からないものが多い。

*各県、近衛、第一師団、警察資料多数有り、6000名は地震でなくなつた人全体の事で無いか?。

どうもこの、金健という人が作ったプロパガンダ紙と、独立新聞・李相協という人がキーワードのようです。「6000名は地震でなくなつた人全体の事で無いか?」というのが説得力がありそうです。
↓このサイトではこんなことが
http://mickeysa.hp.infoseek.co.jp/nagai/nagaipa/nagaipa01/nagaipa01.html

 1923年9月1日、関東大震災の際、恐怖と不安におののいている人々は朝鮮人による放火や井戸への毒物投入の流言を広めた。この流言は警察の連絡網を通じて全国に流され、9月3日には軍の通信機関−海軍省船橋送信所を経由して、各地方長官に朝鮮人暴動が真実であるかのように伝達された。そして放火・毒物投入・掠奪を信じた日本人によって、多くの朝鮮人が虐殺された。殺害された朝鮮人の総数について政府は公式の発表をしていない(総督府の発表では832人、「金承学調査書」では6,415人)。
とりあえず、「金承学」と「金健」という名前でヒットする史料・資料に意味がありそうですが…。
↓さらに、「ハングル板きほん用語解説」から
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/9959/2ch/word.html#関東大震災朝鮮人

関東大震災朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだなどのデマが広まり6、7千人の朝鮮人が虐殺されたとされていますが…
【死者数】 『 死者数の調査は当然さまざまな調査で食い違いが見られるのだが、死者数は当時の
内務省調査で400−600人
・新聞記事の総数で1400人
震災の数年後やってきた
朝鮮人の調査で6400人
それでこの6000人って数字だけが一人歩きしているのさ。どこを見てもわかるのだが軍隊、警察は朝鮮人を保護する方向で働いている。デマを作った(?)のは新聞。朝鮮人を殺したのは民間の自警団。ただし震災に乗じて不穏な活動をしていた朝鮮人がいたのも事実ワシは自業自得だと思うがのお。あ、ここで書いた死者数ってのは虐殺された朝鮮人ね、震災死は入っているかどうか知らんけどねあと、当時、関東にいた朝鮮人は2万人程度だって左翼本ですら書いているよ。2万のうち6000人殺されたらどうなるよ? 』『奇っ怪な事に、関東大震災の時に虐待を目撃したのは、在日コリアだけなのですよ。当時、日本人も、在日台湾人も、中国からの留学生たちも、目撃しておらぬのですよ。(しかも、証言者する在日コリアは,仮名を使用している)当時の警察関係者の話によれば、「混乱を恐れ、我々が真っ先に朝鮮人を保護したのだから、そんな馬鹿な事がある筈がない」との事。まあ、戦前も戦後同様、不良朝鮮人犯罪が横行し、朝鮮人に対する評判が極めて悪かった事は事実ですがね。韓国には「恨(ハン)」と呼ばれる気質がありましてな。彼らは、例え自分側に原因があろうと、受けた恨みは永遠に語り継ぐと言う伝統がござる。無論、その恨みを語り継ぐには、誇張や湾曲や虚実を混ぜる事も必要となる訳で。』
姜徳相滋賀県立大学教授)】 『「関東大震災」(1975.11 中公新書)。この本の著者・姜徳相滋賀県立大学教授)は、関東大震災に関するコリアンの「最高権威」視されている姜徳相でありまして、この者が「軍隊・警察が朝鮮人を大虐殺した」とデマ工作を働いて来た中心人物だと言っても間違いありません。』『姜徳相は、歴史の改竄・歪曲・捏造の第一人者です。「関東大震災」は、その典型といったところで、原資料の歪曲、摩り替え、改竄のオンパレードですね。他でも、姜は「事実この時期(関東大震災時)の治安責任者だった水野練太郎(注、内相)、赤池濃(警視総監)、石光真臣(第一師団長)のトリオはすべて3.1独立運動(大正8年)の時に朝鮮で鎮圧に当たった現場の指揮官である」(関東大震災七〇周年記念行事実行委員会編「この歴史永遠に忘れず」p143)と言っていますがこれは実は大嘘。まず、前記の3.1暴動ですが発生したのは大正8年3〜4月でした。一方、震災当時の水野内相ですが、彼が朝鮮総督府政務総監に起用されたのは、事態が鎮定された後の9月です。就任当日、斉藤新総督と共に爆弾テロに襲われた水野総監ですが、にも関らずハングル新聞の発行や結社の自由を認める等、政治的自由の拡大を断行した人物でした。』『姜は、他でも資料集(姜徳相・琴秉洞編「関東大震災朝鮮人」1963・みすず書房)でも、水野内相談話を改竄しております。一体誰が、こんなデマ屋に滋賀県立教授なんて地位をくれてやったのでしょうか?姜を知る、ある拉致問題の専門家は、呆れ顔で「お話にならない」という風にだけ評していました。』(全てコピペ)
ここでまた「姜徳相」という興味深い人名のキーワードが出てきました。

(3)関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(2003年9月6日)

で、その「6000人説」がどこから出てきたものなのか、というのは、『現代史資料・6 関東大震災朝鮮人』(みすず書房)という資料集に目を通してみたらすぐにわかりました。伏せ字になっている名前3文字の人(李相協という名前の人らしいです)が、大韓民国5年(西暦1915年)11月28日に、「独立新聞社・金希山(独立新聞社社長・金承学)」という人の前に提出した、いわゆる「金承学調査書」です。それ以外の資料は確認できませんでした。しかしこれ、私見では冒頭の、俺の既知の外にあるようなテキストや、具体的データに欠ける地名と人数の羅列だけで、とても「現在の研究史で常識といわれている」(http://www.40net.jp/~kourai/home/shinsai.htm)と断定できるほどの決定資料と言えるかどうか…。
まず、「屍体を探せなかった同胞」(多分目撃者証言によるもの)が冒頭にあって、合計3240人、それに特派員の人が実際に見たのが1167人、以上の第一次調査に各県からの報告がいくらかあって、合計6661人、とのことです。
うーん、俺にとってはこんなの資料・史料じゃないです。20世紀の近代都市で、戦争や内乱といった致命的混乱があったわけでもない状況下(まぁそれなりの混乱があったとはいえ)で、具体的な個人名が欠如している数字の、数字部分だけが一人歩きしているデータを根拠に、「日本人が朝鮮人にひどいことをした」ということが、半島関係の人自身も、それが正しい行為だと本当に思っているんでしょうか。根拠のあいまいな「虐殺6000人(6600人)」で過去の日本人の行為を責めるよりも、公式記録として明らからしい「虐殺233人(司法省調査書)」「虐殺832人(朝鮮総督府官憲調査)」を元にしたほうが、嘘・捏造などと疑われる部分が皆無な分メリットはあると思うんですが。どうも韓国の教科書には「6000人説」が定説になっているようですが、その数字の根拠はあいまいなことだけは、韓国の人も知っておくべきでしょう。
裏読みをすると、あまり韓国の人には知られていないような自国の事件である「済州島虐殺事件」(3万人から6万人の島民が虐殺されたそうです)を、別の虐殺事件で隠蔽してる・しようとしているのかな、と思ってしまいます。
↓「済州島 虐殺」をキーワードにしたgoogle検索
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&q=%8D%CF%8FB%93%87%81%40%8Bs%8EE
今日は最後に、「金承学調査書」冒頭の檄文を引用しておきます。『現代史資料・6 関東大震災朝鮮人』(みすず書房)p338-339ページ。


   金希山 先生前
 先生と別れた私達は、千辛万苦して十日目に、やつと焦土化した倭京に着き、各々、確かと責任分担した地方に散つてゆきました。
 ですが、先生も想像がお出来のように、詳細に調査完了するには、極めて困難があります。従いまして、秋も過ぎ、白雪紛々たる今になつて、やつと各地の報告を綜合して、第一次として、大綱を記送致しますから以上より詳しいものは、次の便をお待ちになつて、ひと先づは胸のつかえをお解きになるようお願いします。
 果せる哉、私達の生活は甚だ不自由で、定処なく、通信も不便で、長報告の時間と便宜もないので、これを深諒されるよう願います。
 先生! 敵京の惨酷なる「ざま」は、憐れむ可きと云うよりも賀す可きであります。
 奴等が吾が同胞を虐殺したことを考えると、怒りで歯ぎしりがで、敵土が全滅しなかつたことだけが恨まれるのです。
 先生! だが私は血が沸立ち、肉は躍り、胸の動悸は激しく、涙が眼前を覆い、筆を執つてこれを書くことを敢えてなし得ません。
 これを見る吾が同胞中の誰が、そうでない者がありますでしようか。
 至る処の、苗束のような屍を見れば胸は痛み、両の眼で、焼け残つた肉の跡を尋ねては、身体が震えました。
 嗚呼! 天地は際限があるとしても、吾々の積り積つた怨恨たるいつかゃ、はらす日があるだろうか。哀哉。この寃讐をはらす者は誰であろうか。
 空山明月夜三更に、杜鵑が哀しくなけば、七千の吾が同胞達の孤魂を思い出すべきでありましよう。
 糠雨が止むことなく降り、稲妻が光り、真暗で静かな悔日の夜、遠くで響くかみなりを聞いたならば、倭地で寃魂となった七千、否、七千よりもつと多い魍魎の哀哭なのだと思つて下さい。
 嗚呼! 春の風、秋の雨が、これから幾度来るのか。唯、願うことは、吾々の一片丹心だけであります。
東京を「倭京」「敵京」と記したり、「敵京の惨酷なる「ざま」は、憐れむ可きと云うよりも賀す可きであります」と表現したりという部分などは、こんにちの視点からは、アジテーションであることを考慮したとしても、いささか常軌を逸しているものを感じます。たとえば当時の日本人だったら、自然災害によって数万人規模で亡くなったような事件が、海外の、敵国と思えるような国で起きたとしても、このようなテキストは書かないような気がします。極端に右寄りの人、あるいは第二次大戦中(交戦中)だったら別かもしれませんが。
まぁ、半島の人の「偏狭なナショナリズム」にもとづく、このテキストを元にした「6000・7000人虐殺」の主張は、他の国の人なので仕方ないですが、日本人でそのような主張をしている人は、もう少し元資料・史料(と称されているもの)の意味を知っておいたり、眼を通しておく必要があるのでは、と思います。

(4)朝鮮の人による海外への日本のイメージ操作(2003年9月7日)

↓「関東大震災朝鮮人虐殺事件」に対する日記のコメントから
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030902


# reveal 『なんか海外では一万人とか二万人とかってなってるところもあるようです!! (@o@;) http://users.erols.com/mwhite28/warstat6.htm#Korea3
# lovelovedog 『確かに見て驚きました。こういうののソースって外国専用の特濃があるんでしょうか』
# reveal 『言語障壁があるので判らないだろうとタカをくくっているような気がします。「Comfort Women」でググルってみてください (@o@;)。』
ググってみました。「居心地のいい女」じゃないですね。まぁ普通は「prostitute」(少し専門語すぎるな)とか「business girl」とか。
実はどうも調べてみると、「関東大震災における朝鮮人虐殺」に関しても、朝鮮の人その他による、海外向けの情報操作(真実と確認するのが難しいような情報提供)があったみたいです。捏造と断定するのは難しいですが…。まぁ、このあたりもネット内テキスト化する予定。
「日本がこんな酷いことをやった」と言っている外国の人(もっぱら中国・朝鮮の人)にはなんか、電車内で痴漢行為に会った、と言っている女性を思わせます。それが実際にあったことなのかどうかは、駅員・警察には判断が難しいことだし、それが冤罪であることを証明するのも、訴えられている側の人間には難しいでしょう。
俺が最近読んだ本では『ドキュメント戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』(高木徹講談社)(というのがあるんですが、これが「国際世論を味方にするノウハウと成功の実例」みたいな感じで、日本国政府の関係者(特に外交官)は必読なんじゃないか、と思いました。旧ユーゴスラビアでおこなわれていると称された「民族浄化(ethnic cleansing)」というキャッチ・コピーと、写真による捏造(鉄条網の外にいる人間を取って「これが収容所に入れられている人間だ」というアピールをしたみたいです)とか。
↓『ドキュメント戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』の感想は以下のところにあります(そこからbk1とアマゾンに本の注文もできます)
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/bin/day?id=57713&pg=20010225
とりあえず、世界の人に対して何か日本に関する間違ったことを言っている人・民族・国があったとしたら、日本は国家・政府レベルで、英語その他世界の人が読めるテキストで「そのようなことは事実とは異なっている」ということを、ちゃんとした証拠を示して(←ここ重要)しょっちゅう(←ここも重要)そのようなサイトを見つけるたびごとに、名指しで批判したほうがいいのではないでしょうか。まぁ、個人レベルでの反日サイトまで、日本の政府の人はなかなか目は通せないとは思いますが…。

(5)「関東大震災における朝鮮人虐殺」について、あちこちのサイトの人にメールでお尋ねしてみる(2003年9月8日)

とりあえず、「関東大震災 朝鮮人」で検索すると出てくる何人かの人(サイト)に、以下のようなメールを出してみました(ただし返信の公開は未定)。


朝鮮人虐殺について質問です

はじめまして、私は関東大震災時の朝鮮人虐殺について興味を持っている者です。

そちらのサイト(○○○○○○)に掲載されておりました、「△△△△△△」という、人数に関しますデータは、どのような資料・史料を参考にされましたかお伺いしたくメールをさしあげました。失礼な点がありましたらお許しください。

○○○○○○の部分にはサイト名が、△△△△△△の部分にはサイト内のテキストが入ります(メールの内容は、したがってそれぞれ違います)。
そこから先、何か展開がありましたら、またご報告します。
とりあえず出したのは、以下のサイトを運営されているかたがたです(メールアドレスは略)。
http://www.senshu-u.ac.jp/~thb0644/sinsaiindex.htm
http://www.jca.apc.org/JWRC/exhibit/Korea58.htm
http://www.40net.jp/~kourai/home/shinsai.htm
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/t.paneruten4.htm
http://homepage1.nifty.com/oj-hiroba/stock_jisha17.htm
返事その他のリアクションを待ちまして、在日・在半島の人以外の人を中心に、最終的には数十人ぐらいのかたがたにお伺いしようかと思っています。
で、またあちこちネットを逍遥していて、この虐殺数(の増加的捏造疑惑)に関して、また興味深い、あまり知られていない事件があることが分かりました。
尼港事件googleで検索)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&q=%93%F2%8D%60%8E%96%8C%8F
ロシアのパルチザンソ連赤軍が背後にあるゲリラ)によって、日本守備隊及び居留民約700名が殺害された事件だそうです。これが起きたのは1920(大正9)年5月ということなので、関東大震災大正12年9月1日)の3年前。
以下は推測ですが、共産主義者による日本人に対してのテロ・虐殺行為よりも、日本人(本当は日本の軍隊・警察にしたかったんだろうけど、「自警団」が主として活躍した、という設定にしないといけなかった)による朝鮮人虐殺行為のほうが、事件としては大きかった、という歴史を作りたがっていた、赤かったり左に寄ってたりするかたがたの裏工作があったんじゃないか、と思いました。そしてそれは、朝鮮の人の協力もあって、世界的には割と成功した工作のようです。

(6)「関東大震災における朝鮮人虐殺」について、あちこちのサイトの人にメールでお尋ねしてみる(その2)(2003年9月9日)

昨日に引きつづき、5つのサイトにメールを発送してみました(計10サイト)。一応、以後は暫定的にどこに出したかについては非公開にします。

それから、誤解があるとまずいので補足しますと、俺にとって信用がおけない資料・史料(具体的には、「金承学調査書」)によって何かを言っているサイトであっても、サイトそのものに対する意見は保留したいと思います。アジテーション(煽り)目的でやっているサイトもあれば、元資料・史料に目を通していなかったり、その意味についてあまり知らなかったり、というケースもあると思うからです。まぁ、資料・史料名をサイト名のどこかに明記して欲しい、ということは伝えてみようかとも考えますが…。
さらに、「金承学調査書は、虐殺された朝鮮人の具体的な個人名も可能な限り明記してある一級の史料だ」というような、今までの俺の記述が全否定されるような驚愕の真相も出て来るかもしれないですし。

(7)関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(7回目)(2003年9月10日)

前にも書きました通り、虐殺された朝鮮人のかたの人数について、6000人もしくはそれに近い数字を挙げているサイトの管理人に差し上げましたメールの返事がちらほらと返って来ました。
・「関東大震災」(中公新書
・どの資料を元にしたのか、覚えていません
・書いたのがずいぶん前なので、どの資料を使ったのか正直覚えてません
という感じです。
俺のほうも、さらに何冊か目を通して見たり、過去に挙げた史料などを読み返してみたりしたんですが、少し勘違いがあったみたいで、その部分について触れてみたいと思います。まず、「朝鮮総督府官憲調査」なんですが、『現代史資料・6 関東大震災朝鮮人』(みすず書房)では、以下のようになっています。p459


朝鮮人の死者の総数幾何に上るかに付ては震災当時に之を正確にすることは困難であつたが時日の経過に伴ひ漸次判明した数は通して八百三十二名である此の内には震災による不慮の落命者と被殺者とを包含しているのであるが其の分界を明にすることは絶対に不可能である之は遺憾なことであるが致し方がない多数の鮮人労働者が本所方面に居住して居た事実から震火災の犠牲者も少くなからうと推測し得るのみである
文中に句読点がなくて読みにくいんですが、要するに「八百三十二名」という数字は「朝鮮人の死者の総数」で、震災による死者と虐殺による死者との合計だ、ということです。そうするとやはり「虐殺233人(司法省調査書)」という数字に近い数が出てくるのでしょうか。
で、その手の参考テキストの中では今のところ『関東大震災時の朝鮮人虐殺 その国家責任と民衆責任』(山田昭次・創史社)という本が一番参考になっています。その本では前に名前を挙げました「金承学調査書」については、以下のように記述してあります。p164

 関東大震災時の朝鮮人虐殺数を論ずる際に必ず取り上げられるのは、1923年12月5日付けの上海の大韓民国臨時政府の機関紙『独立新聞』に掲載された「本社被虐殺僑日同胞特派調査員第一信」に報じられた調査報告である(以下、「第一信」と略称)。
 これによると、虐殺された朝鮮人総数は6661人である。しかしこの調査がどのようにしてなされたのか、その他の調査に比較してどの程度信憑性があるのかを綿密に検討した研究はなく、わずかに神奈川県の朝鮮人虐殺数に関して行った梶村秀樹の研究があるのみである。
ここでまた「梶村秀樹の研究」という興味深いものが出てきました。少し飛ばして、続けます。

 関東大震災直後に朝鮮人が調査した朝鮮人虐殺数報告書は二つある。第一は前述の『独立新聞』に掲載された「第一信」中の調査報告である。第二はそれより以前の23年10月までの調査結果である在日本関東地方羅災朝鮮同胞慰問班の調査報告である。
 前者は、その後韓国で刊行された愛国同志援護会編『韓国独立運動史』に収録された。その日本語訳が、姜徳相・琴秉洞編『現代史資料6 関東大震災朝鮮人』(みすず書房、63年)に紹介されて、日本でも知られるようになった。
要するに「虐殺6000人説」が成立した(通説ということになった)のは、韓国では『韓国独立運動史』が刊行されて以降、日本では『現代史資料6 関東大震災朝鮮人』が刊行されて以降、ということになりそうです。
引用を続けます。

しかし筆写の際の間違いか、『独立新聞』に掲載された「第一信」とは字句に違いがある。史料として使う場合は、原本である『独立新聞』に掲載された「第一信」を使うべきであろう。
 姜徳相はこの報告書を「金承学(キム・スンハク)調査」と呼んだ。その根拠は、姜徳相は「『独立新聞』社長金承学がひそかに東京に入り、同志を糾合して犠牲者の調査をしたもの」と見なしたことにある(姜徳相、154頁)。しかしこの報告書の末尾は次のようである。
大韓民国五年十一月二十八日
              血涙のなかで
                        ○○○上
独立新聞社希山(フィサン)先生前に」
 宛先の希山とは金承学の号である。つまり、この報告書は特派調査員から独立新聞社長金承学に宛たものである。調査を担当したのは特派調査員であり、金承学は報告書の受取人である。
ここらへんで実は山田昭次先生、姜徳相氏の「調査書」の日本に対する紹介のしかたのいい加減さとか、「金承学(キム・スンハク)調査」と呼んだことに対してかなりお怒り、とまでは言わないにしても、もう少しちゃんとやって欲しかった、的な感慨を持っているのではなかろうか、と俺は思ってしまいました。あとでまた具体的に例を挙げて述べますが、確かにこの姜徳相氏のテキストは、イメージ操作的な印象を受ける部分があります。
引用を続けます。そろそろp166

『独立新聞』に発表されたこの報告書では特派調査員の名前は伏せられているが、これは韓世復(ハン・セポク)であろう。金承学の回顧録「亡命客行蹟録」には次のように書かれている。
「新聞社では倭京(日本の都)の震災時に韓人を大虐殺する事件が内外に伝えられたので、名古屋の雑誌社の韓世復を東京などの地に特派して虐殺の真状を調査した」(独立記念館韓国独立運動史研究所、431〜432頁)
 ところで、韓一人で短期間に関東一帯にわたって朝鮮人虐殺調査をすることは不可能である。韓は朝鮮人虐殺調査を行った在日本関東地方羅災朝鮮同胞慰問班に加わり、その調査結果を金承学に送ったものと思われる。
誰がどのような方法で調査をおこなったのか、だいぶ見えてきたような気がします。そのあと、本の中では具体的にその際の苦労なども書かれているんですが、まぁできたら本文を見てみてください(時間があったらテキスト化する予定)。
さて、困ったことに、山田昭次氏の主張は「虐殺された朝鮮人はもっぱら警察と軍隊によるものだ」という主張です。2ちゃんねる的には「ソースはどこ(どれ)よ」と言いたくなるようなものですが、警察・軍隊(国家権力)がそのような、自分たちに都合が悪いものを残しているわけがないと、言われてみるとそれはそれで説得力がありますね。そこらへんが困ったところで、ただし証言による「国家権力がおこなった虐殺の目撃」という例はいくつか紹介されています。時間があったらそれの分析にも取りかからなければいけないんですが、次は「虐殺の場所」と「数」に関する検討をしてみたいと思います。

(8)関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(8回目)(2003年9月11日)

今日は、いわゆる「金承学調査書」に掲載されてます虐殺された朝鮮人の数(最終的な数字は「6641名」になっている奴)を細かく見ていきたいと思います。通説としての「6000名」というのはご存じの人は多いと思いますが、その数字の出どころがいささか、資料・史料(証拠)と呼ぶにはもう少し調査した人に頑張ってもらいたかったな、と思うようなものであることは前にも述べた通りです。
そもそも、誰かが何か、犯罪を犯したということでその対象者を責める、あるいは法によって裁かせるためには、「被害者・犯人・証拠(証人)・犯罪がおこなわれた具体的な日時」の4つがなければ無理です。この虐殺事件に関して、その4つが完全に揃っているデータは、どうも存在しないみたいです。比較的ましなのは、司法省の「死者233名」というデータ(被害者の具体名が一部欠如)と、金健氏によるプロパガンダアジビラ「虐殺」に掲載された「死者3684名」というデータ(匿名ではありますが、証人の名前が明記)のほうでしょうか。後者についてはあまり語られている資料は多くないみたいですが、この中の「羽田付近2000名」という、「国民新聞社の実地調査公表」を除くと2000名に満たない数字になるので、かなり信用してもいいようなデータなんじゃないかと個人的には思えてきます。
今日はめちゃくちゃ大変だったんですが、「金承学調査書」中のデータを、3つの資料を基にテキスト化してみました。数字の「A」は、『現代史資料・6 関東大震災朝鮮人』(みすず書房)掲載の元資料、「B」は同じ資料の中の「虐殺」(金健)を引用している部分に添付してあった資料、「C」は『新版・関東大震災・虐殺の記録』(姜徳相・青丘文化社)に掲載された資料を基にしています。データそのものは3つに分かれています。まず、「死体未発見数」から。


1・死体未発見数
被殺地被殺人数A被殺人数B被殺人数C
亀戸100100100
小松区内271※ 
亀戸停車場前
大島6丁目262626
大島7丁目
大島8丁目105150※150※
小松川付近20※
小松川区域内  1※
小松川区域内  26※
三戸地272727
三戸地付近323232
亀戸警察署演武場36 86※
亀戸警察署練兵場にて

 騎兵十三連隊少尉田村将校
 86※ 
白鳥43  
向島 43※43
寺島請地141414
平井7(元テキストは「平川」)
清水飛行場郊外272727
八千代2※2※
寺島署内141414
月島1111 
深川
埼玉県北葛飾郡早稲田村幸房171717
品川停車場
栃木県東那須
宇都宮
芝公園2(元テキストは「埼玉県芝公園」)
埼玉県熊谷606060
埼玉県本庄636363
千葉県船橋373737
千葉県法典村、塚田村606060
千葉県南行
千葉県流山
千葉県佐原
千葉県馬橋43※
群馬県藤岡警察署171717
埼玉県寄居131313
埼玉県妻沼1314※14※(元テキストは「妻治」)
東京府下管内中野1(元テキストは「東京府下」のみ)
東京府下世田谷
東京府
千葉市373737
成田272727
浅草区吾妻橋付近808080(元テキストは「浅草」のみ)
埼玉県神保原252525
赤羽岩淵(工兵による)
埼玉県大宮
波川
我孫子
長野県と埼玉県の県境
荒川区域内100100100
荒川付近171717
馬橋
東京市内千住
千住区域内 26※ 
神奈川県179517951795
合計324032403240
正確な計算による合計288530232990
いきなり計算あわないんですが。各資料のデータは、たとえば「大島8丁目」が105名だったり150名だったり微妙に違ってるんですけど(違いのある数字は「※」で分かるようにしてみました)、合計はどれも「3240名」。正確な計算では150名ぐらいの差が出てます。朝鮮の人は総計の出し方を知らなかったのでしょうか。たとえそうだとしても、資料をまとめた人は注釈で「ちゃんと計算すると○○名」ぐらいのことを言っておけばいいと思います。
それ以外にまず怪しいのは、東京・千葉・埼玉などが、具体的な地名を挙げて「○名」としているのに、神奈川県だけは一からげで「1795名」としてあるところでしょうか。次に挙げる「死体発見数」における神奈川県の(神奈川県の、それも横浜周辺のみと言ってもいい)正確さとはうらはらです。俺はこのデータにおける「神奈川県」部分のデータは無視してもかまわない(無視されてもしかたない)と思えるぐらいの曖昧・大雑把すぎるデータだと思います。
では次に、実際に調査員が死体を見た数。

2・死体発見数
以下に記録するのは死体を発見した同胞であるがその数は1500人に達する。特派員が実地で見たのは1167人で、その余の333人は現在調査中。
被殺地被殺人数A被殺人数B被殺人数C
神奈川県浅野造船所484848
神奈川警察署
土方橋より八幡橋まで103103103
中村町(中村橋?) 2※2※
山手本町立野派出所
本牧323232
若屋別荘101010(元テキストは「若尾別荘」)
根岸町353535
山手町埋地
御殿町付近404040
程谷(保土ヶ谷313131
井土谷303030
新子安 10※10※
由子安町 10※(このような地名があるのかは不明) 
新子安神奈川駅150150150
神奈川鉄橋500500500
久良岐郡金沢村12312※12※
川崎
戸部303030
水戸鴨山303030(元テキストは「水戸上鴨田」)
東海道茅ヶ崎駅
鶴見
久保町4030※30※
津間町404040(元テキストは「浅間町」)
習志野軍人営廠131313(元テキストは「習志野営林廠」)
以上合計116722561165
以上累計440744054405
正確な計算による合計127411751165
正確な計算による累計415941984155
ご覧の通り、ここでも「正確な計算による合計」は100名程度の差があります。ですが資料部分の総計の誤差は2名。違いが出た原因は、ほとんど「久良岐郡金沢村」の数字にあります。
この数字は、『関東大震災時の朝鮮人虐殺』(山田昭次・創史社)によると、在日本東京朝鮮基督教青年会総務の崔承万(チェ・スンマン)氏によるものらしいです。おまけに当時の川崎・横浜に関する虐殺のデータはどうもこれしかないみたいです。このデータを信用するかどうかは微妙ですが、俺は「神奈川鉄橋」の500名という数字を除いては、信じるに値するデータだと思います。俺には500名の死体と、誤差プラスマイナス200名の死体(700〜300名の死体)との区別がつきそうにないからです。たとえば軍人として、それなりの訓練をしている人なら別でしょうが…。
最後に、「各県からの報告」。

3・各県よりの報告
左記の第一次調査を終了した11月25日に再度各県から寄せられた報告は左(下)のようである。

被殺地被殺人数A被殺人数B被殺人数C
東京府752752752
神奈川県105210521052
群馬県171717
茨城県
千葉県133133133
埼玉県293293293
栃木県
以上合計225622562256
被殺者総合計6661(記載なし)6661
正確な計算による合計225622562256
正確な計算による累計641564546411
これはもう、こんなの載せてもしかたないのでは、と思えるようなデータです。情報提供者も不明で、具体的にどこで何人ぐらい虐殺されているかも、県名以外は不明という。これをプラスして(2000名以上!)、「総計6661名というのが、虐殺された朝鮮人の数として正しい数字」と言われても、人のいい日本人、あるいは元資料をあたろうとしない日本人・韓国&朝鮮人以外の誰が信じるでしょうか。
俺は、資料のデータ的な不備を大目に見て、極力人数を多めに見ても、「1」のデータから「神奈川県」に相当する部分を抜き、「2」のデータから「神奈川鉄橋」を除いたものをプラスして、1200+700で、2000名程度が虐殺の正確な人数に近いと思います。
従って、たとえば教科書に記述する場合は、

関東大震災では朝鮮人が、日本人の自警団により300名以上虐殺された。また警察・軍隊などによりその数倍にも及ぶ犠牲者が出たという目撃者の証言などもある。
というような表現が妥当かと思われます。
今まで読み続けてこられたかたは飽きたかもしれませんが、気が向いたらまた続けます(一応終了)。

(補足その1)関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(補足)(2003年9月13日)

最初のメールを出したかたがたに、以下のメールを出してみました。


どうもこんにちは。以前関東大震災における虐殺された朝鮮人(の虐殺人数)に関しまして質問のメールを出させてきただきました者です。これは2度目(あるいは3度目)のメールです。

実は、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」の、虐殺された朝鮮人の人数に関しまして気になったので少し調べて、自分のサイトでそれを公開してみました。もしよろしければ、ご意見をうかがえましたらと思いまして再度メールを出させていただきました次第です。公開しているサイトのページは以下のところです。

(略)

私自身は右翼でも反韓嫌韓主義者でもなく、むしろ曖昧・不正確な調査結果(少なくとも私にはそう思えるのですが…そちらのサイトのかたはいかがでしょうか)をもとに「虐殺6600名」という数字だけが、あまり中身について語られることなく流布していることが、逆に反韓嫌韓をあおるのでは、という懸念を持っております。

なお、「虐殺6600名」に関しまして具体的に、そのかたがたのお名前その他のデータをお持ちのようでしたら、自サイト(私のサイト)でそれが掲載されておりますような文献・資料などを紹介してみたいと思いますので、ご連絡いただけましたら幸いです。

失礼がありましたら申し訳ありません。

また、資料の参考テキストとしてはさらに、以下のものが挙げられました。

関東大震災 朝鮮人虐殺」 影書房 1988
「大地震 大虐殺」 潮出版 1983
「いわれなく殺された人々」 青木書店 1983
「ドキュメント・関東大震災」 草風館 1983

『回顧八十年史』

神奈川県史、小田原市史、開成町史ならびに
松尾章一  『関東大震災戒厳令』 吉川弘文館 2003年 1700円

(資料データはメールでいただいたものをそのままコピペしました)
ずいぶんいろいろあるものです。
誤解のないよう補足しておきますと、このネタに関して一応終了したのは、別に朝鮮のかたがたから圧力があったわけではありません。しかし方向が宗教論争になりかねないのがどうも。たとえば、キリスト教における神を信じる者は、聖書に書かれていることがすべて本当にあったことかどうかについて疑ってはならないんだろうけど(多分。違いますか、キリスト教のかた?)、俺の姿勢は歴史の中の人物としてイエス・キリストを考えたいというようなものなので。
 
(追記)キリスト教のかたによると少し違うみたいなので、リンクを張っておきます(20060318)
http://d.hatena.ne.jp/summercontrail/20060313/Bultmann

(補足その2)関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(補足その2)(2003年9月17日)

関東大震災における朝鮮人虐殺」の数を「6000人(6600人)」としているサイトの管理人のかたに出しましたメール(メールのサンプルはhttp://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20020901#p6http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20020901#p10を参照のこと)のお返事より、どのような資料を参考にテキストを書かれたか、についてのデータを記述しておきます。
資料の参考テキストとしては、以下のものを追加しておきます。

1. 青丘文化社 出版
   青丘文化叢書9 「関東大震災・虐殺の記憶」
   著者 姜徳相 2003年9月1日発行
2. 創史社 出版
   「関東大震災時の朝鮮人虐殺」
   著者  山田昭次 2003年9月1日発行

前の記述で挙げたテキストは以下の通りです。

関東大震災」(中公新書
関東大震災 朝鮮人虐殺」 影書房 1988
「大地震 大虐殺」 潮出版 1983
「いわれなく殺された人々」 青木書店 1983
「ドキュメント・関東大震災」 草風館 1983
『回顧八十年史』
神奈川県史、小田原市史、開成町史ならびに
松尾章一  『関東大震災戒厳令』 吉川弘文館 2003年 1700円

資料データはメールでいただいたものをそのままコピペしました。

やはり元テキストを書かれたかた(それぞれの本の著者)に、「金承学調査書のデータを参考にした根拠」と、「それの数字がちゃんと計算するとうまく合わないことを知っているのか、また知っているのならどのような理由でそこに記述してある数字を正しいものと思うか」を聞いてみたくなりました。まぁ、その前に、それぞれのテキスト(著作)をちゃんと目を通さないといけないんですが…。

結論

結論としましては、
1・朝鮮のかたが「定説」としている6600人説はいささか根拠があいまい。細かく数字を見ていると、怪しいデータが多いうえ、総合計は単純計算でも合わなかったりする。実はこれについて資料を見てみるまで、俺はこの数字というのは、ニューヨークのテロの犠牲者や阪神大震災の被害者のかたがたと同じように、「ちゃんとした固有名詞」まで挙げられた上での虐殺被害者数だと思ってました。皆さんも多分そうでしょう。
2・ただし、2000名前後のかたがたは虐殺されただろう、という推測が私的には成り立ち、その虐殺者の多くは自警団ではなく警察・軍隊だった、という目撃証言もある(目撃証言以上の証拠が存在するかどうかは不明である)。
3・教科書などの教育目的の記述としては、「関東大震災では朝鮮人が、日本人の自警団により300名以上虐殺された。また警察・軍隊などによりその数倍にも及ぶ犠牲者が出たという目撃者の証言などもある」とするのが正しいように思われる。
というところでしょうか。