日の丸・君が代に関する「JANJAN」(市民新聞)のやりとり

国旗掲揚・国家斉唱は憂慮すべきこと?
http://www.janjan.jp/culture/0406/0406175649/1.php
上記の記事に関する各人のコメントが面白いです。俺的になるほど、と思ったのは、たとえばこんなの。


”[1994] 都教委の監視と処分などを妥当と思われますか?”より引用
>東京都教育委員会が、公立学校での式典における国旗国家の取り扱いについて細部にわたる通
>達を出し、それが遵守されているかどうか「監視」し、異例の大量処分をしたことから、またこの問題
>で議論が沸騰している、という事情はご存知ですよね。
>で、その都教委のやり方は「妥当である」とあなたは思われるのか、そうでなければどう考えておら
>れるのか、お答えいただけたら幸いです。

まず、この処分に関する背景を調べてみました。
 国旗国家法により、日の丸=国旗、君が代=国歌と規定され、学習指導要綱で「教師は国旗・国歌の意義を子供に理解させ卒業式、入学式では国旗掲揚、国歌斉唱を指導する」と決められました。実際の指導に仕方については、文科省は、各地方自治体の教育委員会に任せるということで、東京都教育委員会は、それにしたがって職務命令を、都の公務員かつ教育者である教員にだしたわけですよね。
 当然、職務命令に違反したり、学習指導要綱を逸脱するような指導等あるならば、適正な処分をすることは妥当なことと思います。もちろん、その職務命令が、著しく道義的に問題ある等ならば、それを拒否し後日その是非について、司法の場で審判をあおるということができるとは思います。しかし、慣習・儀礼的な範囲での国旗掲揚・国歌斉唱で、彼ら・彼女らのいわゆる内心・良心の自由を著しく侵害するとは到底思えません。もちろん、この事に関しては、堂々と司法の場で判断を仰ぐなり、世論に訴えるなりして、おおいに議論すればいいと思います。それと同時に、彼ら・彼女らには指導要綱でも指導義務もあるのですから、一個人の問題だけでは済まされない面もあります。
 そして、細部にわたる部分や、実際に都の職員が確認に来ているという問題ですが、そもそもなぜ、そこまでしなければならなかったのかを考えなくてはいけません。一部の教員は、自分の権利を守るだけではなく、国旗を壇上の見えないところにおいて、”掲揚”としようとしたり、生徒に対して起立しなくてよいと指導したという事件を聞いております。もちろん、大多数の反対派の教員は、起立・斉唱拒否までで、そこまで積極的に式を妨害しないと思います。ですが、それでは飽き足らない人々に対する対策をするのは、行政として当然ではないでしょうか。まったく、生徒からすればいい加減にしてくれというありさまですが。
 もう一点については、教育委員会が現場の校長だけに指導責任を押し付けていいのかとの問題と関係しているかと思います。広島で、委員会と現場教師の板ばさみにあって自殺した校長の例を考えると、現場の校長の心労は多大なものと察します。それに対して、教育委員会がただ徹底指導しろと押し付けるのは無責任ではないでしょうか?

以上が、東京都教育委員会の通達・処分に関する私の意見です。しかし、改めて調べてみると、なぜ高校レベルでこうした問題が顕著になるのか分かりかねるという印象も同時に思いました。

(太字は引用者=俺によるもの)
「一部の教員」がどのようなことをしたのか、ちゃんと確認してみたいと思いました。