体調が悪くて休んでました

どうも夏風邪の延長で咳が止まらず、毎週「ケロロ軍曹」を4話ぐらい見て、「ぱにぽにだっしゅ!」の新作を3回ぐらい見るという堕落した生活を送ってました。選挙戦もそろそろ終わりなんで、少しだけ更新しておきます。
ぱにぽにだっしゅ!」については、とりあえず以下のところなどを参考に。
ぱにぽに - ぱにぽにWiki - livedoor Wiki(ウィキ)
情報量が多くて疲れるアニメです。『プリズナーNo.6』とか『モンティ・パイソン』のオタクアニメ版みたいな感じというか。

マルチン・ニーメラーが本当に言ったことと、リベラルな人の嘘

最近、日本の右傾化(軍国主義化)を懸念する人が多い中で、マルチン・ニーメラーというナチス・ドイツ時代を生きた有名な牧師(プロテスタント神学者)の言ったこととして、彼のセリフがいろいろなヴァージョンで引用されているようですが。
よく引用されるらしい、丸山真男のヘンな訳はこちら。
なぜナチスを阻止できなかったのか−マルチン・ニーメラー牧師

なぜナチスを阻止できなかったのか−マルチン・ニーメラー牧師の告白−
 
ナチス共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。次にナチス社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。
                ( 丸山真男 『現代政治の思想と行動』 未来社

いや、実はナチスカトリックだろうとプロテスタントだろうと、教会を攻撃・弾圧したことは一切ありませんが何か。
このサイトのテキストが一番面白かったのでリンク。
キリスト教と仏教をつなぐミッシングリンク - matsuda's journal

● ナチスの宗教政策
 
すこしまた真面目に戻って、最後にナチス・ドイツの宗教政策に言及しましょう。ナチス党の主流、つまりヒットラーの政策では、キリスト教を迫害・廃止しようとまではしませんでした。むしろ、上記のごとくにキリスト教の中に潜在的にあるミトラ教の要素を強め、よりゲルマン化した上で、ドイツ帝国教会の名の下に、国内のカトリックプロテスタント諸派を統合しようとしました。しかし、これはプロテスタント側の足並みが揃わず、仲間割れ状態だったので、うまくは行きませんでした。むしろ、対カトリックの方がうまく運びました。当初ドイツのカトリック教徒はカトリック中央党という独自の政党を持っていたので、ナチス党には抵抗が強かったのです。そこで、ヒットラードイツ国内のカトリックの頭越しにバチカンと直接交渉し、これと政教条約(1933)を結ぶことに成功しました。こうして、国内のカトリック教徒を恭順させてしまったのです。バチカンが国家と政教条約に合意したのはナチス・ドイツが最初で、いわば御墨付きを与えてしまったのです。これに対し、プロテスタント側は46もの領邦教会に別れていて、ルター派・改革派・合同派の仲がとても悪かったので、ヒットラーでさえ、これらを束ねることができませんでした。匙を投げたといいます。

要するに、プロテスタントキリスト教徒のマルチン・ニーメラーが、プロテスタントキリスト教徒だから弾圧に会っていた、というのは、リベラルな人が多分もっぱらついている大嘘、という話。
ニーメラーの略歴は、以下のところではこんな風になっていますが、
なぜナチスを阻止できなかったのか−マルチン・ニーメラー牧師

ドイツのルター派神学者。第1次世界大戦に従軍し,潜水艦長として活躍。ウェストファリアのミュンスター大学で神学を修め,1924〜30年同大学学内伝道にたずさわり,31〜39年ベルリン・ダーレムのルター派教会牧師となる。ヒトラーの教会支配に対する抵抗運動の指導者として活躍し,牧師緊急同盟の結成を呼びかけ,告白教会の形成,バルメン宣言の成立にあずかって力があったが,逮捕されて,ダハウの強制収容所に送られる (1937) 。第2次世界大戦後解放されて,平和運動ドイツ統一運動に尽力。ドイツ福音主義教会評議員,同外務局長。世界教会協議会会員。主著『Uボートから講壇へ』 Vom U-boot zur Kanzel (34) ,『イエス・キリストは主なり』 Herr ist Jesus Christus (46) 。

別にナチスも、牧師だからとか、神父だからという理由で強制収容所にかたっぱしから入れられたわけじゃないですね(当たり前のことですが)。
あと「came for」を「弾圧した」と訳すのもどうかと。
ということで、はてなダイアリーのキーワード、少し編集してみました。
はてなダイアリー - マルチン・ニーメラーとは
英語サイトだと、以下のところがとても参考になります。全部試訳してみたいぐらい。
Niemoller, origin of famous quotation
そこでは「Other versions of the quotation on the web」ということで、このセリフのネット上におけるさまざまなヴァージョンンが見られるし、オリジナルは何で、どのように誰の手によって変化して来たか、ということもわかります。
テキスト製作者は、ちゃんとしたドイツ史の専門家の様子。
引用の引用ですが、こんなのもあったり。

As Martin Niemoeller gave the message, it was true to the facts. "They" didn't "come for the Catholics" any more than "they" came for the Protestants. The true historical sequence, which Niemoeller of course followed, was communists, socialists, trade unionists, and Jews. The assault on the Jews was the culmination of the Nazi dictatorship's ruthless elimination of targeted communities and individuals.
(試訳)
マルチン・ニーメラーが送ったメッセージとしては、以下のものが事実に忠実だ。「やつら」が「カソリックを襲いかかって」はいないのは「プロテスタント」を襲いかかっていないのと同じである。歴史の本当の順番は、ニーメラーはもちろん知っているはずだが、共産主義者社会主義者、組合員、そしてユダヤ人だった。ユダヤ人に対する攻撃は、冷酷な除去の標的となった団体・個人ではナチ独裁政権の到達点だった。  

ということで、俺の日記のテキストを読んでいるかたは、マルチン・ニーメラーの言葉は以下の通り引用することを望みます。

“First they came for the Communists, but I was not a Communist so I did not speak out. Then they came for the Socialists and the Trade Unionists, but I was neither, so I did not speak out. Then they came for the Jews, but I was not a Jew so I did not speak out. And when they came for me, there was no one left to speak out for me.”
(試訳)
はじめにやつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらは社会主義者労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。
そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。

俺が尊敬する人のレベルとして、元・軍艦の艦長、それも潜水艦(それもUボート)というのは、かなり上位に属しますので、ニーメラーの悪口を言う人は俺が許しません(余談)。
 
(追記)
このテキストは編集予定です。くわしいことはコメント欄を参照。

ケロロ軍曹

これを見ていると、
ガンプラが作りたくなる
・ダメなシナリオ作家と、原作を越えていい出来にしているシナリオ作家の名前を覚えたくなる
・日向家の「父」はいったいどういう存在なのか気になる
漫画(コミックス)の中では、確か日向家の父親って回想シーンの2コマぐらいしか出て来てなかったのでした。