硫黄島のあの有名な写真は、実は二度目の掲揚だってことはあまり知られていない(『硫黄島の星条旗』)

lovelovedog2006-03-13

この写真なわけですが。
ずっと昔に書いて、別のところに置いてあった感想を、ここにも置いてみます。
結局映画は、クリント・イーストウッドが作ることになったわけですが。
 
硫黄島星条旗』(ジェイムズ・ブラッドリー、文芸春秋)(→amazon

多分星条旗が揚がっている写真としては史上2番目に有名な(一番有名なのはアポロのそばに立っている例の奴ですね)、アメリ海兵隊兵士が立てている例の奴。これを見たことがない人は少ないかも知れないですが、それを巡る物語についてどれだけの人間が、どのくらいのことを知っているだろうか。まず俺はこの写真の中の旗が「硫黄島に揚がった2つ目の星条旗」だってことが書かれててびっくりした。最初の奴は海兵隊が記念として永久保存してあるんですね。有名なことで、知らなかった俺のほうが無知? で、ここで揚がっている奴(かわりの旗)は、「三週間ひるがえっていたが、しまいには強風でずたずたにされてしまった」とのこと。ちゃんとこの本の337ページには、最初の旗のワキに、あの有名な旗を揚げようとしている写真もついてます。さらに、この後も戦闘はあとひと月も続いて、写真の中の六人の兵士のうち、三人は死んでること、ただしこの旗を立てた時には摺鉢山の戦闘は終わっていて、実に静かな国旗掲揚(戦闘下の勇者たちという写真じゃないんだ)だったこと、などなど、写真は真実を語っているが、それにまつわる伝説は多くが間違っているんですね。いやはや。

これはその写真の中に写っている兵士で、戦争中のことをほとんど語ろうとしなかったジョン・ブラッドリーの息子、ジェイムズ・ブラッドリーが、ピューリツァー賞作家ロン・パワーズと共同で書き上げた、戦記というよりも当時をかろうじてやり過ごせた者たちのヒューマン・ドラマ、という風情の本。写真の中の6人が、アメリカの各地でどのように生まれ、育ち、段々個性をつけていって、兵士としてそこに立つに至ったか、さらにその後、生き延びた3人はアメリカ本土でどのように生きなければならなかったか、が、とても美しい文章で書いてあります。たとえばこんな感じ。戦争前のアメリカの田舎町。

ベティ・ヴァン・ゴープ(引用者注:後にジョン・ブラッドリーと結婚することになる女性。ちなみにこの文中ではまだ少女。さらにちなみに、ジョンはジャックなんで「ジャック&ベティ」ですね)の耳には、アップルトンの木陰の通りを牛乳や氷を載せた荷馬車を引いて歩むパカパカという馬のひづめの音が聞こえた。路面電車が客を乗せるためにとまる際のキーッという音も聞こえた。ダウンタウンまでの乗車賃は五セントだった。コオロギが鳴く夏の宵には、誰かがこぐブランコの音がした。キーッ、キーッというブランコの音は数十年間、彼女の記憶に残っていた。(p40)

写真がメディアに載ったあと、戦時国債を売るためのキャンペーンに、宣伝素材として使われた3人のイメージ肥大はかなりすごかったようで、そのために一人は完全にアル中になっちゃったりしてます。もう兵士にとっての「戦後」は古き良き時代じゃなくなったんだ。

しかしこの本を読んで致命的に気になるのは自分が日本人であることですね。何しろ硫黄島の戦闘のさなかに日本はジェノサイドと言ってもいいだろう「東京大空襲」なんて目に会わされてるし。硫黄島の日本軍基地があったらそんなことにはならなかったはずの大空襲。

硫黄島上陸作戦は多分映画にしたら『プライベート・ライアン』以上に腰を抜かす大殺戮シーンになるだろうな。日本軍司令官・栗林忠道中将の作戦は、敵を水際で撃退するという手ではなくて(そんなことしても数十倍の威力のある艦砲射撃で撃滅させられます)、上陸させてからの一斉攻撃で、殺すだけ殺す、という、もう何と申しましょうか、スーパーゲリラ作戦。だから、敵の熾烈な攻撃を予想した上陸部隊は、あまりの静けさにびっくり。その静けさを30秒ぐらい撮って、日本軍の砲撃シーンが展開するシーンになる。摺鉢山を見ている兵士の目に、まず砲が光って煙が出るのが見える(顔→瞳のアップ)。次に砲弾が飛んで来て、人間も上陸艦艇も何もかも飛び散る。そしてその後ようやく、すさまじい音が兵士の耳に聞こえる。スピルバーグにぜひ撮ってもらいたいです。栗林中将は千早城の楠木正茂と自分を絶対イメージだぶらせてたと思う。

しかし、「硫黄島での本当の英雄は還って来なかった人たちだ。("The real heros of Iwo Jima are the guys who didn't come back.")」(byジョン・ブラッドリー)、であります。この本を昨年のベスト本に入れてない「2002年のベスト・ブック」的アンケートは信用できないな、と思うぐらいの傑作。騙されたと思って読んでください。文庫で952円+消費税ぐらいだし。

「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされた」という証拠の史料はなかなか見つかりませんでした

これは以下の日記の続きです。
「キリシタンが日本の娘を奴隷として50万人も買った」という既知外テキストを信じている人がまさかいようとは
 
こちらからリファが来てたので。
株式日記と経済展望(2006年3月6日)
「からゆきさん」の話はとりあえず置いておいて、戦国時代の奴隷貿易について。

だから戦国時代といわれた100年余りの間に50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされたと言う事も大げさな話ではないのでしょう。しかし株式日記を読んだ読者にはこれを「既知外テキスト」として切り捨てる人もいる。私はデタラメを書いているつもりはないのですが、それほど現代の日本人は日本の歴史を知らないのだ。

すみません、「既知外テキスト」というのは我ながらあおりすぎたかな、と反省してます。あと、「現代の日本人は日本の歴史を知らない」というのも同意見です。
ただやはり「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされたと言う事」は、いろいろ条件を考えて「大げさな話」と見て問題ないでしょう。
まず、外国の船が戦国時代に日本に初めて来たのは「1543年」(種子島)。
秀吉の鎖国令(バテレン追放令)は「1587年」。
まぁ、せいぜい長くみてその期間は「100年余り」ではなくて40年ぐらい。毎月1000人は多すぎるような気もします。
それだけの輸送量が、当時のヨーロッパの船にあったのか、という問題。
東洋の果てから、それだけの人数をヨーロッパまで運んでも儲けが出たのか、というコストの問題(アフリカからのほうが全然楽です)。
ヨーロッパがそれだけの労働力を必要としたか、という需要の問題(労働力ではなく「性奴隷」としてなら考えられないことではありませんが、それにしても人数は多すぎます)。
で、その40年の間を通して数千、あるいは数万の日本人が「奴隷」としてヨーロッパその他に売られた、という可能性は否定できない(というか、かなり高い)と俺は判断しますが、数十万、というのはあやしすぎます。
で、以下の日記で言及しました関連テキスト(書籍)に、ちょっと目を通してみました。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060304#p1
1・鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』…見つからず
2・徳富蘇峰『近世日本国民史』…秀吉の朝鮮役部分に目を通してみたんですが、「秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録」に相当するものは見つからず
3・「天正少年使節団の報告書」…『天正遣欧使節記』(デ・サンデ著/雄松堂書店)というものが見つかり、その中の対話として「日本人の奴隷」に関するテキストも確認できたんですが(あとで言及します)、「ヨーロッパ各地で50万」その他のテキストは見つからず
4・『天下統一と朝鮮侵略』(藤木久志)…この本の中で『日本王国記』(アビラ・ヒロンルイス・フロイス岩波書店)というのが紹介されていたので、そちらも見たのですが、
5・『日本王国記』(アビラ・ヒロンルイス・フロイス岩波書店)…日本の奴隷貿易に関する言及テキストは見当たらず
あと、本そのものが見つからなかったのが、1以外にこんなのとか。
6・『九州御動座記』…これは『織豊政権キリシタン』(清水紘一著 /岩田書院)というのに収録されているようなので、また探してみます
7・『天正年間遣欧使節見聞対話録』(エドウアルド・サンデ編/東洋文庫叢刊)…これは多分、3と同じものだと思いますが、また確認してみます
8・『在南欧日本関係文書採話録』…見つからず
ということで、恥ずかしながら鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』で紹介されている以下のテキストを探しています。
1:

キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし

2:

行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている

天皇のロザリオ』以外に、それは何という史料の何ページに載っているとか、もしご存じのかた、あるいは見つけたかたがいましたら、本の題名・著者・出版社・載っているページつきで教えてください。少し俺の探しかたがへたすぎるようです。
しょうがないので、俺が見つけた『天正遣欧使節記』(デ・サンデ著/雄松堂書店)の中の、対話部分のテキストで、「日本人の奴隷(奴隷貿易)」について言及しているものをアップしておきます。p232-235

レオ ちょうどよい機会だからお尋ねするが、捕虜または降参者はどういう目に遭わされるのだろう。わが日本で通例やるように死刑か、それとも長の苦役か。
ミゲル キリスト教徒間の戦争で捕虜となったり、やむをえず降伏する者は、そういう羽目のいずれにも陥ることはない。つまりすべてこれらの者は先方にも捕虜があればそれと交換されるとか、また釈放されるとか、あるいはなにがしの金額を支払っておのが身を受け戻すのだ。というのも、ヨーロッパ人の間では、古い慣習が法律的効力を有するように決められ、それによってキリスト教徒は戦争中に捕われの身となっても、賤役を強いられない規定になっているからだ。だがマホメット教徒、すなわちサラセン人に属する者に対しては、別の処置が取られる。これらの者は野蛮人でキリストの御名の敵だから、交戦後も捕えられたまま、いつまでも賤役に従うのである。
レオ そうすると、キリスト教徒なら、その教徒間では戦争中に捕虜となっても、賤役に従えという法律に拘束される者は一人もないわけだな。
ミゲル そうしたことで市民権を失った者はただの一人もない。それはまた今もいったように、古来の確定した習慣で固く守られている。それどころか、日本人には慾心と金銭の執着がはなはだしく、そのためたがいに身を売るようなことをして、日本の名にきわめて醜い汚れをかぶせているのを、ポルトガル人やヨーロッパ人はみな、不思議に思っているのである。そのうえ、われわれとしてもこのたびの旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、道義をいっさい忘れて、血と言語を同じうする同国人をさながら家畜か駄獣かのように、こんな安い値で手放すわが民族への激しい怒りに燃え立たざるを得なかった。
マンショ ミゲルよ、わが民族についてその慨きをなさるのはしごく当然だ。かの人たちはほかのことでは文明と人道とをなかなか重んずるのだが、どうもこのことにかけては人道なり、高尚な教養なりを一向に顧みないようだ。そしてほとんど世界中におのれの慾心の深さを宣伝しているようなものだ。
マルチノ まったくだ。実際わが民族中のあれほど多数の男女やら、童男・童女が、世界中の、あれほどさまざまな地域へあんな安い値で攫って行かれて売り捌かれ、みじめな賤役に身を屈しているのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか。単にポルトガル人へ売られるだけではない。それだけならまだしも我慢ができる。というのはポルトガルの国民は奴隷に対して慈悲深くもあり親切でもあって、彼らにキリスト教の教条を教え込んでもくれるからだ。しかし日本人が贋の宗教を奉じる劣等な諸民族がいる諸方の国に散らばって行って、そこで野蛮な、色の黒い人間の間で悲惨な奴隷の境涯を忍ぶのはもとより、虚偽の迷妄をも吹き込まれるのを誰が平気で忍び得ようか。
レオ いかにも仰せのとおりだ。実際、日本では日本人を売るというような習慣をわれわれは常に背徳的な行為として非難していたのだが、しかし人によってはこの罪の責任を全部、ポルトガル人や会のパドレ方へ負わせ、これらの人々のうち、ポルトガル人は日本人を慾張って買うのだし、他方、パドレたちはこうした質入れを自己の権威でやめさせようともしないのだといっている。
ミゲル いや、この点でポルトガル人にはいささかの罪もない。何といっても商人のことだから、たとえ利益を見込んで日本人を買い取り、その後、インドやその他の土地で彼らを売って金儲けをするからとて、彼らを責めるのは当らない。とすれば、罪はすべて日本人にあるわけで、当り前なら大切にしていつくしんでやらなければならない実の子を、わずかばかりの代価と引き換えに、母の懐から引き離されて行くのを、あれほどこともなげに見ていられる人が悪い。また会のパドレ方についてだが、あの方々がこういう売買に対して本心からどれほど反対していられるかをあなた方にも知っていただくためには、この方々が百方苦心して、ポルトガル追うから勅状をいただかれる運びになったが、それによれば日本に渡来する商人が日本人を奴隷として買うことを厳罰をもって禁じてあることを知ってもらいたい。しかしこのお布令ばかり厳重だからとて何になろう。日本人はいたって強慾であって兄弟、縁者、朋友、あるいはまたその他の者たちをも暴力や詭計を用いてかどわかし、こっそりと人目を忍んでポルトガル人の船へ連れ込み、ポルトガル人を哀願なり、値段の安いことで奴隷の買入れに誘うのだ。ポルトガル人はこれをもっけの幸いな口実として、法律を破る罪を知りながら、自分たちには一種の暴力が日本人の執拗な嘆願によって加えられたのだと主張して、自分の犯した罪を隠すのである。だがポルトガル人は日本人を悪くは扱っていない。というのは、これらの売られた者たちはキリスト教の教義を教えられるばかりか、ポルトガルではさながら自由人のような待遇を受けてねんごろしごくに扱われ、そして数年もすれば自由の身となって解放されるからである。さればといって、日本人がこういう賤役に陥るきっかけをみずからつくることによって蒙る汚点は、拭われるものではない。したがってこの罪の犯人は誰かれの容赦なく、日本において厳重に罰せられてよいわけだ。
レオ 全日本の覇者なる関白殿Quambacudonoが裁可された法律がほかにもいろいろある中に、日本人を売ることを禁じる法律は決してつまらぬものではない。
ミゲル そうだ。その法律はもしその遵守に当る下役人がその励行に眼を閉じたり、売手を無刑のまま放免したりしなかったら、しごく結構なものだが。だから必要なことは、一方では役人自身が法律を峻厳に励行するように心掛け、他方では権家なり、また船が入って来る港々の長なりがそれを監視し、きわめて厳重な刑を課して違反者を取り締ることだ。
レオ それが日本にとって特に有益で必要なこととして、あなた方から権家や領主方にお勧めになるとよい。
ミゲル われわれとしては勧めもし諭しもすることに心掛けねばなるまい。しかし私は心配するのだが、わが国では公益を重んずることよりも、私利を望む心の方が強いのではなかろうか。実際ヨーロッパ人には常にこの殊勝な心掛けがあるものだから、こうした悪習が自国内に入ることを断じて許さない。それはそうと、このあたりで以前の話に戻ることにしてはどうだろう。

…と、こちらのテキストではかなりヨーロッパ・キリスト教圏に甘い(日本に厳しい)評価をしています。
 
 これは以下の日記に続きます。
アルゼンチンに「日本人奴隷」は本当にいたのか