既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる

 これは以下の日記の続きです。
「日本人奴隷」について読んでおかなければならないテキストのメモ(日本語のみ)
 
 ということで、ネットで流れている「戦国時代の50万人日本人奴隷説」の大もととなっていると思われる『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭・成甲書店・2006年)のテキストの当該箇所を読んでみたのですが。
 いやはや。
 これはどうにもこうにも。
 実はその元となるテキストが、ちゃんと書名つきで書かれているではありませんか。
 ネットであれこれ探してたりしないで、さっさと原典に当たればよかったんだよな。下巻p96-97

 徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵の従軍記者の見聞録がのっている(二版では憲兵命令で削られた)。

 キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし。

 ザヴィエルが「キリスト教伝来」を日本にしてからは、今までの日本とすっかり様変わりしたのである。歴史家たちは真実を知らしめるのが本来の姿であるのなら、この本を引用し、真のキリシタン大名、小名、豪族たちの姿を描くがいい。
 ザヴィエルは、日本をヨーロッパの帝国主義*1に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れ込んで売りさばいたボスの中のボスであった。そのアルメイダは大友宗麟に医薬品を与え、大分に病院を建てたという事実のみが誇大に伝えられ、彼は大分県では、宗麟と並んで偉人となっている。
「女たちを南蛮船に運び」、そのかわりに「火薬」を獲得したという単純な事実を、現代の歴史家は無視し続けている。
 キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが天正少年使節団としてローマ法王のもとに行ったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

 行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で五十万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されてゆくのを正視できない。
 鉄の枷をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている。
              (山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』)

 ということで、山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』(新日本出版社。ちなみに「断魂橋」は「どわんほんちゃお」と読みます)に目を通してみたら、全然違うことが書いてありました。まずp24

 また徳富蘇峰は、この人売について、大村由己の「九州動座記」を紹介しました。
「宣教師から硝石樽を入手せんため、大名、小名はいうにおよばず、豪族の徒輩までが、己の下婢や郎党はおろか、自分の妻まで南蛮船で運ぶ。それは獣のごとく縛って船内に押しこむゆえ、泣き叫び、喚くさま地獄のごとし」
 これは大村由己が、秀吉のお供で九州に行ったときの見聞録なのですが、蘇峰がそれを『近世日本国民史』に入れたところ、二版からは憲兵の命令で削りとられてしまいました。

 朝鮮出兵の従軍記者」関係ないじゃん!
 で、『近世日本国民史』の記述を見たんだけれど、やはり初版じゃないせいなのか引用テキストまんまのものは見つかりませんでした。書き写すのが面倒なので、以下のところから書き下し文を引用してみます。
株式日記と経済展望 NHKの大河ドラマの「功名が辻」は単なるホームドラマ

「…今度、伴天連ら、能時分と思い候て、種々様々の宝物を山と積み、いよいよ一宗繁昌の計賂をめぐらし、すでに後戸(五島)、平戸、長崎などにて、南蛮航付きごとに完備して、その国の国主を傾け、諸宗をわが邪法に引き入れ、それのみならず、日本仁(人)を数百、男女によらず、黒船へ員い取り、手足に鉄の鎖をつけ、舟底へ追入れ、地獄の呵責にもすぐれ、そのうえ牛馬を買い取り、生ながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手づから食し、親子兄弟も礼儀なく、ただ今世より畜生道のあリさま、目前のように相聞え候。見るを見まねに、その近所の日本仁(人)いずれもその姿を学び、子を売り、親を売り、妻女げどうを売り候由、つくづく聞こしめされ、右の一宗御許容あらば、たちまち日本、外道の法になるべきこと、案の中に候。然れば仏法も王法も捨て去るべきことを歎きおぼしめされ、添なくも大慈大悲の御思慮をめぐらされ候て、すでに伴天連の坊主、本朝追払の由、仰せ出され候……」

 別に「火薬」「硝石樽」で釣ったわけではないみたいです。
 やっぱこれだな。
教えて!goo キリシタン迫害における真実とは?

一般論として大村由己が残した記録は、宣伝を含めた「公式見解」と考えるべきで、極端な例では、秀吉が天皇のご落胤である事を示唆するような事まで書いています。(大政所が天皇のお手つきになったのだそうだ)。ですから、一般的には、その中身の詳細な部分は単純に信じてはいけない史料なのですが、そのような性格であるの史料ですら、キリシタン大名が火薬と引き換えに売った、などと書いてある事が確認できないのです。

 実は『九州御動座記(九州動座記?)』が掲載されているという『織豊政権キリシタン : 日欧交渉の起源と展開』(清水紘一・2001年)にもざっと目を通してみたのですが、「火薬」「硝石樽」に相当するテキストは見当たらなかったのでした。
 山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』の、別のところの引用をします。p26-27

 有馬のオランダ教科書にその文が使用されてますが、ミゲルを名乗った有馬晴信の甥の清左、マンショを名乗った大友宗麟の甥の祐益らは、
「行く先々でおなじ日本人が、数多く奴隷にされ、鉄の足枷をはめられ、ムチうたれるのは、家畜なみでみるに忍びない」
「わずかな価で、同国人をかかる遠い地に売り払う徒輩への憤りはもっともなれど、白人も文明人でありながら、なぜ同じ人間を奴隷にいたす」
 すると大村純忠のさしむけた少年マルテーは、
「われらと同じ日本人が、どこへ行ってもたくさん目につく。また子まで首を鎖でつながれ、われわれをみて哀れみをうったえる眼ざしは辛くてならぬ……肌の白いみめよき日本の娘らが、秘所をまるだしにつながれ、弄ばれているのは、奴隷らの国にまで、日本の女が転売されていくのを、正視できるものではない。われわれのみた範囲で、ヨーロッパ各地で五十万ということはなかろうポルトガル人の教会や師父が、硝石と交換し、証文をつけて、インドやアフリカにまで売っている。いかがなものだろう」
 これら人売のことでは、ポルトガル王のジョアン三世から、ローマ法王庁に、
ジパングは火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだすのだから、神の御名において領有することができたら、献金額も増すことができるでしょう」
 という進言があり、イエズス会からの戦闘教団が、一五四一年四月七日、八年をかけて喜望峰まわりで日本へと着いたのだという。

 もう、天皇のロザリオ』の著者の人は、『ウサギたちが渡った断魂橋』の元テキストをパラフレーズしすぎです。
 で、この「有馬のオランダ教科書」というのが何のことかさっぱりなのですが(ご存知のかたは教えてください)、『天正遣欧使節記』(デ・サンデ著/雄松堂書店)には、ミゲル・マンショ・マルチノ(マルテー)の、それと似ていながら全然違うテキストが掲載されていたので、もう一度紹介しておきます。p232-235
「50万人もの日本の若い女性がキリシタンや大名によって売り飛ばされた」という証拠の史料はなかなか見つかりませんでした

ミゲル そうしたことで市民権を失った者はただの一人もない。それはまた今もいったように、古来の確定した習慣で固く守られている。それどころか、日本人には慾心と金銭の執着がはなはだしく、そのためたがいに身を売るようなことをして、日本の名にきわめて醜い汚れをかぶせているのを、ポルトガル人やヨーロッパ人はみな、不思議に思っているのである。そのうえ、われわれとしてもこのたびの旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、道義をいっさい忘れて、血と言語を同じうする同国人をさながら家畜か駄獣かのように、こんな安い値で手放すわが民族への激しい怒りに燃え立たざるを得なかった。
マンショ ミゲルよ、わが民族についてその慨きをなさるのはしごく当然だ。かの人たちはほかのことでは文明と人道とをなかなか重んずるのだが、どうもこのことにかけては人道なり、高尚な教養なりを一向に顧みないようだ。そしてほとんど世界中におのれの慾心の深さを宣伝しているようなものだ。
マルチノ まったくだ。実際わが民族中のあれほど多数の男女やら、童男・童女が、世界中の、あれほどさまざまな地域へあんな安い値で攫って行かれて売り捌かれ、みじめな賤役に身を屈しているのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか。単にポルトガル人へ売られるだけではない。それだけならまだしも我慢ができる。というのはポルトガルの国民は奴隷に対して慈悲深くもあり親切でもあって、彼らにキリスト教の教条を教え込んでもくれるからだ。しかし日本人が贋の宗教を奉じる劣等な諸民族がいる諸方の国に散らばって行って、そこで野蛮な、色の黒い人間の間で悲惨な奴隷の境涯を忍ぶのはもとより、虚偽の迷妄をも吹き込まれるのを誰が平気で忍び得ようか。

「鉄の足枷」「ムチうたれる」「秘所」「五十万」「硝石」というようなキーワードがあるような元テキスト(引用テキストでないもの)をご存知のかたは教えてください。
 あと、ポルトガル王のジョアン三世がローマ法王庁にした進言テキストも、ぜひ。
 ちなみに、「火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだす」というテキストが、『天皇のロザリオ』の中ではこうなります。p116

 ポルトガル王のジョアン三世がローマ法王に進言している言葉の中に、キリスト教の恐怖が見えてくる。

 ジパングは火薬一樽と交換に五十人の奴隷(肌白くみめよき日本娘をさす)を差し出します。神の名において日本を領有すれば、献金額を増やすことができるでしょう。
     (山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』)

 こうして、五十万を越える娘たちが、キリシタン大名らを通して売られた!

 麦茶吹かずにいられないぐらい、美しいファンタジー(というよりエロゲ?)変換をしているみたいです。
 ここらへんの妄想になると、八切止夫史観の素晴らしさがあるわけで。
■d-11-1 イエズス会とフリーメーソン

さて、次に鹿島序ォの『昭和天皇の謎』の中の一文を紹介する。
ポルトガルとオランダが諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代になった。信長のキリシタン擁護が腰砕けになったため、宣教師は明智光秀に新式火薬を渡して、信長殺しに成功するが、そのうち秀吉の鎖国政策を嫌った宣教師たちは朝鮮征伐には火薬を供給せず、そのために秀吉の外征は失敗に終わる。しかし、このとき国内にいて火薬を温存させた徳川がのちに政権をとることができた。家康は火薬の流入が日本に戦乱を引き起こしたことを十分承知しており、鎖国の狙いはキリシタン禁制そのものでなく、火薬流入の禁止であった。」
鹿島序ォは、明智光秀織田信長を殺したとしていますが、八切止夫イエズス会が火薬で信長を吹っ飛ばしたとしています。

 胃液吹いた。
鹿島序ォの略歴

(12)、度々の海外旅行の中で立てた彼のお手柄は、三つあるように思う。
 その一つは、タイのバンチェン遺跡を国の内外にいち早く紹介したことである。
これは著書『バンチェン/倭人のル−ツ』として実を結び一九八一年発行されている。
 その二つは、メキシコのマヤ文明倭人の遺産であることを発見し、
これを多くの著書の中で発表したことである。
彼はこういう研究を通じて外国の学者たちとも交流を深めているが、
何時までも国内で認められないことを残念がっていた。
 その三つは、秦始皇帝陵出土の兵馬俑が中国人のそれではなく
ペルシア軍団のものであることを考証したこと、さらに新たな地下宮殿の発見を
中国政府が隠ぺい工作したことなどを鋭く指摘していることだ。
これについては日本に運ばれた兵馬俑しか見たことがない人にでも判るように、
写真入りの『始皇帝ユダヤ』で詳しく述べている。

 もう吹くもん、ないよ!
 なんか歴史学の奥の深さを感じさせられました。
 
 これは以下の日記に続きます。
南蛮人は日本人の娘を50万人も奴隷にとってなんかいません

*1:余計な注釈ですが、16世紀に帝国主義はありません