JANJANに「横山多枝子」さんというステキなおばさんがおりますが
以下の記事の「ご意見」で、こんなことを言ってました。
→まず「総合的な学習」をやめなさい〜子供を低学力の国に拉致するな〜
[5919] 反語/三浦朱門の言うことに間違いない?
かぎりなく非才・無才が増えれば、日本は教育的先進国になるという三浦朱門の言葉に間違いありません。なにしろ彼は文部省おすみつきの森鴎外につぐ文豪ですから。
三浦朱門さんが非才・無才な人に対して言及した、と、斉藤貴男さんが著書『機会不平等』 (文芸春秋)で語っている内容は以下の通りのようですが、
→「教育改革」の本質に警鐘 評者 前田伸二
三浦朱門(前教育課程審議会会長・今回の学習指導要領の下敷きになる答申をまとめた最高責任者)は「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。今まで、中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら『どうせ俺なんか』で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。咋今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。国際比較をすればアメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが、『ゆとり教育』の本当の目的」などと語っている。
このテキストをどう要約したら「かぎりなく非才・無才が増えれば、日本は教育的先進国になる」という文章になるのか皆目不明でした。要約するのなら「できる者を限りなくのばすことで、日本は教育的先進国になる」でしょうか。まぁ、三浦朱門さんが本当にそう言ったとすると、それはそれで問題にすればいいと思うのですが、俺判断ではそんなに問題があるとは、要約してしまうとあるようには思えませんでした。おまけにこの『機会不平等』は、ある種発言者のウラに関しては曖昧なものが多く、三浦朱門さんも実際にそう語っているということでもないみたいです。
しかし、正確に言ったかどうか不明の元テキストを、日本の教育行政を批判するのを目的として、より過激に歪曲してしまう、というのは俺にはどうもよく分からない、国のやることはとりあえず批判しておく、みたいな立ち位置です。あまり頭のよくない人間による政府批判(野党応援)は、逆に政府・行政側に対するメリット、政府応援にしかならないわけで、横山多枝子さんにはもう少し、人の言ったことを正確に引用して批判してもらいたいものだと思いました。
(2009年8月28日追記)
これは以下の日記に続きます。
→「できん者はできんままで結構」(by三浦朱門)の発言初出について