青学高等部の入試問題で、ひめゆり部隊については本当は何と書かれていたのか

今日のテキストは長いです。
こんな報道があったわけですが、
入試問題で「ひめゆり学徒体験談は退屈」 青学高等部朝日新聞

入試問題で「ひめゆり学徒体験談は退屈」 青学高等部
2005年06月09日23時18分
 
青山学院高等部(東京都)の今年2月の一般入試の英語で、ひめゆり学徒隊沖縄戦体験者の証言を聞いた生徒が「退屈だった」と感じたという趣旨の長文読解問題が出題されていたことが分かった。同校は「配慮を欠いた問題だった。深くおわびしたい」としている。
同校によると、生徒の感想文を紹介する形式だが、感想文は実在せず、同校の教諭が入試のために、自身の体験をもとに作成。約1000人が受験した。
出題文は修学旅行で沖縄へ行った生徒は防空壕(ぼうくうごう)を体験した後、ひめゆり学徒隊の体験談を聞き、「正直言って、彼女の話は退屈で飽きてしまった。聞けば聞くほど防空壕の強烈な印象が薄れていった。彼女はその話を何回もしており、非常に話し上手になっていたと思う」と感想を持つ。問題では「なぜ筆者はひめゆりの話が好きでなかったのか」と聞き、「彼女の話しぶりが好きでなかった」など4つの選択肢から答えを選ばせた。
沖縄では、ひめゆり学徒隊の生存者が戦争の記憶を風化させないため、体験を語り継ぐ活動をしている。ひめゆり同窓会東京支部の常任委員で、関東一円の小中学校などで語り部をしている上江田千代さん(75)は「亡くなった同窓生たちに大変失礼だと思う。そういう感想を持った人がいたとしても、それを入試の問題にする感覚は理解できない」と残念がった。

なんで今年の入試問題が今ごろ問題になったかというと、沖縄の新聞がまず書いたらしいです。
ひめゆりの証言「退屈」/東京の私立高入試問題沖縄タイムス2005年6月9日)

元学徒・研究者が批判
 
東京の私立進学校青山学院高等部が今年二月に実施した入学試験の英語科目で、元ひめゆり学徒の沖縄戦に関する証言が「退屈で、飽きてしまった」との英文を出題していたことが九日までに、分かった。生徒の感想文の体裁になっているが、教員が試験のために書き下ろした。元ひめゆり学徒らは「つらい体験を明かしている語り部をむち打つもの」と憤った。同校は「大変申し訳ない」と謝罪している。
英文は三種類の入試のうち一般入試で出題され、千五十七人が受験した。「修学旅行で沖縄に来た生徒」の感想文を読んで、設問に答える形になっている。
英文の中で、「生徒」は壕に入って暗闇を体験した後、ひめゆり平和祈念資料館で語り部の証言を聞く。「正直に言うと彼女の証言は退屈で、私は飽きてしまった。彼女が話せば話すほど、洞窟で受けた強い印象を忘れてしまった」と記した。
さらに、「彼女は繰り返し、いろんな場所でこの証言をしてきて、話し方が上手になり過ぎていた」などと“論評”。設問では、「生徒」がなぜ語り部の話を気に入らなかったのかを問い、選択肢から正解として「彼女の話し方が好きではなかったから」を選ばせるようになっている。
入試問題に目を通したひめゆり平和祈念資料館の本村つる館長は「八十歳近くになっても、話したくないつらい体験を話しているのは、むごい戦争を二度と起こさないよう若い世代に伝えるためだ。それをむち打つような文章は許せない」と、沈んだ様子で話した。「感想は百人百様でも、試験に出題して正解を決めるようなことはすべきでない」と強調した。
石原昌家沖国大教授は「この入試問題は、極限状況の戦争を生き抜き、身を粉にして語る体験者を思いやれないような、教師の資格を失った者が教壇に立っている事実を証明している」と批判。「このような教師に指導される生徒の中には、似たような感想が再生産される」と危惧した。
 
学校側は謝罪
 
青山学院高等部は本紙の取材に対し、「戦争体験を語り継ぐ努力を訴えようと出題したもので、ひめゆり学徒を非難する意図はなかった。配慮を欠く言葉で不愉快な思いをさせてしまい、大変申し訳ない」と述べた。
この入試問題について、那覇市議の島尻安伊子氏(民主クラブ)が九日の同市議会個人質問で取り上げる。

那覇市議会に関しては、以下のところで議事録が検索できるようなので
那覇市議会[Naha City Assembly]
島尻安伊子議員の質疑と応答について、記録が公開されたらまた言及してみたいと思います。
それでまた例によって、ネットの中では問題の「青学高等部の入試問題」について、(多分)読んでもいないのに「ひどい」とか言っている人が山のようにいたりするわけですが。
こんな人とか。
おばかさん:アオガク?アホガク?

こういうアホ学校には抗議しないといけないわね。
てか、こんな入試問題出す学校が実際ホントにあるってことが驚きだわ。

アオガクの生徒さん、こんな入試で受かっちゃっていいのかしら。心配になっちゃう。
試験のできる人間以前に、良識のある人間になってほしいわね。

こんな人とか。
もぐもぐ通信:哲学なき学校教育の恥部

これは、日本人として実に恥ずかしい話です。情けなさと憤りを覚えました。こんな連中に教育云々を語る資格はありません。人それぞれの感想はあれど、こんな感想を生徒に言わさせたことにももっと危機感を覚えないとだめでしょう。んなもん「ひめゆり学徒を非難する意図はなかった」っていうのは所詮言い訳で、ひめゆり学徒を潜在的に軽視していたから、配慮を欠いたんやろ。「大変申し訳ない」と思うなら、本人に直接謝れ!
 
まったく、教育者に確固たる哲学がないから、こんなことになるのです。
こんなん聞くと、一体何が名門なんやって難癖つけたくなる。
 
ともかく、他の生徒と職員や卒業生の方々がかわいそうです。入試問題を手がけた人間の停職や減給クラスの厳正な処分を。もちろん、これは青山学院だけの問題ではないことは言うまでもないですが。

こんな人とか。
Tyurashima Okinawa Diary(2005年6月9日)

この問題の本質は?
教育現場の教員の質の低下と、認識不足、勉強不足では済まされない問題である。
歴史教育のひずみが露呈した証拠である。
悲惨な戦争体験を嘲笑う行為は許せない、
青山学院高等部」はこの程度の学識しか持ち合わせていないのは嘆かわしい限りだ。
沖縄で何を学んだのか、この程度しか理解の出来ない無能教師に教えられる子供たちがかわいそうだ、生徒に教える前に、教師自ら再教育が必要では?昨今の青少年問題もこのような無能教育者が増えた為では?

他にもいくらでも拾えるのですが、せっかくインターネットという情報収集のためのツールと、ブログという情報発信のためのツールを持ちながら、それを十分に利用しないで何かを言っているように俺には思える人が、いまだに多い(それなりにいる)というのは、俺にとっては残念です。
まず、入試問題については、以下のところで読むことができます。(→「児童小銃・2005年6月10日」←経由)
2005年度入試問題・英語(pdfファイル)
読んだ人はこんなコメントをしたり、
弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」(コメント欄)

# edu 『入試問題は、戦争をどうやって語り継ぐかについて、大切な問題提起をしていると思います。戦争体験者には言語道断に感じられても、今の学生には共感しやすく、考えさせられる内容です。まさに問題文にあるとおり年代のギャップはありますから、様々な表現で戦争を語り継ぐ必要性を、積極的に認めなければいけないと思います。「戦争を理解している」(と自称する)人たちが、落合先生の考えた選択肢のような、思考停止した発想しかできないなら、戦争を語り継ぐなど夢のまた夢でしょう。戦争体験者でもなく学生でもない第三者としては、双方を理解した上で戦争について考える必要があると思いました。』

少し考えたり、
+ katariya blog +:入試ひめゆり問題。

本編を書いた後に、実際の問題文を読みましたが、報道にあるような不真面目な内容ではなく、戦争体験をいかにして後世に伝えるかが主眼の至極まっとうな文章でした。
ですので、上記の本編の内容は、全面的に破棄します。一応そのまま残しておきますので、記事だけを見て迂闊に文章書くとこう言うことになるという、浅ましき似非紳士の恥としてご覧下さい。

マスコミの報道姿勢を問題にしたり、
夢幻の如: ひめゆりで思った事・マスコミ編

何と言いますか、今回のこの記事には、『非常にタチの悪い捏造』と言って良い位の嫌悪感があります。

読みながらも、批判的だったり、
28歳留学一年生: ひめゆりを扱った英語入試問題のばかばかしさ

たしかに新聞記事とは若干違った印象を受けます。
しかし。
私が受けた印象は、「報道されているほど問題はない」のではなく、むしろ逆に、新聞記事で伝えられた以上に問題があるのではないか、ということです。

いろいろあるわけですが、それらのテキストは、どれもなかなか読ませたり考えさせられたりするのでした。「新聞しか読んでないんだけど、青学高等部ひどーい、信じられなーい」としか言っていない人たちはまず、新聞その他のマスコミ報道が提供するのは「このようなことがあった」という情報を、情報提供者が主観的に加工したものでしかないこと、したがって本当に何があったのか、については、可能ならばさらに一次情報に近いものを当たってみるよう努力しないとわからないこと、を助言しておきます。「事実・真実」とマスコミ報道との微妙な違いが、そうすることでわかると思います。
まぁ余計なことはともかく、以下のところには問題文をテキスト化したものがあり、
夢幻の如: ひめゆりかぁ…(前半)
児童小銃:入試問題で「ひめゆり学徒体験談は退屈」 青学高等部(後半)
以下のところにはそれの和訳があったり
はむはむの煩悩 | ひめゆりの英文を和訳してみる(前半)
はむはむの煩悩 | ひめゆりの英文を和訳してみるその2(後半)
俺があえて似たようなことをやらなくてもいいとは思いますが、それらのテキストに気がつく前に和訳しちゃったので、英文とあわせて添付しておきます。こんな感じ。

Almost 60 years have already passed since World War Ⅱ ended in August,1945. Well,of course you can say that this war is not over yet for some people in some ways, so it could be "only" 60 years. Anyway,we have to think about this age. We should not forget this important experience. Japan is the only country that has experienced the atomic bomb. We, all Japanese, even people born after the war, are responsible for telling the world not to make the same mistake again. But remember, it's been 60 years. Year by year, we are losing people who have experienced the war. From then on, in what way can we pass our experiences, messages and wishes to the next generations?
 
1945年の夏に第二次世界大戦が終わってから、ほとんど60年が過ぎました。確かに、何人かの人にとってはいろいろな意味でまだ終わっていない戦争で、「まだ」60年、でもあるでしょうか。とにかく私たちはこの期間について考えなければなりません。この重要な経験を忘れてはいけません。日本は核兵器を経験した唯一の国です。私たちすべての日本人は、たとえ戦後の人間であっても、同じあやまちを繰り返さないために、そのことを語る責任があります。しかしとはいえ60年ですから、年を追うごとに戦争を経験した人間は亡くなっています。それなら、どのような方法で私たちは自分たちの経験、メッセージ、意志を次の世代に伝えることができるのでしょうか。

Last summer, I saw an unforgettable TV program. Actually, it was shocking. It was a special program to remember the end of Wold War Ⅱ. It came from one writer's war experience and had many old soldiers' comments. Most of those soldiers were in their late eighties, unable to hold their shaking bodies without the help of their walking sticks. The program didn't hide any of the dead bodies of the soldiers. I wasn't ready for such a scene and I couldn't keep watching it, so I turned the channel to another program. I understand that such pictures can be useful. On the other hand, I thought many people would fell the same way I did. But to my surprise, a few days later, I found a letter from an old lady in the newspaper. In the letter, she said that she was impressed with the program. "Thank you for showing the pictures. We will soon become unable to describe the war with words but we can tell something even without using words. We shouldn't be afraid of showing the truth." After reading this letter, I started to remember one of my high school experiences.
 
昨年私は忘れることができないテレビ番組を見ました。実際、ショッキングでした。それは第二次大戦末期を思い起こさせる特別番組です。一人の作家の戦争体験と、複数の年老いた兵士たちのコメントによるものです。兵士の大部分は80代後半で、杖の助けなしでは震える体をささえることができませんでした。番組は兵士の死体を一切隠しませんでした。そのような場面に対する心の構えは私にはなく、見続けることができなくて、テレビのチャンネルを変えたのです。そのような映像が有意義だということは知っていました。しかし一方では、私と同じようなことを考える人も多かっただろうということも。しかし驚いたことに何日か経って、私は年老いた婦人の投書を新聞で見ました。それには彼女は、その番組に感動した、と書いていたのです。「映像を見せてくれたことに感謝します。私たちはもうじき戦争を言葉で語ることはできなくなるでしょうが、言葉以外のことで何かを伝えられるのですね。真実を見せることを恐れるべきではありません」この手紙を読んで、私は高校時代のある経験を思い出しはじめました。

It happened during my school trip to Okinawa. During my stay, my class had a chance to visit an old air-raid shelter which was last as it was from the war. Everyone had their own lights, and followed the old guide info the cave. Inside the cave, it was dark and wet. It was almost untouched from the time of the war. It was a perfect playground for city kids. We laughed at each other when someone slipped and fell. We enjoyed the echo of our voices. "Won't it be interesting if we camp here?" someone said. Yes, that sounded really nice! Then the old guide said, "OK, let's turn off our lights." After the final light went out, darkness appeared. It was a ( 3 ) darkness. No one said anything. I mean "couldn't say" anything "This is the war. The only thing we wished in this cave was to survive the war. I don't want to experience it again." On our way back, no one spoke and of course no one laughed. I still remember how I felt when I saw the outside light and how I thanked God when I finally got out of the cave. I wasn't surprised when I saw some of the girls were crying. There weren't many words but we understood what that experience meant. Only at that moment, I understood why the old guide didn't talk much and answered our questions with only a few words during the tour.
 
それは沖縄への修学旅行のときのことです。滞在中に私たちのクラスは古い防空壕を見る機会がありました。それは戦争中から残っていたものです。各自が明かりをもって、年老いたガイドに従って洞窟に入りました。洞窟の中は暗くて湿っていました。戦争のときからほとんど手が加えられていないのです。都会の子どもたちにとっては完全な遊び場です。私たちはお互いに、誰かがすべったり転んだりしたときには笑っていました。声がこだまするのを楽しみました。「ここでキャンプしたら面白くないかい?」と、誰かが言いました。確かにそれはいい考えのように思えました。そのとき年老いたガイドは言いました。「それでは、みんな明かりを消してみてください」。最後の明かりが消えると、暗闇になりました。それは(3)な暗闇です。誰も何も言いません。というより何も「言えなくなった」のでした。「これが戦争です。私たちがこの洞窟で願った唯一のことは、戦争を生き延びることでした。そのような経験をもう一度したいとは私は思いません」帰り道では誰も何も話さず、もちろん笑うこともありませんでした。私はいまでも、外の明かりが見えたときに何を感じたか、最後に洞窟を出たときにいかに神様に感謝したか、ということを覚えています。女の子の何人かが泣いていたのを見たときにも驚きませんでした。たくさんの言葉はありませんが、私たちはその経験が意味することは理解しました。そのときようやく、私はなぜその年老いたガイドがほとんど話さず、旅行中にほんの少しの言葉で質問に答えたのかがわかりました。

Then we moved to the Himeyuri Memorial Park. Although we started to forget the cave, we still didn't talk much because we were a little afraid and nervous that we might have to listen to some stories, maybe even more shocking. Yes, the story that the old lady who survived the Himeyuri squad told us was shocking and gave us a great image of the war. But, to tell you the truth, it was boring for me and I got tired of her story. As she spoke more and more, I lost my strong impressions from the cave. I could see that she told the story so many times, on so many occasions, and she became so good at telling it. Her story sounded so easy, like a bedside story told by a mother to a baby. Of course, some of my friends were moved by it, so I shouldn't say that her story didn't mean anything.
 
そして私たちはひめゆり平和祈念公園に移動しました。洞窟のことは忘れはじめましたが、さらに衝撃的な物語を多分聞かなければならないだろうため、いささか心配だったりナーバスだったりして、お互いあまり話はしませんでした。確かに、ひめゆり部隊で生き延びたおばあさんの話はショッキングで、戦争に対して強いイメージを受けました。しかし実際のところ、それは私には退屈で、彼女の話には飽きてしまいました。話されれば話されるほど、私には洞窟の強い印象が薄れてきました。その物語は何度も、いろいろな機会に話されたので、話すことがうまくなったように私には見えました。物語は安易に聞こえ、母親が赤ん坊に話す寝物語のようでした。もちろん、私の友人の何人かは心を動かされましたので、その物語はあまり意味がないと言わざるを得ませんその物語が無意味とまではいうべきではないでしょうが(注:コメント欄での指摘により修正しました)。

Passing truths and experiences to the next generation is important work. But how? WHat is the best way to do it? Of course the clearest way is with WORDS. The power of words is great. But the problem is how we understand them. If the listener doesn't understand the ideas of the speaker, even a good story becomes just a list of words. Another problem is that if the speaker's opinion is too strong, it may give a different message. Remember the Asian Soccer Cup held in China last summer? Many Chinese booed Team Japan. Probably most of them heard war stories from their parents and created their own ideas about Japanese. Of course we shouldn't say that the information they got from their parents was wrong, but what exactly did their parents say to them? And how?
 
次の世代に真実と経験を伝えることは重要な仕事です。しかし、どうやって。そのために一番いい方法は。もちろん、確かな方法は「言葉」です。言葉の力は大きいです。しかし問題は、どうやって私たちがその言葉を理解するか、です。聞き手が語り手の理念を理解しなければ、いい物語であってもただの言葉のつらなりにしかなりません。もう一つの問題は、語り手の主張が強すぎるときには、それは違うメッセージになるかもしれない、ということです。去年の夏中国でおこなわれたアジア杯サッカーを思い出してください。多くの中国人は日本チームにブーイングを送りました。多分そのうちの大多数は両親から戦争の物語を聞き、日本人に対して彼らなりの考えを持ったのです。もちろん私たちは彼らが両親から受けた情報が間違っていると言うべきではありませんが、実際のところ彼らの両親は何を、どのように言ったのでしょうか。

As I wrote, we will not be able to listen to firsthand messages about the war someday, but there are some other ways instead. Sometimes you can send the best message without words. When you become a student of Aoyama Gakuin High School, you will visit Nagasaki on your school trip. You will have a chance to listen to the stories of people who experienced the atomic bomb. What message do you think you will get at that time?
 
前に書いたとおり、私たちはいつの日かには戦争についての直接のメッセージを聞くことは出来なくなるでしょう。しかしそれに変わる方法はあります。ときどきあなたたちは言葉を使わないでベストのメッセージを送ることができます。青山学院高校の生徒になったときには、あなたたちは学校の旅行で長崎を訪れるでしょう。原爆を体験した人たちの話を聞く機会もあると思います。そのときあなたたちはどんなメッセージを得るでしょうか。

いかがでしょうか。俺の考えとしては、このテキストの全文を読む限りでは、マスコミ報道が誘導しようと思っているほどには、ひめゆり部隊語り部であるかたがた(おばあさん)や、その物語を愚弄するようなものにはあまり思えませんでした。洞窟や映像など、言葉よりも感じさせるものと比べて、戦争体験を語り・物語によって伝えることの困難さと、その限界を理解し、手法としての疑問を(中国国内での、ある種間違った戦争体験の伝授とあわせて)提示している、という、聞き手と送り手(語り手)との双方の、深刻な問題について考えさせられる内容でしょう。
やはりどうも納得いかないのは、このテキストを書いた人も、沖縄のひめゆり部隊だった人も、戦争に対して反対する気持ちは(多分)同じだと思うんですが、それを対立する形であおってしまうマスコミ報道のありかたです。新聞のコメントを読む限りでは、元ひめゆり部隊の人も、沖縄の教授の人も、入試問題を熟読したとはあまり思えないような気がします。
さらに問題なのは、新聞のあおり行為に乗って、ブログという情報発信システムの中で安直に青山学院高校側を批判しているブロガーの存在でしょうか。
俺自身は、すでに1年以上前の「高校生の請願書」で「請願書読まなかった小泉首相はひどい人」というコメントを流していた人たちと同じ既視感はありますが、
「女子高生・今村歩さんの請願書」を話題にしているかたへの質問
そのときと比べると、確かに、元ソース(入試問題)を読まないで何かを言っている人は激減していたり、言ったあとに読んで違う考えを持ったりしている人が多かったりしています。「情報を発信しようと思う人は、可能な限り情報の正確な入手を心がけなければならない」という考えがさらに広まると俺としてはさらにうれしいのですが。
あと、こんなのがあることがわかったり。
照屋文恵の那覇便り(2005年4月6日)

沖縄戦継承 次世代へ
 
ひめゆり平和祈念資料館さんに1日、学徒隊生存者の「語り」を受け継ぐ説明員に仲田晃子さん(28)が着任されました。身をもって体験した戦争の愚かさを語り継いできた同館で、生存者以外が来場者に説明するのは初めてです。沖縄戦の生存者の高齢化が進む中、「ひめゆりの心」を次世代につなぐ試みが始まりました。
1989年の開館時に28人いた生存者の語り部は2人が死去、病気で休む人もいて現在は16人に減っています。いずれ訪れる生存者がいない時代に向け、同館は「次世代プロジェクト」を立ち上げて継承のあり方を模索してきました。昨年の全面改装で、証言を補う展示や説明文を増やしたのもその一環です。ただ、本村つる館長は「亡くなった友人や私たちの平和への思いを受け継いでくれるのは、やはり人だ」と語ります。
後継者の第1号に選ばれたのは、琉球大学大学院でひめゆり学徒隊に関する新聞報道を研究した仲田さん。「物よりも言葉を伝え続けるのが資料館の役割。先生方と同じようにはできないが、私なりの説明の方法を探していきたい」生存者が「証言員」なのに対して、仲田さんは「説明員」。体験の重みの違いは否めません。しかし、同館は非体験者がアウシュビッツ強制収容所などの先例に学び、時間をかけて育成する考えです。
「私たちが元気なうちに何度も体験を伝えていきたい。子どもだと思って育てる」と本村館長。仲田さんは「とにかく勉強です」と、説明員として来館者の前に立つ日を思い描いています。

(太字は引用者=俺)
このままだと、「戦争体験を次世代に語りつぐ」という反戦の目的が、目的そのものとは乖離して沖縄の文化、というか伝統芸能になっちゃいそうな気がするんですが…。まぁ、そこまで行かないと世の中が「本当の平和」ではない、ってことなんでしょうね。
沖縄タイムス社説 2005.6.12

東京にある青山学院高等部の入試で、元ひめゆり学徒の沖縄戦に関する証言が「退屈だった」という趣旨の英語の読解問題が出題されていた。
出題文は修学旅行で沖縄に来た生徒が、壕で暗闇体験をした後、ひめゆり平和祈念資料館で語り部の証言を聞くという設定。
生徒は「正直に言うと彼女の証言は退屈で飽きてしまった」「彼女はその話を何度もしていて、とても話し上手になっていた」と印象を記述する。
設問では「なぜその話が好きでなかったか」を四つの選択肢から選ばせ、「彼女の話し方が好きでなかった」を正解とする。
沖縄戦体験者ならずとも、心がひんやりする話だ。
十数年前にも似たようなことがあった。
戦跡めぐりをした本土の大学生が、ひめゆり資料館を「被害者顔をしている」、証言員が自分の語りに「酔っている」など感想をつづった報告書をまとめ、ひんしゅくを買った。
戦跡を案内した沖縄国際大学の学生が、「大きな誤解と認識不足」として反論集を出し、議論にもなった。
沖縄戦を知らない若い人たちが、駆け足で戦跡を回ると、そういう感想を持つこともあるだろう。
認識不足は残念ではあるが、個人の感想を否定することはできない。
しかし今回は問題の質が違う。
なぜあえて入試問題で取り上げたのか、どういう意図で作成したのか。
戦争を現実のものとして受け止めきれない生徒たちに、問題と向き合うための受け皿をつくるのが、教師の役割ではないか。
ひめゆり語り部たちは、自分のつらく、壮絶な戦争体験を次世代へつなごうと努力してきた。当初、口を閉ざす者も多かったが、実相を伝えることで平和を築こうと重い口を開いた。
彼女たちを突き動かしているのは、あの時代を生きた者の責務と使命感だ。
戦後六十年が経過し、日本人の四人に三人は戦後生まれになっている。子どもの親だけでなく、祖父母までが戦後世代という家庭も少なくない。
だからこそ体験者の言葉や見方が重要になってくる。戦争や平和の問題をわが身に引き寄せる平和学習の意義もそこにある。
資料館に身を置いて、六十年前の戦争、将来を奪われた学生、子を失った親の気持ちを想像してみよう。
亡くなった人や体験者の「思い」を受け止める感性を身に付けることが、平和を享受する世代の責務である。

この社説を書いた人も、何となくちゃんと入試問題を読んでいないような気がします。ちゃんと読んでいたら「どういう意図で作成したのか」について、「あの時代を生きた者の責務と使命感」という否定しにくいキレイゴトで青学高等部の人を批判するのではなく、「平和を享受する世代の責務」に関する問題提起を、もっと真剣に考えるような社説になっていたのでは、と思いました。
しかし、「沖縄国際大学の学生」による「反論集」と、ひめゆり部隊の人たちの「語り」は、実際に読んだり聞いたりしてみたいものです。
 
↓これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050616#p1