そうやって何でもかんでも「政治的バイアス」にしとけばいいと思っている人について

なんで『嗤う日本の「ナショナリズム」』を読まなければいけない気分になったのか、少し思い出したのでした。
「バターン死の行進」問題まとめ——「ネタ」のシニシズムについて

ではなぜ私が介入したのかと言えば、愛・蔵田氏が(2月28日という未来日付になっているけれども実際には2月24日だか25日だかにアップロードされている*5)「俺の日記の記述にこだわる「十条」さんについて少し因縁を考えてみる」(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060228#p2)というエントリで自称しておられる「俺自身は、左寄りのサイトのテキストをネタとして扱う理由は、ネタとして面白いから以上の理由はありません」というスタンスを問題視したからです。

愛・蔵田氏
まぁ、それはともかく。

この私の動機を完全に理解していただくためにはぜひとも北田暁大氏の『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)を読んでいただきたいのですが、その要点だけを述べれば自分が関わる対象を「ネタ」と称するシニシズムを問題にしているわけです。

えー!? 読んでみたんですが、この本の要点は「シニシズム」じゃないですね。これは1960年代から2000年代初頭にかけての「反省」とそれをメタ化する手続きに関しての社会学的考察について述べている本です。

所詮「ネタ」なんだからオレに細かい突っ込み入れるのはヤボだよ、と予防線を張りつつ、「ネタ」とする対象についてはとことんコケにすることを可能にする態度のことです。詳細は『嗤う日本の「ナショナリズム」』に譲るとして、簡単に言えば私は今の日本社会の、特にネット上での言論の退廃は主としてこの手のシニシズムに起因していると考えているわけです。

だからまぁ、そういう「誤読」に基づく詳細の譲渡は、しょうがないから諦めて(言及はとりあえず置いておいて)、俺のほうは、ネット上での言論の退廃は「俺がこう思っているのにそうは思わないお前は馬鹿」と、根拠(ソース)を明示しないで言い続けている、割と言論にこだわっている人たちにあると判断しています。

愛・蔵太氏がSWCやレスター・テニー氏の情報収集については極めて高い水準を要求しつつ、自らの情報収集についてはそれよりずっと低い水準で良しとしている点を問題にしたのも、もちろんこの点と関連しています。実際、氏はSWCやテニー氏に伝えられた情報が歪んでいる「可能性」についてはなんら具体的な根拠もなしに危惧してみせるくせに、そもそも『文藝春秋』に掲載された笹論文に問題があった可能性については金輪際検討しようとしていません。本人がどう自称しようが、また本人の主観的な意図がどうであれ、結果として愛・蔵太氏の言説は『文藝春秋』を一方的に擁護するものとして機能しているわけです。

いや別に擁護も批判も『文藝春秋』中のテキストに関してはする気はないですから。そういうのがしたい人は、そのテキストを読み込んでやればいいだけのことです。俺が問題にしているのは、読まないでそれに対して「抗議」という否定的ベクトルを持ってしまったレスター・テニー氏およびSWC、さらに元テキスト製作者に適切な翻訳であるか否かの確認もさせずに英訳して関係者に流してしまったPOWおよび翻訳者だと、これは何度も述べている通りです。そういうリアクションの取りかたが「メディア・リテラシー的にどうよ」というのも何度も述べている通りです。

愛・蔵太氏が「ネタ」をもっぱら「左寄りのサイトのテキスト」から選び出してくること自体に文句を言うつもりはさらさらありません。それを言うなら、私の「ネタ」はもっぱら「右寄りのサイトのテキスト」から選び出されていますから。問題は、私は自分が主として「右寄りのサイトのテキスト」から「ネタ」を選ぶ理由が私が左翼であるところにあることを自覚しているし、そのことを隠してもいないのに対して、愛・蔵田氏は彼が「ネタ」を「左寄りのサイトのテキスト」から選ぶ理由があたかも政治的には中立であるかのように自称している点です。ぶっちゃけて言えば、そんなことあり得ないんですよ!

ぶっちゃけて言いすぎの気もしますが(ていうかそれ以前に、俺の名前を間違えないでいただけるとありがたいです)、まぁそんなに興奮しないで。
まず、なぜ「左寄りのテキストがネタになりやすいか」ということなんですが、新聞・テレビを代表とするマス・メディアは、たいていの場合「その背後に左寄りの人たちがいる」といういことをちゃんと報道してくれないんですよ。今回の例だと、「文藝春秋の記事に抗議した元捕虜の人がいた」までは報道するんですが、「○○という組織がその背後にあった」とか、「その組織は××という運動にも関係している」とか。そういう組織や運動に対して否定する気は皆目ないんですが(これも何度も言わなければいけないようなことでしょうか)、俺自身の興味が、逆にそのことによって動いてしまうのは仕方ないですね。

ご本人の主観にとっては純粋に“面白さ”という基準でネタを選んでいるというのが真実だ、と仮定してもかまいません。しかしながら、どのような言説を「ネタとして面白い」と判断するかという段階で、すでに政治的なバイアスはかかっているのです。

いや、だからそれを「政治的なバイアス」と見る時点で認識のずれがあるかな、と。
「マス・メディアの報道が真実の一部しか語っていない、それも反政府的な事件に関しては特に」というのは、これはもう基本的に「左寄りの言論に対する不満」なわけですよ。政府を批判するのはマスコミの重要な役割であるのに、ほんの少し調べるだけでも「情報の歪曲」がある、なんて例にしょっちゅう出会っている俺にとって、「政府批判もいいけど、真実に基づいて批判するとか、あるいは政府が隠している情報操作・歪曲とかを暴いて欲しいんだけど、お前らが情報操作してどうするの」みたいなことは、あんまり右・左関係なく気になることなんですね。

愛・蔵太氏が“SWCが『文藝春秋』に抗議した背後に日本人がいたと思われる”ことを「ネタとしておいしい」と判断したのは、明らかに彼の政治的バイアスによるものです。だって、彼は「ことばの壁に由来する誤解が抗議の背景にあった」と考える具体的な根拠を今になってもなに一つ提示的できていないのですから。

いや、レスター・テニー氏が日本語ができないことは(少なくとも、できた証拠が見当たらないことは)再三言っているんですが、それは「ことばの壁に由来する誤解」の具体的な根拠にはなっていないですか。そちらが満足できるような「具体的な根拠」ではないからと言うのでは「これは俺が考えるものと違う」と、何かこうワガママなことを言っている人でしかないわけで。

彼にとっては、保守系の雑誌に掲載された戦争責任問題関連の記事に海外から抗議があれば、その抗議の正当性をこれっぽっちも検証するまでもなく「おいしいネタ」になるわけです。これが政治的バイアスでなくてなんでしょうか?

正確に情報が流通する世の中にするためには、「海外からの抗議」を招いている人たちに「政治的バイアス」があることを言ってみるとか、そもそも海外の人間の抗議を問題化させるマスコミの報道のしかた(歪曲部分)に言及するとか、海外でもこういうのに抗議しているのは日本語が分からない人ばかりだとかいうことを世間にもっと知らせるとか、要するに俺がやっていることがそれなので、「政治的バイアスなさすぎ」という異議申し立てはともかく、「これが政治的バイアスでなくてなんでしょうか?」とは何がなにやら。
保守系の雑誌に掲載された戦争責任問題関連の記事」が事実と異なっている、という「記事そのものの分析」と、「記事の流通のさせかたにおける政治的バイアス」とは、分けて考えてみたいのですね。俺は「保守系の雑誌のテキスト批判」を、感情的なイメージ操作抜きでやっている例をあまり知らないので、俺には過ぎた芸なのかも知れず。そういう意味では「左寄りのネット言論芸人」を待望しているのです。
で、結局、『嗤う日本の「ナショナリズム」』は「ネタとしてのシニシズム」とか「ネット上での言論(の退廃)」について考えるには、俺にとってはあまりいい本ではなかったのでした。
俺のほうもぶっちゃけて言うと、だいたい俺は、ネット上での言論は退廃しているとも、シニシズムに流れているとも思っていないのですよ。再三これも俺の日記を前から読んでいた人なら知っている通り、個人テキストサイト時代からブログ全盛の今にいたるまで、そうだな、ざっと数万の個人サイト・ブログを覗いてきた俺なりの結論としては、
1・個人サイト/ブログで「政治的」な話をしているのは少数派
2・右寄り/左寄りという分け方をすると、普通にバランスは取れている(ネット言論が特に保守的だったり、シニカルに走っているということもない)
3・新聞やテレビがこう言っていた、という形での情報入手&流通をさせていて、ソース(元ソース)にまで当っているサイト/ブログはとても少ない(これは割と重要かも)
というのがあります。
たとえば、俺が「定期巡回サイト」としてRSSその他に登録してあるサイト/ブログは1200ぐらいなんですが、その中で「政治的」なのをウリモノにしているところは30〜40ぐらいかな。まぁ5%はいってません。俺の興味の問題もあるので(たとえばサッカーやパチスロ、競馬やコスメなどは俺の趣味の範囲外です)、全サイト/ブログを対象にしたら、多分もっと少ないぐらいでしょう。
2ちゃんねる的な匿名コミュニケーションにおける「共通の姿勢としてのシニシズムあるいはアイロニー指向」は、批評の一つのスタイルとして言及・研究する意味はあるとは思いますが、それはあくまでも「2ちゃんねる」という枠組みを考えるためのもので、ネット全体に適応させてしまうのは、いくら2ちゃんねるが大きいとはいえ、無理です。
ネット世論・言論については、ネタ的に読み手を退屈させないで話を続けられる技術を持っていないので、まぁこのへんにしておきます。俺がしたいのは「自分はこう考える」という話より「こう考える○○がどこそこにいるが、その考えはどこから来ているのか、それは本当か」という、他人に関する話なのでした。