ネットのテキストはワイドショー化の方向に流れやすく、そしてそれは悪いことです

こんなところから。
煩悩是道場 - ブログは「ワイドショーが増えただけ」ではまずいのか

ある一つの事象に対して二つもしくはそれ以上の言説が出たときに「どの意見をより支持するか」は結局のところ"正しさ"を証明出来るだけの裏付け的なデータであったり文章の説得力であったりブロガー自身が持つカリスマ的な魅力?であったりするわけですが、ウエブログは自由な議論が行える上、ブロガー自身が余程カリスマ的なパワーを持っていたとしても「間違っている」意見を書けば、周囲からの「違う」という意見が提示され、読み手は周囲の反応によって頻度依存行動的に「違う」と判断する事になりますから「誰か」を貶める機会は減るという結論に達するものと思われます。

甘すぎ。ていうか甘く考えすぎ。
俺は主に「劣化ウラン弾」に関することで、「きっこの日記」のような、どこかで小耳に挟んだだけの、裏を取っていない(あるいは、裏を示すことができない)ワイドショー・ブログに対してさんざん、「あなたの言うことはこのように変です」と言い続けてきました。
約2年ぐらい
しかし、「劣化ウラン弾こわーい、奇形の子供っていやー」「アメリカ許すまじ」と言っている人の数は、劣化ウラン弾がブームでなくなってくるまでは減りませんでした。
要するに、「ネットのテキストなんて、その程度の、ワイドショー的にしか読まれてないし、普通の人間はそのテキストに対して違う・正しいなんて判断はしやしない」ということです。
「影響力のあるブログ」は、「ワイドショーみたいなブログ」です。噂と噂好きな人のエネルギー、恐るべし。