こんな「ネット右翼」の定義はあまり聞いたことがないけど、朝日新聞的にはそうなのか。あと「萎縮の構図」という記事で言及していないことについて

朝日新聞2006年5月5日の記事、「萎縮の構図・4:炎上」から。

東京弁護士会に所属する小倉秀夫さん(37)のブログに寄せられるコメントの数は多い時でも日に20前後だった。それが昨年2月初め、10倍近くに急増した。
普段はIT関連について考えを掲載している。そこに他人のブログに攻撃コメントをしつこく投稿する行為をいさめる意見を載せた。その直後のことだった。
コメントの大半は批判だ。差出人の名前の欄は「Unknown」。匿名だった。「あなたは勘違いしている」「なぜ非を認めないのか」……
回答しないと「このまま逃げたらあなたの信頼性はゼロになりますよ」。反論すれば、再反論が殺到した。議論の場から離れることを一時も許さない「ネット右翼」だ。
数年前からネット上で使われ出した言葉だ。自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々を指す。右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので、そう呼ばれるようになった。
 
このブログを毎夜見つめる男性が東京の下町にいた。自分でもブログを持ち、「炎上観察記・弁護士編」と題するコーナーを設けている。
30代半ば。かつては小説を出版したこともあるが、いまは無職。両親と同居し、昼夜逆転の生活。「観戦席」は自宅2階、6畳の自室だ。
チェック開始は午後11時。自らもコメントを送りつつ、批判コメントが殺到し制御不能(ネット用語で「炎上」)に陥っていく様子を伝えた。
男性のブログは、匿名掲示板や軍事をテーマにしたサイトともつながる。「観察記」を見た人がどんどん、小倉さんのブログに集まってきた。
「たかだか200や300の批判で黙られても困りますねえ。あれじゃあ、議論にならない」
男性はそう冷やかす。
共産主義に傾倒した時期もあったが、「だんだん国を愛する気持ちが強くなった」という。自分のような人間を「ネット右翼」と呼ぶ人がいることも知っている。「朝日新聞を筆頭に既存メディアの報道に感じる違和感を消化するため、僕は僕なりの考えで調べ、主張する」
(以下略)

(太字は引用者=俺)
ネット右翼の定義」を「自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々」とするのもあまり納得はいきませんが、朝日新聞がそう定義するのなら、別に朝日新聞内のこととしては特に問題はないのかな(一応「はてな」のキーワードには追記してみました)。
で、新聞記事には書かれていないことを、若干補足してみます。
小倉さんの「他人のブログに攻撃コメントをしつこく投稿する行為をいさめる意見」というのは、多分以下のテキストだと思うんですが、
小倉秀夫の「IT法のTop Front」:他人のblogを閉鎖に追い込むことはむしろ恥ずかしいことだ(2005年02月09日)

最近は、他人のblogを閉鎖に追い込んだことを自慢される方々もおられるようですが、私は、そういうことって自慢するようなものではなく、むしろ恥ずかしいことなのではないかと思います。特に、理路整然とした、品位を保った議論によって相手に自らの非を気付かせるのではなく、品位を欠くコメントを執拗に投入したり、匿名掲示板などで個人情報を晒すなどの相手のいやがる行為を行うことにより、自分とは異なる意見を表明する者に、そのblogを継続する意欲を奪う、あるいはblogを継続することに恐怖を感じさせる人々というのは、思想の左右を問わず、「民主主義の敵」と言っても差し支えないように思います。
また、匿名掲示板でも匿名blogでも、自分とは意見が異なる第三者を「反日」だ「工作員」だとレッテル張りをして攻撃するのがはやっているようですが(まあ、某与党幹部のような「いい年をした大人」でもやらかすのだから「お子様」がまねするのは仕方がないという言い様はあり得るのかもしれませんが。)、そこまでいくと、サンスティーンが言うところの"a group of people who tend to think something"にはもはや留まっておらず、a group of people who "don't appreciate but instead demonize those who disagree with them"という領域にまで行き着いているのではないかという気がします。
仮名で情報発信している人がその仮名とリンクする形で実名を公表されることをいやがることは同じく仮名又は匿名で情報発信を行っている方々には重々おわかりだと思うのですが、demonize済みの相手に対しては、そういう配慮を一切できなくなるということなのでしょうか。いずれにせよ、人間としての器の小ささを感じます。

(太字は引用者=俺)
ただ、朝日新聞の記事にあった「あなたは勘違いしている」「なぜ非を認めないのか」というコメントは見当たらなかったので、小倉さんの別のエントリーなのか、小倉さんがそういったコメントを削除してしまったのか、朝日新聞が捏造しているのか、は不明です。
どなたか、「あなたは勘違いしている」「なぜ非を認めないのか」というコメントがついている、小倉さんのエントリーがあったら教えてください。
一応、こんなのは見つかりましたので、本気で探せば見つかりそうな気がします。
小倉秀夫の「IT法のTop Front」:インターネット上の誹謗中傷と責任(コメント欄)

Unknown (Unknown)
 
2005-04-14 22:28:30
 
実名で匿名性擁護の意見を行った
落合先生と町村先生に反論は出来ないんですね。
あちらの方が意見は明快で人間として尊敬出来ます。
 
で、多数の批判コメントに対して己の非を認めたく
ないがため勝手に作った言葉である
 
コメントスクラム
 
の小倉氏による定義づけはまだですか?

(太字は引用者=俺)
で、その小倉さんの「blogを閉鎖させる人批判」テキストに、「切込隊長」というアルファブロガーな人が以下のような言及をするわけです。
切込隊長BLOG(ブログ) 〜俺様キングダム: こんにちは、民主主義の敵でございます(2005年02月09日)

いや、お恥ずかしい。
確かに私は消極的民主主義者ですね。正確に言えばDemocratsではなくRepublicanでありBurkeanに属します。そんなことはどうでもいいですね。失礼しました。そういえば、思想集団というのは何でしょうか。私のことですか。私はいったい何の思想集団に属しているのだろう。まあ、私のことでないのであればそれはそれでかまわないわけですが。
で、情報発信において匿名でブログを書くということがどういうことかをまず念頭に置く必要があります。尋常に考えて、ネット社会も実社会の一部であり、法律が現状に追いついていないとはいえリアルに人が関係している以上はネットだからという言い訳は通用しないでしょう。
つまり、誰が仮名でブログを書こうと、その書く内容は個人と切り離すことは本質的に不可能であると言えます。発言に責任を持つ、ただしネットで自由に発言することが個人の所属する集団と利益が相反する場合には匿名あるいは仮名でなるだけ個人名が出ないようにするという措置は採れます、が、例えばですが社会的にスキャンダルになっている企業同士の、片方に属する人間が仮名で自分の属する集団の利益を匿名で擁護すると言った場合には、どのような反応が起きるでしょうか。
当然、ブログを書き募るほどに日々の生活について明かすことを通じて自分の意見が日常に基づいたもっともなものであるというアピールをすることになります。また、特に論ずるべきネタがなければ映画を観た、誰かと会ったなどという記述もネットには出るでしょう。当然それらの情報を手繰ると個人情報に行き着くわけで、それは紛れもなく本人が開示したものであるはずです。
その開示された情報が社会的に照らし合わせて秘匿され、公開できないものであるなら話は別ですが、本人が開示し誰もが閲覧可能であるならば、それは氏素性をある程度公開していると認識して差し支えないかと思います。
そのうえで、その人が特に取り立てて日常的なブログに終始しているのであれば問題ないわけですが、小倉さんの指摘する問題は政治的な主義主張を封じることにあるのではなく、巧妙に個人情報を秘匿し、どこの集団に所属しているのか明らかにしない形で自己の思想や利益の元にその集団に利する議論を不当に高めようとしたことが発端ではないかと考えられるわけです。当然そのような場合、批難が集中することに何ら不思議はありませんし、ネットがあろうがなかろうが問題となる個人や集団に抗議電話やファクスが殺到するのと意味合いとしての違いはありません。

この話をするには、まず「しがない記者日記」という、新聞記者の人が匿名(okuma)でやっていたブログが炎上したことについて言及する必要があります。
それについては、以下のまとめテキストを見るといいと思うんですが、
幻影随想: 「しがない記者日記」騒動まとめ
以下のようなことを書いていた人が、

NHKと朝日新聞がやりあっている。というより、明らかにNHKがひどい。
 番組を流す前に政治家に見せて意見を求めたら、それはもう検閲でしかない。
 見せることを求める安倍や中川という政治家のひどさはもちろんだが、
検閲させることを何とも思わないNHKの体質は、もはやジャーナリズムではない。
<後略>

(太字は引用者=俺)
コメントをつけている匿名の人を挑発したりコメント削除をしたあげく、することがなくなった(何しろ何かをコメント欄で書いても削除されたり、コメントがつけられないようにしたり、記事ごと削除したりするようになったので)2ちゃんねるの人(2ちゃんねらー)によって、実はokumaさんは「朝日新聞松山支局に勤務していたMFさん」だった、ということがばれ、サイト消滅、という事態に。
時系列的に整理すると、要するに、
1・まず「しがない記者日記」と称するブログが、炎上した。
2・その原因はコメント欄に匿名で記入をする人間を挑発したことにある。
3・コメント欄に何か書くことを禁じられた匿名の人たちが、「しがない記者日記」の人は朝日新聞松山支局に勤務していたMFさんであり、個人情報を秘匿して自分の勤務先の擁護をした(隠しポジショントーク)ことがさらされて、ブログをやっていけなくなり閉鎖した。
(追記:3と4の間・切込隊長が「くだらない話の余波」というエントリーで、炎上記者について言及する)
4・それと無関係かどうかは不明だが、小倉秀夫弁護士が「他人のblogを閉鎖に追い込むことはむしろ恥ずかしいことだ」というエントリーを書く
5・それに対して切込隊長という人が「こんにちは、民主主義の敵でございます」という、これは明らかに「しがない記者日記」批判とからめた形で、小倉秀夫弁護士の「荒らし批判」を批判する
6・小倉秀夫さんのブログも炎上
と、だいたいこんな感じのが初期展開でいいのかな。
で、朝日新聞の記事のほうは、「隠しポジショントークで自分の勤務先を擁護した人」の行動の是非についてはまったく言及してないですね(まぁそれは当然といえば当然ですか)。
この件に関する、おいらの当時の感想は、たとえば以下のところを見るとわかります。
朝日新聞に勤務している記者さんの楽しいブログ (2005年2月5日)
「朝日新聞に勤務している記者さんの楽しいブログ」に関するまとめサイト(2005年2月6日)
少し俺の認識している「しがない記者日記」事件の展開とは違うものがあるようです(2005年2月8日)
大岡みなみさんからメールが来たわけですが(2005年2月9日)
で、まとめると、ネット右翼(と朝日新聞が言っている人たち)によるブログ炎上」という件について、朝日新聞が何かを書こうと思うなら、自社の社員のブログがどういう経緯で炎上したか、について客観的に書かざるを得なくなる(客観的に書かれていない場合は、また朝日新聞の悪口がネットで書かれて、さらに部数が減るかもしれない)、ということなんですが、そのことについて朝日新聞はどう考えているのか知りたいです。
「われわれの新聞は真実を報道する義務と権利がある」「ジャーナリスト宣言」と言っているメディアに「珊瑚」と言えばいいのと同じように「ネット右翼のブログ炎上は許せない」→「「しがない記者日記」の隠しポジショントーク」と言えばいいだけなので、楽と言えば楽ですが。
まだいろいろ朝日新聞2006年5月5日の記事、「萎縮の構図・4:炎上」についてはいいたいこともあるのですが、「自分でもブログを持ち、「炎上観察記・弁護士編」と題するコーナーを設けている」と記事の中で紹介されている人と、紹介テキストはこちらです。
世界の中心で左右をヲチするノケモノ
世界の中心で左右をヲチするノケモノ:炎上観察記:弁護士編 過去ログ
あと、朝日新聞の記事には、誰がその記事を書いたのか、という記述がなかったんですが、別に2ちゃんねらーの人が匿名で書いた、ということもないので、「萎縮の構図」の連載第一回目に記者の名前が挙がってるのを掲載しておきます。2006年4月30日。

1987年5月3日の朝日新聞阪神支局襲撃事件を機に始めた連載は今回、自由な発信や行動を萎縮させていく様々な動きを追います。
(井上恵一朗、岩田誠司、真常法彦、角田克、富田祥広、宮沢崇志、山田理恵が担当します)

これらの記者のかたがたが、どのような記事を書いていたのか調べるのは少し面倒なのですが、たとえば「井上恵一朗」さんはこんな感じです。
ペンの森 OB紹介:2期・井上恵一朗さん (朝日新聞)

今担当している仕事内容について教えてください。
東京本社社会部の「遊軍」という部署にいます。
「遊」の言葉どおり、警視庁や司法などクラブには所属せず、わりにフリーランスに仕事をする部署です。「軍」の側面は、大事件や事故、災害が起きたときに発揮されます。すぐに現場に投入されたり、社会部にみなで集まって一気呵成に周辺への電話取材をしたりして、紙面を作り上げます。
たとえば、先の反日デモの折りには、新宿・大久保にいる在日中国人留学生の声を集めて紙面をつくったり、本筋を追う外報部とは違って、上海や北京の日本人に連絡を取って「外を歩けない」など現地の雰囲気を伝えたりしました。
ふだんは各自のテーマをこつこつ取材しています。

他に、ネットで参考になるテキストとしてはこんなところなど。
mumurブルログ:【朝日新聞】ブログを荒らすネット右翼

別に「ネット右翼」は全てのサヨクを目の敵にしてるわけじゃない。
論理矛盾、ダブルスタンダード、嘘、捏造、現実逃避等がおもちゃにされているだけ。

ネット上では、サヨクのみならずあらゆる「痛い奴」はボコボコにされる。
2ちゃんねるのニュース速報板なんかみると、定期的に「痛い奴」が晒しあげられ、ブログがめちゃくちゃにされる。この突撃人員はかなりの割合で「ネット右翼」と重なっていると思われる。これはあくまでmumurの実感であり、きちんとしたソースがないものではあるが、それほど的外れではないはず。
つまり、ネット上における「ネット右翼」はサヨクが嫌いなんじゃなくて、「痛い奴」が嫌いなだけの話。んで、サヨクに「痛い奴」が多いだけの話。

しかしおいらは、「自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人(人々)」ではないので、朝日新聞的には「ネット右翼」ではないですね。
(2006年5月5日)
 
(追記)
切込隊長の「こんにちは、民主主義の敵でございます」の前に、「くだらない話の余波」(2005年2月8日)というのがあって、

出張中、暇な時間ができたのを利用してネットを巡回していたら、くだらねえこと書いてる記者ブログを発見したため鼻歌気分でいい具合に燃やしに逝ったら見事炎上した。全焼したそれを眺めつつキャッキャと喜んでいたら、当の記者が所属している某新聞社から知り合いのリスクコンサルタント会社に相談が逝っていたらしい。
こちらに相談が回ってきたので、何だろうと思ってメールを読んでいるとどう見ても問題の物件はアレなような気がしてきた。すまん、それ、私。超調べちゃった。凄い勢いで実名公開してたわけだが。いや別に無理せんでもそんなもの誰でも見つけられるわけだしなあ。何か悪いことしたかな。いいんじゃないですか、本人も大変著名な記者になれたことだし。良く知らないけど。

それを小倉弁護士は受けて「他人のblogを閉鎖に追い込むことはむしろ恥ずかしいことだ」というエントリーを書いた、という指摘をコメント欄でいただきました。少し勘違いをしていたかもです。小倉弁護士切込隊長に対する批判(「しがない記者」擁護)の意味でそのエントリーを書いた、ということでしょうか。
 
(追記その2)
こっちの奴も読んでおくといいです。
朝日新聞が自ら描き出す「萎縮の構図」::マスコミ関係

要するに、「自由な発信や行動を、じわじわと萎縮させていく出来事や人物に迫」ると記事の意図を説明しながらも、その裏側を覗くと自社に都合の悪いことは触れ(られ)ない、伝え(られ)ない、報道しない(できない)という縛りが垣間見え、結局は朝日新聞の記者自らが「萎縮の構図」に見事に当てはまっている現実を描き出しているのだ。