何かを調べたあとの「(豆)知識メモ」として本や映画を語る例を『カルメン故郷に帰る』でやってみる

こんなコメントがありましたが、
はてなブックマーク - 愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 本や映画の批評は知識のない「自分語り」レベルじゃ単なる「感想」だよ

2006年11月09日 shuji 「感想」じゃなければデータの羅列だよ。

○○でなければ××かどうか、ちょっと試しにやってみます。
だいたいぼくの「読書感想文」(みたいなもの)は、以下のようになったりするわけで、
『海底二万リーグ』(夏休みの読書感想文用)
落語『鹿政談』に出てくる奉行は3つの説があるがどれが正しいのかについて
これらは「データの羅列」なのかどうか、ちょっと不明なんですが(面白いとかつまらないといった「感想」の類ではないと思います)、最近DVDで見た『カルメン故郷に帰る』(木下恵介監督)の話でもしてみます。
 
主人公は、北軽井沢から東京に出て踊り子をやっている「リリイ・カルメン」こと「おきん」で、劇場が改装のため10月はじめに同じ踊り子の友人と田舎に帰り、その間に小学校の運動会を見たり、ひと晩だけ芸術のダンスを披露したりして、村にカルチャー・ショックを与えて帰る、という話です。
この「日本最初のカラー映画」を撮るにあたって苦労した話は、ネットで検索するとあれこれ見られますので省略して。
こういう、今となってはもう日本のどこに行ったらこんな風景が見られるの、みたいな映画を時々見るのは楽しいので(なんとなく川本三郎的映画鑑賞法でしょうか)、今回は舞台となった「北軽井沢」とその駅、それに「草軽鉄道」という、今は存在しない鉄道路線に興味を持って見てしまいました(江戸と鉄道に関する話にはどうも弱いのです)。
軽井沢と草津を結ぶ 草軽交通株式会社
草軽鉄道 歴史探検
ここなんか、画像が多くていいですよ。
軽井沢〜草津 草軽電鉄をなぞってみよう
草軽電気鉄道 - Wikipedia

箱根、伊豆、東京城西地区、渋谷など何かと張り合った東急・西武両陣営だが、ここ軽井沢〜草津間でも両者の競争が繰り広げられていた。元来軽井沢開発は西武が先行していて、1945年東急が草軽電鉄を傘下に納めたとき既に西武は鬼押しハイウェーを系列会社の手で敷設したうえで軽井沢高原バスを運行し、地域交通を手中に収めていたほか、軽井沢の別荘開発を早くから手がけるなど、軽井沢周辺では西武系の勢力が強まっていった。

もうなんかあれこれ引用するのは面倒なんですが、この映画の「衣装提供・高島屋」というのがとても気になるのです。映画の設定は「9月末〜10月」ということになってるんですが、高原の秋の格好にしては、出てくる皆さん、特に高島屋の服(洋服)を着ている人が涼しすぎる、というか寒そうに見えるぐらい薄着なのが気になるわけです。
で、いろいろ見ていたら、『カルメン故郷に帰る』はどうも1951年の3月22日一般公開、で、撮影は前年の夏(真夏)におこなわれた様子。運動会で、きんの姉が「どうこの服、高島屋」って、妹にもらった服を着てたりするんですが、多分映画を見終わって日本橋高島屋に行けば(銀座からは銀座線で2本目です)、映画と同じもしくはそれに類する服が「初夏〜夏のよそおい」みたいな感じで売られてたんじゃないかと想像します(当時の流行の速さはよく知らないんですが)。
そういうことが気になりはじめると、同じ週にいったい、松竹以外の東宝東映とかはどんな映画を公開していたのか、当時の映画公開状況についても知りたくなりませんか。
しかしこういうのは、映画の鑑賞方法ではなくて、映画を「何かを知るための道具」として考える、早い話がネタにする材料として見ている、みたいな感じがしてしまうのですね。
あと、たとえば浅間牧場の起源と、当時の酪農業の状況とか、北軽井沢〜軽井沢間は電車が日に何本走っていて、どのくらい時間がかかっていたか、とか、二十代前半の主人公・おきんが田舎・東京でどのような暮らしかたをしていたのか、みたいなバックステージにも興味を持ってしまうわけで、これについてまた、川本三郎的に書けるわけです。
それに対して「高峰秀子、足は短いけどかっこいいし歌うまい」とか「笠智衆やべぇ」とか「佐野周二超やべぇ」とか「西部劇みたい」「とても昭和20年代の日本で作られたとは思えない」とか言うのが、まぁ感想かな。
「戦後まもない浅間山のふもと、高峰秀子はこの中で大輪の花である。彼女のミームが物語のガジェット部分をピュシス的に解体する。ELPの『タルカス』のように、いや、テラトポイイアのように…」的に書くと、バカの書いた批評テキストみたいになります(書いててなんか少し楽しかった)。