『二十四の瞳』で感涙したあと、道を測って、ついでに萌え化を夢想する

見出しは演出です。
木下恵介監督の映画『二十四の瞳』をDVDで見たので、その話をします。
瀬戸内海に、淡路島に次ぐ大きな島として小豆島(しょうどしま)があります。
現在は過疎・老齢化・少子化という、どの地方でももはや普遍的ともいえる状況に置かれているこの島は、「オリーブと『二十四の瞳』の島」として今でも多少は知られているようです。
二十四の瞳』は、島の岬にある分教場を舞台に、新任の女性教師(大石先生)と子供たち12人を主な登場人物にした長編小説で、壺井栄が自らの体験をモデルに、キリスト教系の雑誌「ニューエイジ」に連載したものです。連載は1952年の11月に完結し、同じ年に単行本が出ました(単行本の際には手が入れられ、より反戦思想が強いものになったという指摘もあります。これについては後日くわしく調べてみたい)。
「モデル」についてさらに語ると、物語は代用教員をしていた妹のシン、および壺井栄自身の家族をもとにしていますが、壺井栄は昭和三年(1928年)、『二十四の瞳』の作中で物語がはじまる年にはすでに同じ島の出身である壺井繁治と結婚し東京で生活していました。この壺井繁治社会主義・プロレタリア系詩人として、壺井栄ほどには有名ではありませんがそれなりに文学史上に名を残し、小豆島には壺井栄の詩碑のすぐ近くに彼の詩碑もあります。彼について語ることもたくさんありますが、それはまた別の機会にして、このテキストの中では「『二十四の瞳』はある種プロレタリア文学」ということだけ、心にとどめておいてください*1
しかし、『二十四の瞳』が有名になったのは、小説よりも映画(木下恵介監督、高峰秀子主演)による影響が大きいと思います。
戦後民主主義教育が盛んだった一時期、戦争文学、というより正確には「反戦文学」がよく書かれ、小学生の読むものとしてもオキナワ・ヒロシマナガサキ、あるいは大陸引き揚げの家族を題材にしたものが流行った時代がありました。現在は書き手も読み手も老齢化し、戦争体験を「体験の伝聞情報」以上の形で語れる者は減り*2、ぼく自身も『二十四の瞳』を除いてはあまりそのようなものを読んだ記憶がありません。
それもかなり昔なので、「百合の花の絵のついたお弁当箱」とか「アカ」とか*3、話の断片しか思い出せなかったのを、今回映画を見ることによって補足したんですが、だいぶ記憶と違っているところがあったので驚きました。
まず、この先生、岬の分教場は半年ぐらいしかやってません
4月に新任で来て、台風(二百十日)のすぐあとぐらいに足を怪我して(アキレス腱を切って)、本校に配置換えになるんですね。
で、本校は5・6年生が教えられる場所なんですが、そこでは大石先生(主人公)は30〜40人ぐらい教えています。「24×3の瞳」ぐらい。
だいたい「岬の分教場」が1〜4学年を教えるのなら、先生は4人ぐらい必要だろう、とか、音楽しか教えてない、とか、映画の中のツッコミはいろいろできるんですが、小説のほうはどうなっていたのか忘れたので、再読してみます*4
昔の映画の見せどころとしては、ぼくとしては「運動会」と「秋祭り」なんですが、運動会でがんばる岬の生徒とか、祭りで賑やかな村の風景を見せるというのは、予算・撮影日数の問題か、プロレタリア的思想の問題か、出てこないのは残念です*5。この時代(昭和初期)の運動会といえば、地区同士の競争みたいなイメージがあるのですが、日清戦争に向けて戦意高揚策として急速に小学校に普及したとかあるので、「軍国主義で盛り上がる運動会を出すのはどうか」という原作者の考えもあるのでしょうか。
なにしろちょっと前に同じ木下恵介監督による映画『カルメン故郷に帰る』(1951年公開)を見たばかりで、その中では「北軽井沢小学校」の運動会が、かなり重要な意味を持ったエピソードとして描かれているため、よけい違和感を感じたのです。
現在、小豆島町での村祭りは、「秋祭り太鼓台奉納」というのが、10月中ごろにおこなわれているようです。
映画を見てネタ的に一番気になったのは、「分教場」から「先生の家」までの距離でした。
先生の家が小豆島の「竹生(たこう)の一本松」あたりにあった、というのはどうも、映画・小説に共通する設定のようですが(「竹生から田ノ浦岬の分教場を眺めた風景」という画像も、サイト的には見られます)、「片道7kmの道のりを自転車で通った」という事実はうまく確認できませんでした*6
Google マップの小豆島の地図」を元に、拡大して「僕の歩いた跡に道はできるversion.X【地図上で距離を測るサンプル】」で実測してみたところ、こんな感じでした。起点は「岬の分教場」からで、それより数百メートル先にある「映画村」ではありません。
1.6キロ 田浦岬パークビーチ
3.2キロ タケサンフーズ
3.8キロ 赤鼻
5キロ 古江交差点
5.2キロ ネオオリエンタルリゾート小豆島
6キロ 丸金醤油工場
6.3キロ 苗羽小学校
7.4キロ 町役場内海庁舎
10.5キロ 小豆島オリーブユースホステル
11.6キロ 小豆島民俗資料館
12キロ 竹生交差点
「片道7キロ」ではなく「片道12キロ」で、事実は物語と違ってその1.7倍ぐらいあります*7
「竹生交差点」から逆に計ると、だいたい「古江交差点」あたりが7キロ地点、「赤鼻」あたりが8キロ地点ですか。
(以下、ちょっとネタバレなのでネタバレ警報出しておきます。たいしたネタバレでもないので続けて読んでもそんなに問題ありません)
映画の中では「先生に会いに行こう!」と、子供たちが集まって、昼ごはんを食べて歩き出すわけですが、子供の足で季節は日の暮れるのがそろそろ早くなっている秋(多分10月のはじめぐらい)なので、まぁ1時間で3キロぐらいと考えると、確かに「町役場」を過ぎるあたりで泣き出しそうな気分にはなります(ミニ「デスマーチ」です)。
ただ、先生の家が「片道7km」なら、実際には多分着いています。
ていうか、「苗羽小学校」までの距離でも、そんなに変わらないので、5年生になったら歩けないといけないのです。
昼飯を食って(食ってない人がいるのはともかく)、2〜3時間程度歩いて泣き出し、きつねうどんをお代わりするほどお腹の減る子供、というのは、昭和初期を設定にすると想像しにくいです。
(以上、ネタバレ警報終了)
いや実際、「お前に7キロの距離が歩けるのか」と言われると、それは大変、というのはわかります。
東京者にわかりやすいところで、地下鉄銀座線の「渋谷」駅から歩いたら、「銀座四丁目」ぐらいまでのところで7キロです。
しかし「12キロ」というと「上野」駅ぐらいまではあります。
まぁそれは本当にどうでもいい話なので、ともかく。
この映画は、今となっては話が通じない部分が多いでしょう。特に、「貧乏」と「戦争」「病気」という、物語のテーマに関連している「三大暗いもの」が、今は見えにくい時代なので、「家の貧しさのために修学旅行に行けず、尋常小学校を中途でやめて働きに出ている子供が、修学旅行で来た先生と奉公先で再会し、港を出る船を泣きながら見送って歩く」というのは日本映画史上屈指の名シーンで、ここで号泣しない人間はいないと思いますが*8、応用が利きにくいものです。
何度もリメイクされ、多分そのたびに見る人を泣かせた映画でしょうが、木下恵介の映画を越えるものは、たとえあの監督やあの監督がアニメで作ったとしても難しいだろう、と感じます*9
あと、「戦争」というものが「なんかよくわからないけど、とりあえず人が死んで帰ってくるもの」的な感覚は普通だったんでしょうか。それだとインフルエンザや疫病のようで、どうも「戦争は嫌なもの」としての認識をさせるには手法的にあまり正しいような気がしないのです。
いろいろ考えて、リメイクするならどの声優に誰をやってもらいたいか募集してみます。
キャラ設定はこんな感じです。
(以下、たいしたことないんだけどネタバレあり)
1・大石先生
2・元は庄屋だけど家は没落して行方不明になる女の子(お姫様萌え)
3・歌はうまいけど、料亭の跡をつがないといけない女の子(歌姫萌え)
4・勉強はできるが、家の都合で進学できず、肺炎で死ぬ女の子(真面目萌え)
5・ちょう貧乏で、母親が死んで島を出て働きに行く女の子(泣かせ萌え)
6・教師になって帰ってくる女の子(地味クール萌え)
7・さりげなく家に金があったりする女の子(お嬢様萌え)
8・引越し屋の娘で産婆になる女の子(便利屋萌え)
男の子のほうはあまり覚えてない。
(以上ネタバレ終わり)
別に「貧乏」と「戦争」およびそれ関連の哀しいエピソードを入れなくて、舞台を大田区あたりの私立高校にすると、普通になんとかなりそうです。
小説のテキストは、ネットで探せば見つからないこともないのですが、版権的にアレなので、リンクはしないのです。
 

*1:ここらへんまで司馬遼太郎調に書いてみました。どうでもいいけど。

*2:靖国の母」が今の日本ではたしてどれぐらい生きているのでしょうか

*3:ぼくはこの小説で「アカ」という言葉を覚えたような気がします。というよりさらに思い出したよ! 当時は「アカ」って「思想」じゃなくて「放火魔」で、資本家の家に火をつけた疑いで逮捕された、と思ってたんだ!

*4:再読しました。これに関してはあとで。

*5:修学旅行の話はあるんですが、それは「楽しい」ことではなく「修学旅行に行けない子供のつらさ」を語るためでしょうか。実は小説の中では修学旅行のエピソードは、映画ほど長いわけではありませんでした。

*6:原作のほうでは「片道8キロ」になっていました。

*7:原作と比較した場合は1.5倍です。

*8:それもまた延々と写すんですね、木下恵介監督は。関係あるようなないような話なんですが、シーンの作りかたが、昔の映画というのはどうも今の映画より「アニメのシーン」的に感じました。これは木下恵介に限ったものかどうかは不明です。ちなみに原作には実は、このシーンは出てきません。

*9:もう昔のような瀬戸内の風景は、どこにも見られないので、次に作るとしたら萌えキャラ入りのアニメにする以外の方法はないでしょう。