反戦戦国映画『笛吹川』(木下恵介)をダラダラと見る

先週は木下恵介監督の『二十四の瞳』を鑑賞したあと2日ほど悪夢を見てしまいましたが、
『二十四の瞳』で感涙したあと、道を測って、ついでに萌え化を夢想する
今度は同じ監督の戦国時代を舞台にした映画『笛吹川』を見ました。
投げやりというか製作意図がよくわからないパートカラー、つまり白黒の映画に赤とか青とか緑とかのセルを、いい加減に貼りつけてあるだけ。松明なんて、長方形の赤いのを置いてるだけ、という無駄にアヴァンギャルドなのが時代を感じさせる1960年の映画です。
あらすじは以下のところにあります。
あらすじ 笛吹川 - goo 映画
原作が深沢七郎というだけでも陰々滅々なのは想像できるわけですが、信州甲斐の国、ていうかまぁ山梨県甲府の近くを流れる笛吹川の近くに住んでいるある一家の、「飯田河原の合戦」(1521年)から武田勝頼の死による武田家の滅亡(1582年)までを描く嫌な話で、「goo 映画」のあらすじを見ても、多分映画を見ていない人にはよくわからないと思います。
普通に映画を鑑賞すると、とにかく合戦シーンがえらく豪華な印象が残ります。日本映画の全盛期・黄金時代を知らない、ぼくのような人間には、もう馬や人がやたら沢山出ているのに感心してしまったのでした。
あと木下恵介は、ぼくが期待しているのよりほんの少し長くシーンを撮っている、というのがわかりました。道を走っている人間を、そうだな、ひと呼吸の半分ぐらい、なのでかなり意識できるほど長く撮ってる、と言ってもいいかもしれません。
これが、人物を固定してカメラを回すようなシーンだと、だいたい30〜40度ぐらい多く回してる気がします。180度回すところを、210度ぐらい撮ってる、という感じでしょうか。
そういえばアニメでこの「カメラを回す」(専門用語で何と言うんだっけ)というようなシーンを意図的に使っている人や、印象に残るシーンというのは知らないので、ちょっと気になった。それが昔の映画として一般的なのかどうかも含めて。小説やマンガといった印刷物媒体ではほとんど表現不可能だと思うし。
あんまり、物語的には興味あるものが多いとは限らないんですが、映画という手法について考えるには、昔の映画は面白いです。
また木下恵介の映画を見てみます。
 
これは以下の日記に、少しだけ続きます。
TVドラマやアニメの「カメラ」はあまり動かない