「ロスト・ジェネレーション」を「失われた世代」と訳していいものかどうか

読んでた『私のハードボイルド』(小鷹信光早川書房)で、ヘミングウェイ日はまた昇る』に関して興味深いテキストがあったので紹介。p366

また(3)(引用者注・及川進訳『日はまた昇る角川書店)では『日はまた昇る』に寄せられた女流ガートルード・スタインの〈ロスト・ジェネレーション〉を用いた有名なエピグラムが「あなたがたはみな迷える世代ですよ」と充分に意味を解した訳文になっている。そして最も新しい高見浩訳では〈失われた世代〉が〈自堕落な世代〉に置き換えられた。いっそのこと私なら〈落ちこぼれ世代〉とするかもしれない。ロスト・ジェネレーション=失われた世代という公式は、〝世紀の名誤訳〟といえるのではないかと思う。

(太字は引用者=ぼく)
へぇ、ほぉ、はぁ。
ちなみに『日はまた昇る』の「lost generation」を「失われた世代」と訳したのは、新潮文庫の大久保康雄らしいです。翻訳書としてもそれが一番有名のはずなんだけど、2000年に高見浩の新訳が出ていたとは知らなかった。
それで、何となく使われていた日本の不況時代の「失われた十年(10年)」が「失われた世代」(という誤訳?)に由来しているような気がしたんで、ちょっと調べてみました。
失われた10年とは - はてなダイアリー
はてなブックマーク - 失われた十年
ウィキペディアはこんな感じ。
失われた世代 - Wikipedia

失われた世代 (英:Lost Generation)とは1920年から1930年代にかけてパリで生活したアメリカの小説家、詩人たちを指してガートルード・スタインが名付けた言葉。命名の由来は、ガートルード・スタインヘミングウェイに対して言った言葉 You are all a lost generation(あなたたちはみな、失われた世代なのよ)に因る。

ということなんですが、正確にはもう少し深いものがあるらしいです。
アメリカ文学のながれ−FUMI'S WEB PAGE

ロストジェネレーションとは第一次大戦に成年期をむかえ,戦争体験によって既存の理想や価値観に不信感を抱き,若いエネルギーをもって,新しい生き方を求めた世代のことです。「ジャズ・エイジ」とも「狂乱の20年代」とも呼ばれる活気にあふれた混乱と変化の時代でした。彼らは浅はかなアメリカ文化に反発し,国外離脱者となりヨーロッパに渡り,主としてパリで文学修行に励み,エリオット,ジョイス,パウンド,スタインらの影響を受けながらやがて戦争体験によって得た思想にふさわしい個性的な表現を見出しました。この「ロスト・ジェネレーション」という言葉は,ヘミングウェイが「日はまた昇る」の巻頭でスタインの言葉として引用し有名になりましたが,事実はスタインがパリの自動車修理工場で耳にした罵り言葉「お前たちはろくでなし」に由来するといわれています。

(太字は引用者=ぼく)
またもや「へぇ、ほぉ、はぁ」なんですが、「パリの自動車修理工場」での罵り言葉なら当然元はフランス語だったわけでしょうか。
北方圏センター・連載コーナー:斜めから見たアメリカ文化《文学編・・・その5》

ロスト・ジェネレーション』という名称は、アメリカの女流作家「スタイン」によって命名されたと言われているが、その語源は、彼女が以前、自動車修理工場の経営者がその言葉を使うのを聞いて、「ヘミングウェイ」との会話の中で、祖国を離れたアメリカ人たちをそう表現したとされている。「ヘミングウェイ」が『ロスト・ジェネレーション』を設立したという説があるが、「ヘミングウェイ」は決して『ロスト・ジェネレーション』を信頼していたとか、属していたと言わなかったとされている。

(太字は引用者=ぼく)
オンライン書店ビーケーワン:日はまた昇る「ロストジェネレーション、ロストラブ」

当時敬愛していたガートルード・スタインという女流作家に「あなたたちはロスト・ジェネレーションね」みたいなことを言われたのに反発したことが動機で編まれたらしいこの長編小説は、いわゆる「モデル小説」で、個性的な登場人物には全て身近なモデルがいて(主人公のジェイクはヘミングウェイ自身)、彼と彼の仲間たちによる休暇中の実際の出来事がベースになっているようです。

(太字は引用者=ぼく)
どんどん「失われた世代」という優雅で感傷的な感覚(翻訳感)からずれていってしまいます。
もうはっきり「ロスト・ジェネレーション」=「ダメ世代」と訳したほうがよかったような気が。
老人と海

この「ロストジェネレーション」という言葉はスタインがヘミングウェイに投げかけた言葉である。スタインはヘミングウェイに向かって『戦争に出たあなた達はみんな、ロストジェネレーションよ。何に対しても尊敬心をもたない。お酒ばかり飲んでいる。』と言った。このlostは「どうしようもない、ろくでなしの」という意味であったが、やがて既成の道徳や規範を失い、人生の方向を失った、と意味が変わったのである。しかし、ヘミングウェイは自分がその一人であると自ら考えていなかったし、他から考えられたりする事には甚だ不本意であった。ヘミングウェイの文学的出発はこの事の自覚に基づいたものにほかならないと考えられる。そして、この自覚が彼の文学全体の根底を流れ、その支えになっている。
このスタインの言葉をヘミングウェイは『日はまた昇る』の中で引用した。それは、まさに当時、アメリカ青年の解放の方向を素直に表現したものであった。「君はエクスパトリエート(国籍放棄者)という奴なんだよ。土地というものとの接触を失ったわけなんだよ。君は妙に気取った人間になっている。ニセ者のヨーロッパの標準が君をめちゃくちゃにしてしまうんだ。飲むとなると死ぬまで飲む。セクスには夢中だ。しょっちゅう、しゃべってばかりいて、働くことは何もしない。ね、君のようなのがエクスパクトリエートなんだよ。いつもカフェにうろうろしてさ。」

(太字は引用者=ぼく)
もうこのくらい引用すれば充分ですか。
日はまた昇る』の中に出てくる「ロスト・ジェネレーション」を最初に訳した人が、それを「ダメな世代」と訳していたら、日本の「失われた十年」は「ダメな十年」と言われていたんだろうなぁ、と思いました。
まぁ、大学の文学部・英文学専攻レベルの人には常識的なことかもしれませんが、そんな専攻が今でもあるのか不明ですし、あったとしても専攻している人の数は多くないと思うので、試しに書いておきます。
英語テキストもいろいろあったんですが、まぁ一つだけ。
COSMIC BASEBALL ASSOCIATION-Ernest Hemingway 1998 Cosmic Player Plate

It was when we had come back from Canada and were living in the rue Notre-Dame- des-Champs and Miss Stein and I were still good friends that Miss Stein made the remark about the lost generation. She had some ignition trouble with the old Model T Ford she then drove and the young man who worked in the garage and had served in the last year of the war had not been adept, or perhaps had not broken the priority of other vehicles , in repairing Miss Stein's Ford. Anyway he had not been serieux and had been corrected severely by the patron of the garage after Miss Stein's protest. The patron had said to him, "You are all a generation perdue." "That's what you are. That's what you all are," Miss Stein said. "All of you young people who served in the war. You are a lost generation." "Really?" I said. "You are," she insisted. "You have no respect for anything..."

今年(2007年)もよろしくお願いします。
 
追記。こちらも参考に。
関連リンク。
【海難記】 Wrecked on the Sea:「ロスト・ジェネレーション」について