新書判(新書版)コミックスのビジネスモデルについて考える

そもそも、「新書」サイズの漫画の単行本というのは、いつごろぐらいにできたのか、について調べてみたんですが、その初期のころにあったエピソードを語っているとても面白いテキストがあったのでご紹介。
すがやみつるの雑記帳: 『仮面ライダー青春譜』第4章 アシスタントから編集者へ(7)

ぼくがはじめて写植貼りをしたマンガは、少年画報社から新書判コミックスとして発売予定の『ワイルド7』だった。
新書判コミックスが誕生してから、まだ5年も経っていなかった。
コダマプレスが、マンガの新書判コミックスを発売したのは1965年のことだ。手塚治虫の『ロストワールド』、石森章太郎の『ミュータント・サブ』といった中高生あたりをターゲットにした作品を中心にしてスタートした新書判コミックスの市場に、やがて、朝日ソノラマ秋田書店なども参入し、マーケットの規模を拡大した。
自社の雑誌に連載された作品が、他社からコミックスになる状況をこころよく思わなかったのか、講談社小学館少年画報社といった少年週刊誌の発売元も、自社ブランドの新書判コミックスを立ち上げつつあった頃である。

漫画家のすがやみつるさんが、編集仕事として『ワイルド7』のコミックス(新書判)に「写植」を貼る仕事をした、という話が語られています。
「写植」や「スクリーントーン」がいつごろから、誰によって使われるようになったのかについても調べてみたら面白いと思うんですが(もともとはデザイナーが商業デザインの中で使っていたもので、それがだんだん漫画家の中に使う人が増えていったのではないかと想像します)、それについて考えたり語るには資料が少なすぎます。
どうも、日本の漫画の歴史の中で、「○○コミックス」という名称で言われる新書サイズ・廉価版の本が出たのは「コダマプレス」の商品が最初のようです。
このサイトがとても詳しかったのです。
漫棚通信ブログ版: オタクの誕生

マンガが新書版の形で発行されるようになったのは1966年コダマプレスのダイヤモンドコミックスからです。以後1966年から1968年にかけて、各社よりつぎつぎと新書版マンガが発売され(秋田書店:サンデーコミックス、小学館:ゴールデンコミックス、朝日ソノラマサンコミックス集英社:コンパクトコミックス、講談社コミックス、少年画報社:キングコミックス、虫プロ虫コミックス)、書店にはそれまで存在しなかった「マンガの棚」が作られるようになりました。安価な新書版の出現により、マンガ単行本は親が子に買い与えるものではなく、コドモがこづかいで買うものとなったのです。

漫棚通信ブログ版: 新書版おとなマンガ

1966年にコダマプレスが刊行開始した「KODAMA DIAMOND COMICS」(ダイヤモンド・コミックス、あるいはダイアモンド・コミックスと呼ばれます)というシリーズが、新書版コミックスの始まりといわれています。実際は小学館のゴールデン・コミックスの刊行開始とほぼ同時だったみたいですが。
 コダマプレスは翌1967年5月に倒産するまで、わずか1年の間に50冊以上の新書版コミックスを発行し、新書版ブームのさきがけとなりました。

うわぁ、みなもと太郎さん(たぶん本人)がコメントしてるよ!
で、この「コダマプレス」のリストを探してみたんですが、ネットの中には存在していない様子。
少女漫画ではこんなのがありました。
若木書房コミックスリスト
若木書房の少女向け新書版コミックスについて

昭和41年の新書版単行本ブームで、若木書房は貸本サイズをA5版からB6版に変更。貸本業界の停滞に伴い、同時期に単行本「ジュニアコミックス」を昭和42年より刊行しました。これらは主に書き下ろしではなく雑誌に掲載されたものを単行本という形でまとめたもので、ひまわりブック(若木書房)などの書き下ろしの貸本とは異なります。ジュニアコミックスは途中、名称をティーンコミックスと変えて発行、昭和45年にはティーンコミックスデラックスを刊行することになります。ティーンコミックスデラックスは昭和56年に若木書房が倒産するまでに約180冊ほど発行されました。(え?倒産したんですか…??)

1966年といえばビートルズが来日したり『Revolver』を出したりしていた現役バリバリの時代です。
なんでこの時代にそのような「漫画の新書判ブーム」が起きたのかよくわからないんですが(少しは調べろよ、と言われそうな感じですが)、それによって「漫画家は原稿料以外に単行本(コミックス)の売り上げで利益を得る」というのが、「漫画のキャラクターの(アニメその他メディアを通した宣伝と連合する形での)商品化権で利益を得る」とほぼ同時期に商売として大きくなった=漫画家として生活する人間が増えたり、ベストセラー漫画家の収入がすごいものになった、という現象がありそうです。
当時のコミックス単価は200〜250円ぐらいだったかな? なんかよくわかりません。今の漫画単行本は420〜525円ぐらいが通常なので、40年間に約2倍という感じでしょうか。
以下のところを見ると、
昭和40年の 1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?

ここでは、企業物価および消費者物価の戦前基準指数が 1つの参考材料になります。企業物価の戦前基準指数を見ると、平成17年の物価は昭和40年の約1.9倍なので、昭和40年の 1万円は平成17年の約1.9万円に相当する計算になります。また、消費者物価では約 4倍なので、約 4万円に相当するという計算になります(計算式の(1)、(2)を参照)。

なので、漫画家はコミックスが出はじめの頃(1966年)の2倍ぐらいコミックスが売れないと、世間の生活基準的には貧乏だ、ということになりそうです。
最近じわじわと、新書判以外のコミックスが中心で500円を越えるものが多くなっている気がするのは気のせいでしょうか。
 
→『マンガ原稿料はなぜ安いのか?―竹熊漫談』(竹熊健太郎イーストプレス)(アマゾン)
 
これは以下の日記に続きます。
新書判(新書版)コミックスについて考える・2(初期のことその他を含む)