武蔵野の雑木林はなぜ無くなったのか

まずこのたくさんの絵を見てください。
絵で見る武蔵野の雑木林
すばらしいですね。
武蔵野との出会い

武蔵野の地に始めて接したのは、高校に入学する為に兵庫県の但馬の片田舎から東京に出てきた昭和40年代前半のことで、故郷の但馬では野生のコウノトリの姿が見られなくなり、円山川から鮎が一斉に姿を消し、薪や炭といった木質系燃料から石油系の化石燃料への転換が一斉に進み、首都圏では高度成長の真っ只中で、工業化に伴う公害は日常化し、謂わば社会が武蔵野的牧歌的風景を一斉に脱ぎ捨てにかかった時代でした。

(太字は引用者=ぼく)
要するに、戦前・戦後の燃料として、武蔵野の「雑木林」は作られていたわけです。
つまり、人工の自然(こういうことばは少し変ですが)。
鉄腕アトムの初期短編に「赤いネコ」という話がありまして、そこでは国木田独歩『武蔵野』を、一部アレンジメントしながら引用しています。
『鉄腕アトム』「赤いネコ」と『武蔵野』

手塚治虫の『鉄腕アトム』「赤いネコ」は1953年(昭和28年)に発表されたエコロジーをテーマにした先駆的作品である。(今年(1997年)も諫早湾干拓などいろいろあったが、1953年の時点でエコロジーをマンガのテーマにするというのがすごいと思う)「赤いネコ」では、最初と最後に国木田独歩の『武蔵野』が効果的に使われている。

この「自然はすばらしい」「人間が自然をダメにしている」というのは、実に高度成長・戦後の日本っぽい無駄な説得力で、実は人間が積極的に、自然をすばらしいものにしていかないと、すごいことにしかならないのが世界の普通の「自然」なわけで、それは映画『おもひでぽろぽろ』などを見てもわかるのです。
20世紀前半から中盤にかけてのエネルギー革命で、雑木(薪)を都市生活者に供給する必要がなくなった近郊の農業の人は、かわりに何を作ったかというと「麦畑」です。
季節を感じさせる広葉樹林の雑木林と、麦秋前の春に一番美しい麦。さらに現代の複雑な直線(特に電線・電柱!)で切り拓かれた空、などなど、世代によってイメージがことなることでありましょう。
武蔵野の雑木林を描いた人は、多分今は町の送電線を描くとか、ビルの谷間に沈む夕日を描くとかするといいと思います。
巨大建造物萌え、というのは、別に最近になってはじまったことでもないわけです。
今日の参考書は、以下の本でした。
→『郊外の文学誌』(川本三郎・新潮社)(アマゾン)
現代の表参道は、実は陸軍が訓練のためにもっぱら利用していた道だったのだ、とか、面白いことが山盛り書いてあります。