引用テキストの多いぼくの日記でカエサルの「人は自分の見たいものしか見ない」という話をしてみるよ

 以下のところから。
最終防衛ライン2 - 引用のみサイトやってて楽しいの?

 多いですね、他のサイトを引用しただけのサイト。酷いのになると、新聞記事丸々引用というか、完全コピペ。新聞サイトの記事は消えやすいので引用する気持ちや、スクラップブック的に使いたいのも分かるんですが、自身の意見が全く書かれていないので、何が言いたいのかさっぱり分からない。本当に自分自身のためだけなんでしょうが、それだったらネット上に上げないでもらえますか?と言いたくなる。

 まったくです。もっと自分のテキストを書かないといけないといつも思うんだけれど、あちこち調べていると調べた先のテキストが面白かったり、いちいち自分で書くよりも引用するほうが有益に思えてしまうケースが多かったりするので、仕方ないと諦めています。新聞記事の丸々引用は、記事全体が消えてしまう記事の部分引用ではかえって不誠実ではないかという考えで、意図的にやっています。ところどころを太字にすることで、少しだけ自分の意見、というか気になったところを示しているつもりです。「はてなダイアリー」の場合は、自分の日記内のテキスト検索が容易にできるので、人のためではなく自分のために、これも意図して「メモ」的に使っています。ただ、検索などでぼくの日記に来た人には少し迷惑をかけているかもしれません。ぼく自身は「昔の新聞記事」の元テキストが消えてしまっている際に、他の人の日記(ブログ)にそれが丸々残っているとけっこう重宝しているので、ぼくの日記もそういう人のために役に立ってくれているとありがたいことです。自分の意見は「どこからどのテキストを引用してくるか」によって、多少出てきているような気もしますが、引用テキストの少ない人の日記(ブログ)に比べると、意見が少なめに見えてしまうでしょうね。さらに、なるべく政治的には右・左の片方には偏り過ぎないようにはしているので、右・左のどちらの人の目から見ても中途半端に見えることでしょう。
 これだけ自分で書くと、だいぶ引用テキストより自作テキストのほうが多くなったので、またちょっとだけ引用しておきます。
最終防衛ライン2 - 引用のみサイトやってて楽しいの?

情報は裏を取り、色んな意見に耳を傾けろ
最後に、近頃のインターネットからまた引用するけど

3)いい加減な情報が増えた。間違った情報がどんどん増殖する培養液のようだ。

4)誰も元の情報を確かめない。自分の周囲のページに書かれていれば信じる人が多い。

自戒も含めて、情報の裏は必ず取るべき。ある事柄に関する意見を見る場合も、必ず自身にとって賛同意見と反対意見を見るべき。そうしないと、どんどん盲目的になっていく。カエサルの「人は自分の見たいものしか見ない」 と言う言葉を忘れてはならない。

 カエサルのそのテキストの引用をしている人は、元テキストについてどれだけのことを知っているか知らないので、丸っきり知らない人のために元テキストを紹介しておきます。「誰も元の情報を確かめない」ということの反証の一つにもなりそうです(「多くの人間は元の情報を確かめない」ということは、ある、と思います)。
 とりあえず、以下の語で検索して、嫌な気持ちになりました。
人は自分の見たいものしか見ない カエサル - Google 検索
 で、以下のところから。
シーザーの名言「人は自分の見たいものしか見ない」英語で? - Yahoo!知恵袋

ラテン語 
“libenter homines id quod volunt credunt”
英語:
Men readily believe what they want to believe.
Men gladly believe that which they wish for.
People will see only what they want to see.
日本語
人間は、望むことを喜んで信じる。

Latin Dictionary and Grammar Aid

libenter : willingly, with pleasure.
voluntas : wish, will, inclination / good will.
credo : to believe / trust, commit / trust in, rely on/ think.

 …どうも「人は自分の見たいものしか見ない」は意訳部分が強すぎる気がします。英語のseeの誤訳・意訳? 意味としては通じるので、誤訳というほどではありませんが。
ラテン語格言集 (8)

Homines id quod volunt credunt.
「ホミネース・イド・クォド・ウォルント・クレードゥント。」と発音します。
homines は「人間」を意味する第3変化の名詞・複数・主格で、この文の主語です。
id は(確定)代名詞 is の中性・単数・対格で、関係代名詞 quod 以下の先行詞となっています。
volunt は「望む」を意味する不規則動詞 volo の現在・複数・3人称で、目的語は、id quod volunt (「(人間が)望むところのことを」)となります。
credunt は「信じる」を意味する第3変化動詞 credo の現在・複数・3人称で、この動詞に対応する主語は homines です。
「人間は(信じたいと)望むことを信じる。」という意味です。
原文は、カエサルの『ガリア戦記』第3巻18に見られる言葉で、そこには副詞 libenter (自由に)が頭についています。
この場合、「人間は、自分が信じたいと望むことを喜んで信じるものである。」という意味になります。

 さて、こうなると『ガリア戦記』の中ではいったい、どういう文脈でこの言葉が使われたのか知りたくなります。
 ちなみに、「ウィキソース」にはラテン語の原文はあるのです。
Commentarii de bello Gallico - Wikisource
 英語テキストもありましたが、探すのは少し面倒くさい。
"De Bello Gallico" and Other Commentaries by Julius Caesar:Online Reader - Project Gutenberg
 ということで、「 引用のみサイトやってて楽しいの?」という、「最終防衛ライン2」の人の疑問・質問には、ぼく基準ではとても楽しい、としか言いようがありません。要するに、自分が知らないことを調べたり、調べた結果を(引用の形で)紹介することは、とても楽しいことなのですが、皆さんはいかがですか。
 ぼく個人としては、カエサルの言葉を引用する際には「人間は、自分が信じたいと望むことを喜んで信じる(ものである)」という形で引用されることを望みます。「見たい」とか「しか」とか入れたり使ったりしないで、「信じたい」「喜んで」を使うといいのでしょうね。
 
 これは以下の日記に続きます。
カエサル『ガリア戦記』から引用2つ