S.B.バックナー米軍中将の死が米軍の沖縄戦での残虐行為を招いた、というのは本当か

(タイトル、恥ずかしい間違いをしたので修正。ジョン・トーランド→S.B.バックナー)
 以下のところから(mixi日記が読めない人はあきらめてください)。
[mixi] 夜帆。@日東ホ28bさん | @【 沖縄県議会、宇宙人の存在を認める!? 】(「XAPU@ぱあきんそん」さんのコメントから)

 ジョン・トーランド、新里堅進らの調査によれば、地上部隊を率いたバックナー陸軍中将の戦死後、米軍の規律が崩壊し、ナチスより非道い残虐行為を米軍が行ったとされています。そこまで無規律になった米軍の相手をしているうちに日本軍もおかしくなった、という解釈がされています。

 へぇ。
沖 縄 戦

6月初旬米軍は,海からは艦砲射撃,空からは飛行機の爆撃や機銃掃射,陸は戦車を先頭に,火炎放射機を中心とする火器を使用して掃討作戦を展開する。おびただしい犠牲がでたことはいうまでもなかった。

そして6月17日までに米軍は,摩文仁岳の日本軍司令部壕まで前進してきた。18日には米軍のバクナー中将が,牛島司令官に降伏勧告状を送ったが,牛島司令官はこれを拒否し,第10方面軍宛に訣別電報を送る。そのバクナー中将も,真栄里部落で日本軍との砲撃戦で戦死する。

またこの日,第3外科配属のひめゆり部隊が伊原の壕内で最期を遂げる。決別の電文送信の翌19日,牛島司令官は,「各部隊は各地における生存者中の上級者これを指揮し,最後まで敢闘し,悠久の大儀に生くべし」と命令を出し,23日未明,長勇参謀長と共に,摩文仁岳中腹の司令部壕内で自決をした。その2日前6月21日,米軍はニミッツ元帥の名で沖縄戦の勝利を宣言していた。牛島司令官自決の日6月23日は,日本軍の組織的抵抗が終了した日を意味した(沖縄慰霊の日。なお,米軍はその日を6月21日と記している)==⇒平和の礎(いしじ)。

沖縄戦 - Wikipedia

摩文仁司令部崩壊後、第24師団配下の歩兵第32連隊(連隊長:北郷格郎大佐)、並びに同連隊指揮下の2個大隊などが降伏まで徹底抗戦している。北郷大佐をはじめとするこれらの部隊の生き残りの将兵たちが米軍に投降したのは、日本政府が8月15日に国民へ停戦を発表してから2週間後の8月29日のことである)。

ひめゆり部隊(ひめゆり学徒隊)

摩文仁一帯に米軍が進出した6月18日、戦況が悪化したことから、学徒たちに、戦闘継続は各自判断せよとの突然の「解散命令」が出され、米軍包囲の戦場へ放り出される。

米須の第3外科壕(現在のひめゆりの壕)には、ひめゆり学徒、教師、軍医、看護婦、一般避難民を含めた100人ほどがいた。19日未明の脱出を決めたが、脱出する直前の明け方に壕内に米軍のガス弾が投げ込まれ、教師・生徒40名が無残な最期を遂げた(奇跡的に5人が生き残った)。

生き残った学徒たちは壕を出て、最南端の岩かげやアダンのジャングルに身を隠しながらさまよい歩きましたが、ある者は追いつめられて傷つき倒れ、ある者は手榴弾で自決した。

沖縄戦とガマ

 現に、投降を呼びかけてもそれに応じなければ一転して、容赦無い攻撃を続けた。馬乗り、催涙ガス、黄燐弾、手榴弾、火焔放射等による攻撃が多く、時にはガソリンを流して火を放つなどもしている。また、三和地区では、国吉部落、真栄里部落が米軍の無差別攻撃を受けている。バグナー中将の戦死の報復攻撃であった、と一時期言われたこともあるが、それほどすさまじい猛攻撃であったことが証言されている。

 今までぼくの知識としては、日本軍の指揮を取っていた司令部の潰滅による指令の途絶〜日本軍兵士の野生化、というのがあったんですが(米軍の狂暴化もそれにともなって、のことだと思ってたんですが)、「報復攻撃」的な意図もあったのかな。米軍の現場の指揮系統の混乱はないとは思いますが、沖縄戦担当司令官の交替にともない、指揮の方法(戦闘のしかた)が少し変わった=残虐・狂暴化した、ということはあるのかどうか、ちょっと興味を持ちました。
バックナー陸軍中将 - Google 検索
沖縄戦後史年表

チェスター・ニミッツ海軍元帥
(南西諸島軍政長官)
S.B.バックナー
(45.4.3)
R.S.ガイガーJr.海兵隊中将
(45.6.18〜6.22)
J.W.スチルウェル大将
(45.7.13)
L.A.ローソン陸軍准将
(45.10.16〜12.29)
F.B.ボドソン准将
(45.12.30〜46.2.26)

04.03
バックナー陸軍中将、軍政長官に就任(4.3)前線視察中戦死(6.18)

                                                                      • -

06.22
沖縄での日本軍の組織的抵抗終わる(6.22)

 この「R.S.ガイガーJr.海兵隊中将」とか「J.W.スチルウェル大将」を少し調べればいいんだろうけど、まぁそれはまた時間があったときにでも。
 で、とりあえず『大日本帝国の興亡』(ジョン・トーランド、毎日新聞社・訳、ハヤカワ文庫NF)の、第5巻第一部・「沖縄の惨劇」から、バックナー中将(将軍)の戦死するシーンが出てくる「摩文仁の洞穴」の章を、自分の感想をまじえながら引用してみようと思います(予告)。もちろん「集団自決」に関する話も出てきますのでお楽しみに。
 予見を与えるみたいでナニなんですが、トーランド氏のテキストは『鉄の暴風』(沖縄タイムス社)のアメリカ人によるバージョンみたいな、まるでフィクション(それも講談的フィクション)みたいなノンフィクションで、「いったいお前、それ見たのかよ!」とツッコみたくなる要素満載でした。ちなみにその中のテキストでは、ひどいことをする米軍兵士、というのは(あまり?)出てきません。戦争でひどい目に会う普通の人、の話が中心なので、「バックナーを殺されて逆ギレのアメリカ兵」という説は、面白いことは面白いんですが、根拠には欠ける気がしたのでした。
 もう一人の「新里堅進」さんは漫画家ですが、あまりくわしいことを知らないので、こちらも機会があったら読んでみよう(メモ)。
新里堅進 - Google 検索
 
 一応、アマゾンで本を買ってみたいという人のためリンク(アフィリエイトつき)。
『大日本帝国の興亡 1』
『沖縄戦記 鉄の暴風』
 
 これは以下の日記に続きます。
ジョン・トーランド『大日本帝国の興亡』第5巻「摩文仁の洞穴」のテキストをあれこれ考えながら引用してみるよ(1)
沖縄戦に関するぼくのテキストに対するツッコミテキスト