黒沢明(黒澤明)ケンカ伝説

 前の「レッド・ツェッペリン来日伝説」「松本清張(に関する森村誠一伝聞による)伝説」が割と読まれたみたいなので、今回は映画監督の黒沢明黒澤明)をとりあげてみます。元ネタは『現代のエスプリ・精神科医が映画を観ると』の中の「映画という集団総合芸術の問題点----黒沢明監督の場合」(柏瀬宏隆)。引用が多いテキストなので、さらにその引用元を明記してみます。
1・『影武者』における、役者・勝新太郎とのケンカ

勝新太郎は)「俺はこういう役者だから、こんな気分では芝居なんかできない」というようなことを、口をとがらせて黒澤さんに言った。一瞬の間をおいて、黒澤さんは信じられないほど冷静な声で言った。
それなら、勝君には止めてもらうしかないな」と言い捨てるや、くるりと向き直りワゴンを降りた。彼が私(引用者注・黒澤映画の記録係であった野上照代)のわきを通る時、同時に勝さんがガバッと立ち上がり、飛び出しそうな眼で黒澤さんを睨みつけ、殴りかかろうとした
「勝さん、勝さん、それはいけない!」
 と勝さんより小柄な田中氏(引用者注・プロデューサーの田中友幸)は顔を真っ赤にして勝さんを羽交い絞めにし、ひきずられながらもおしとどめた。松の廊下のようだった

野上照代『天気待ち----監督・黒澤明とともに』(文藝春秋
2・俳優・三船敏郎とのケンカ

 黒沢作品に出演中の三船が自宅に帰ると、夜中に鉄砲を持って庭に出て「クロサワの野郎」と言って発砲したなんて話もあるくらいだ。

↑伊東弘祐『黒沢明「乱」の世界』(講談社
3・『蜘蛛巣城』における、俳優・土屋嘉男とのケンカ

 三回目の本番は、自分でも驚く程うまく行き、納得がいった。ところが監督はOKを出さず、もう一ぺんと言った。四回目、五回目、六回目……やる度に馬の動きに新たな注文が増える。怒らない、という約束なんか、とうの昔に忘れ去り、
「最初馬の右足をここで止めてみようか」
 と地面に小さく×印を書いた。七回目の本番である。
「何やってんだよー。馬の右足の位置が違うじゃないかー。もう一ぺーん!」
 八回目、九回目となり、とうとう、
「デコスケ!」が、黒澤さんの口から飛び出した。私は頭に来た
(中略)
 途端に私は、「よーし」と心に決めた。次の本番でまずライトに一つ体当たりしてぶっ飛ばし、それから馬の向きを変えて監督目がけて馬を走らせた。監督は慌てて逃げたが追い続けた。とうとう監督は逃げながら叫んだ。
さっきの三回目でOK!

↑土屋嘉男『クロサワさーん!----黒澤明との素晴らしき日々』(新潮社)
4・『生きる』における、音楽家早坂文雄とのケンカ

『生きる』で忘れられないのは、初号試写の時だ。例の如く封切りは目前で待ったなし。試写が終わったのは夜半だった。
 観終わって試写室を出るときのふんい気は特別なものだ。
(中略)
「みんな聞いてくれ」とやっと黒澤さんが口を開く。
「これは僕の計算違いだったんだ。いや、だから、これは僕が悪かったんだが……あの回想の場面に音楽を入れたのは間違いだったんだ」と早坂さんの顔を見た。
 早坂さんは黙っている。
(中略)
 早坂さんはしばらく考えていたが、
「そうかも知れませんね、やめましょう」
 と苦笑して結論を出した。

野上照代『天気待ち----監督・黒澤明とともに』(文藝春秋)※これはケンカにはならなかった様子
5・『赤ひげ』における、音楽家・佐藤勝とのケンカ

『赤ひげ』の中で、二木てるみのおとよが保本(加山雄三)を看病していて、庭の障子をそっと開けると、表は雪が降りしきっている場面がある。映画史に残る、雪の美しいシーンだと私(引用者注・前出の野上照代)は思っている。
 黒澤さんはこの窓を開けたところから、ハイドン交響曲九四番〝驚愕〟をつけた。これはすばらしかった。これ以上この美しさに合う曲は考えられないほどだった。
 黒澤さんは全く邪気のない声で作曲の佐藤勝さんに言った。
「いいだろ、ドンピシャだろ。佐藤もこれぐらいの、書いてよ
「だったら、このままハイドンをお使いになったらいかがですか
 佐藤さんの笑顔はこわばっていた。
「でもさあ、お客はこのハイドンに、それぞれ違ったイメージを持ってるだろう。それは邪魔するよね。だからさ、ハイドンよりいいのを書いてよ」と、黒澤さんは無邪気なものである。
(中略)
 結局、佐藤さんは、ハイドンと似て非なる曲を作った。それを聞いた黒澤さんは、ひと言、こう言ったのである。
なんだ、ハイドンとそっくりじゃねえか

野上照代『天気待ち----監督・黒澤明とともに』(文藝春秋
 これはひどい
6・『乱』における、作曲家・武満徹とのケンカ

(前略)
 この時、武満さんは、ついに立ち上がった。
黒澤さん! 僕の音楽を切ってもハっても結構です。お好きなように使って下さい。でも、タイトルから僕の名前をけずってほしい。それだけです! 僕はもう、やめる。帰ります!

野上照代『天気待ち----監督・黒澤明とともに』(文藝春秋
 このあと、「映画という集団総合芸術の問題点----黒沢明監督の場合」(柏瀬宏隆)の中では、『トラ・トラ・トラ!』を巡る東映映画スタッフ、二十世紀フォックス、アメリカ映画業界の大立者・ダリル・ザナックなどとのケンカも語られていますが、ひとつだけ。
7・『トラ・トラ・トラ!』における、助監督・大澤豊とのケンカ
 撮影時のトラブルで「スタッフを殴れ」と命令された大澤豊が反撥して「私の責任なので、私を殴ってください」と言った話。

大澤:クロさん(注・黒沢明)は口ではガンガン言いますが、もともと性格的に優しい人ですから、そう言われても私を殴れるような人ではありません。今度はクロさんが引っ込みがつかなくなってしまって、その場を去ってしまったんです。私も茫然としていたんですが、黒澤組のベテランの一人が「クロさん、泣いてるよ」と教えてくれました。行ってみると片隅でうずくまって泣いているんです。手を付いて「すみませんでした」と謝ったら、「俺はずいぶん映画をやってきたけれど助監督から反抗されたのは初めてだ。もうお前はこなくていい」とその場で言われました。それで現場を離れることになったんです。

↑大澤豊・白井佳夫「大特集『二十世紀最後の秘話』黒澤明トラ・トラ・トラ!」降板の新証言」(雑誌「文藝春秋」2001年7月号)
 以下の本も面白そうです。
田草川弘『黒澤明VS.ハリウッド----「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』文藝春秋)※一応アマゾンにリンクしてみました(アフィリエイトつき)
 クロサワ最強。
 あと、これも一応。
野上照代『天気待ち----監督・黒澤明とともに』文藝春秋)(アフィリエイトつき)