「日本人奴隷」について読んでおかなければならないテキストのメモ(日本語のみ)

ちょっとまとめてみます。
1・鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』
 かなり「トンデモ度」が高いんですが、「50万人の日本人奴隷」説の大もとなので(というより、50万人説はこのテキスト以外に見当たらないので)目を通さないことには話がはじまらない。
 今だとアマゾンで、上下巻4000円ぐらいで購入できるようです。
2・徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」
 これはちょっと図書館を利用するしかない感じ。この中に「秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録」が載っている様子。
3・『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』(人文書院、1995年)
 「多くの朝鮮人を日本人が連れ帰り、ポルトガル商人に転売して大きな利益をあげる者もあった」という史料の元に当たれそうな予感。朝鮮人を転売して儲けた日本人の名前が知りたい。
4・脇田修「大坂時代と秀吉」(小学館ライブラリー)の132p
 バテレン追放令の「十条」の現代語訳が掲載されている様子。秀吉の「バテレン追放令」の基礎資料として。
5・講談社『クロニック戦国全史』
6・慶念『朝鮮日々記』
 これは「医僧」の朝鮮戦役見聞記なので、「朝鮮出兵従軍記者」とは違うかも知れませんが、人身売買のことが書いてある様子。
7・「神宮文庫」内の『御朱印師職古格』
 これを読むと、バテレン追放令の「十条」の元テキストがわかる。
 
ネット上の結論としては、だいたいこんな感じなので、
教えて!goo 豊臣秀吉の「バテレン追放令第10条」と奴隷貿易をしていたキリシタン大名・天草四郎

つまるところ、本当の元ネタであろう、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」(本職は竹工芸家の人が書いた、「終戦当時に、マッカーサーカトリック教会が、昭和天皇を改宗させ、日本をカトリックの国にしようという陰謀を企んだ」という本)を見てみないとわからないのですが、その本に「天正少年使節団の報告書」と本当に書いてあったのなら、著者は本当に天正遣欧使節記を読んだのかね、と思います。ヨーロッパ人が著者で、少年使節の対談の形式をとっている使節記を、使節団の報告書と思えるとしたら、相当変わった人ですね。

というわけで、質問者の方が見たネット上のネタは、『トンデモな人が、トンデモな本を読んで、トンデモな説を述べたのが、更にネットでコピペされていくうちに、トンデモ度が加わっていったもの』と思います。コピペはPCだけにして、頭の中ではしない方が無難ですよ。

「日本人 奴隷 歴史」とかでgoogle検索されても、あまりトンデモ度が高くないものが上に行くよう、おいらの日記の認知度を高めることにしたいと思いました。
教えて!goo 豊臣秀吉の「バテレン追放令第10条」と奴隷貿易をしていたキリシタン大名・天草四郎

改宗ユダヤ人であるザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(同じく改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

ザビエルは改宗ユダヤ人ではありません。アルメイダが奴隷を売りさばいたボス中のボスというのは、アルメイダが宣教師になる前に、貿易で巨額の富を得ていた、という事からの推測でしょう。100%とウソとは言いませんが、奴隷貿易を専らしていたかのように、受け取ったら、それは間違いです。質問者の方に辿り着くまでの間に、「ザビエルやアルメイダは、ユダヤ人、よって、金儲けに熱心」という印象を与えたがっていた人が存在したと思われます。因みに、ザビエルが金儲けの指示を出しているのは、イエズス会も、寄付などだけでは布教活動が出来なかった為です。

キリシタン迫害における真実とは? -OKWave

#4です。で、私はいろいろと調べたのですが、どうも分からないことがあります。それは私への補足にもあった「天正少年使節団の報告書によると」です。ご存知のように、天正少年使節団は帰国後キリシタン禁令により殉教したり国外追放されたりしています。彼らについての日本語の記録は「全て」消されてしまったので彼らの存在は明治時代になるまで忘れられていたのです。だから、天正少年使節団の報告書なるものの存在自体がわからんのです。日本側に資料がないのですから、後はバチカンにそういう記録が残っているかどうかですが、質問者さんはなにかご存知ですか。
質問者さんの示した報告書の話を書いたのは明治から昭和にかけて活躍した徳富蘇峰という人です。徳富蘇峰は歴史家でしたが、大変な帝国主義者で、戦前はイケイケの武闘派で世論を戦争賛成へリードした人物です。まあつまり、話の出所からして怪しい
さらに、欧州の日本女性奴隷が50万という数字ですが、この数字の根拠が全く不明です現代日本には遠くはルーマニア、ロシアから近くは韓国、中国、タイ、フィリピンから連れてこられた女性が売春を強要されていますが、この女性が何万人いるかご存知ですか?
私も知りません。誰もわかりっこありません。だって、数えようがないでしょ?表にでる数字のものじゃないですから。それと同じで、どうやって売られた奴隷の数を勘定したのか。そもそも、当時の日本の人口が何人くらいいたのかも分からないのになぜそこで「50万」という具体的な数字が算出されたのかが不明です。

つまり、バッサリ切り落とせば、質問者さんの示す資料の内容はユダヤの陰謀」とか「フリーメーソンの陰謀」なんかと同じ類いのものです。教科書に「ユダヤの陰謀」なんて載るわけないでしょ。
もちろん、海外に奴隷として売り飛ばされた男女は大勢いたでしょうし、それにキリシタン大名や宣教師が全く関わらなかったということはないでしょう。でもだからといって何でもかんでも鵜呑みにしてはいけません。質問者さんのお読みなった資料自体が「日本人の優秀さを誇示し、外国人とその文化の非道さを宣伝するための陰謀」であることを忘れずに。

日本宣教論序説(第16回)

(1) 植民地政策
キリシタンの宣教は西欧諸国の植民地政策と結びついていました。それは、初めに宣教師を送ってその国をキリスト教化し、次に軍隊を送って征服し植民地化するという政策です。秀吉は早くもそのことに気づいて主君信長に注意をうながしています。ポルトガル、スペインのようなカトリック教国は強力な王権をバックに、大航海時代の波に乗ってすばらしく機能的な帆船や、破壊力抜群の大砲を武器として、世界をぐるりと囲む世界帝国を築き上げていました。その帝国が築き上げた植民地や、その植民地をつなぐ海のル一トを通って、アジアでの一獲千金を夢見る冒険家たちが、何百、何千とビジネスに飛び出していきました。そうした中にカトリックの宣教師たちも霊魂の救いを目指して、アジアに乗り出して行ったのです。彼らが求めたのは、霊魂の救いだけではなく、経済的利益でもありました。
ザビエルがゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てた手紙から引用すると、「神父が日本へ渡航する時には、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきて下さい。もしも日本国王がわたしたちの信仰に
帰依することになれば、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的利益をもたらすであろうと神かけて信じているからです。堺は非常に大きな港で、沢山の商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金が沢山ありますので、この堺に商館を設けたらよいと思います」(書簡集第93)
「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述べたように、堺の港についた時、持ってきたのが少なければ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けが出来るからです」(書簡集第9)。
ザビエルはポルトガル系の改宗ユダヤ人(マラ一ノ)だけあって、金儲けには抜け目ない様子が、手紙を通じても窺われます。ザビエル渡来の三年後、ルイス・デ・アルメイダが長崎に上陸しました。この人も改宗ユダヤ人で、 ポルトガルを飛び出してから世界を股にかけ、仲介貿易で巨額の富を築き上げましたが、なぜか日本に来てイエズス会の神父となりました。彼はその財産をもって宣教師たちの生活を支え、育児院を建て、キリシタン大名大友宗麟に医薬品を与え、大分に病院を建てました。
(2) 奴隷売買
しかし、アルメイダが行ったのは、善事ばかりではなく、悪事もありました。それは奴隷売買を仲介したことです。わたしはここで、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」pp.249〜257から、部分的に引用したいと思います。
徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨ一ロッハ゜の帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラ一ノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであった。
キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ロ一マ法王のもとにいったが、その報告書を見ると
キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨ一ロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の枷をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。
日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神社・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。その勇気があればの話だが」。(以上で「天皇のロザリオ」からの引用を終ります)
わたしはこれまで各種の日本キリシタン史を学んで来ましたが、この「天皇のロザリオ」を読むまでは、「奴隷」の内容について知りませんでした。しかし、こういう事実を知ったからには、同じキリスト教徒として真摯な態度で語り継いで行きたいと思います。なお今年の1月30日に、第5版が発行された、若菜みどり著「クアトロ・ラガッツィ(四人の少年の意)」――天正少年使節と世界帝国――pp.414〜417」に奴隷売買のことが報告されていますが、徳富蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇pp.337−387」からの引用がなされているにもかかわらず、「火薬一樽につき日本娘50人」の記録は省かれています。そして。「植民地住民の奴隷化と売買というビジネスは、白人による有色人種への差別と資本力、武力の格差という世界の格差の中で進行している非常に非人間的な『巨悪』であった。英雄的なラス・カサスならずとも、宣教師はそのことを見逃すことができず、王権に訴えてこれを阻止しようとしたがその悪は利益をともなっているかぎり、そして差別を土台としてい
るかぎり、けっしてやむものではなかった」(p.416)と説明して、売られた女性たちの末路の悲惨さを記しています。かなり護教的な論調が目立つ本です。秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天連はインドその他の遠隔地に売られて行ったすべての日本人を日本に連れ戻せ」と命じています。
(3) 巡回布教
更に秀吉は、「なぜ伴天連たちは地方から地方を巡回して、人々を熱心に煽動し強制して宗徒とするのか。今後そのような布教をすれば、全員を支那に帰還させ、京、大阪、堺の修道院や教会を接収し、あらゆる家財を没収する」
と宣告しました。。
(4) 神社仏閣の破壊
更に彼は、「なぜ伴天連たちは神社仏閣を破壊し神官・僧侶らを迫害し、彼らと融和しようとしないのか」と問いました。神社仏閣の破壊、焼却は高山右近大友宗麟などキリシタン大名が大々的にやったことです。これは排他的唯一神教が政治権力と結びつく時、必然的に起こる現象でしょうか。
(5) 牛馬を食べること
更に彼は、「なぜ伴天連たちは道理に反して牛馬を食べるのか。馬や牛は労働力だから日本人の大切な力を奪うことになる」と言いました。
以上秀吉からの五つの詰問にたいする、コエリヨの反応は極めて傲慢で、狡猾な、高をくくった返答でした。高山右近を初め多くのキリシタン大名たちはコエリヨを牽制しましたが、彼は彼らの制止を聞き入れず、反って長崎と茂木の要塞を強化し、武器・弾薬を増強し、フイリピンのスペイン総督に援軍を要請しました。これは先に巡察使ヴァリニヤ一ノがコエリヨに命じておいたことでした。しかし、かれらの頼みとする高山右近が失脚し、長崎が秀吉に接収されるという情勢の変化を見てヴァリニヤ一ノは、戦闘準備を秀吉に知られないうちに急遽解除しました。これらの経過を見れば、ポルトガル、スペイン両国の侵略政策の尖兵として、宣教師が送られて来たという事実を認めるほかないでしょう。これらの疑問は豊臣時代だけでなく、徳川時代300年の間においても、キリシタンは危険であり、キリシタンになればどんな残酷な迫害を受けるかわからないという恐怖心を日本人全体に植え付けることになり、キリスト教の日本への土着化を妨げる要因になったと言えるでしょう。

 このコエリヨの「極めて傲慢で、狡猾な、高をくくった返答」が見たくなりました。
教えて!goo キリシタン迫害における真実とは?

天正遣欧少年使節が、日本人奴隷を見た、というのは幕府の「でっちあげ」はありません。ご質問のリンク先の内容の引用元の本の根拠について、自ら調べられた方のブログが↓ですが、そこにあるように「天正遣欧使節記」に日本人奴隷の記述があります。しかし、「50万人」とか、「ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換した」などと、書いてはいません。ローマ法王に直訴も勿論していません。そもそも、この「使節記」は、形式上は使節の対話録という形をとってはいますが、実際にはヨーロッパ側が、ヨーロッパで読まれる事を意識して書いたもので、この本の内容にある通りの発言を使節がした、という風に理解する歴史学者はまずいません。勿論、ヨーロッパで読まれるのに、存在しない日本人奴隷をいる事にするウソをつく理由も考えられないので、奴隷がいた、という根拠としては使えるでしょうが…。
引用元の本が、一体何を根拠に50万人とか、ポルトガル人の教会や師父が人身売買をした、と書いたのか、私には不明です。(これ以外に、遣欧使節の『報告』などという呼び方に近いものって、聞いた事がないんだが…)

徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に載った「秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録」なるものに、「火薬と引き換えに日本人女性がキリシタン大名に売られていった」という記録があると書かれていていますが、その見聞録の名前がわかりませんね。最終的には、引用もとの本を見てみないと確認のしようがないのですが、↓の61番の書き込みでは、秀吉の祐筆だった大村由己の「九州御動座記」が引用されているので、この本が元ネタだと推測します。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1158818888/1-1
「従軍記者」などというものは勿論いませんでしたが、祐筆であれば、そのように呼んでもまるでウソとは言えませんからね。一方、私の手元にある一般人向けの概説書には、大村由己の記録がかなり長文で引用されています。書名は書いていませんが、↑のサイトにある「九州御動座記」の引用と内容が一致するので、おそらくその史料からの引用と思われます。
で、私の持っている本の引用には、キリシタン大名、小名、が火薬と引き換えに女性を売った」とかは書いていません。日本人奴隷が悲惨な目にあっている、とは書いてありますが…。
↑のサイトでは、「これは当時の公文書である」などと権威付けをしていますが、より正しくは、一般論として大村由己が残した記録は、宣伝を含めた「公式見解」と考えるべきで、極端な例では、秀吉が天皇のご落胤である事を示唆するような事まで書いています。(大政所が天皇のお手つきになったのだそうだ)。ですから、一般的には、その中身の詳細な部分は単純に信じてはいけない史料なのですが、そのような性格であるの史料ですら、キリシタン大名が火薬と引き換えに売った、などと書いてある事が確認できないのです。

日本における奴隷貿易

こうした南蛮人の蛮行を「見るを見まね」て、「近所の日本人が、子を売り親を売り妻子を売る」という状況もあったことが、同じく『九州御動座記』に書かれている。

八切止夫作品集

 ただ歴史家とは認められていない人だが、徳富蘇峰の『近世日本国民史』に、「後戸(五島)・平戸・長崎にて、日本人を男女を問わず数百人ずつ黒舟が買いとり、手足に鉄の鎖をつけ舟底へ入れて運び去るは、地獄の責苦にもまさって、むごい有様である」
 といった実地にみた大村由己の、
『九州動座記』の奴隷売渡しの実況が挿入されているだけである。
 由己は豊臣秀吉の祐筆頭で、これは当時の公文書である。

 それより何故日本人が、こんなに奴隷に売られたのか?これまでの日本史では極秘である。
 というのは今日の日本史は明治帝国主義の所産だから、これは明治軍部のせいだろう
 真相は天文十二年に銃器が種ガ島へ渡来。
 器用な日本人は直ちにそれをまねて精巧な銃も作った。
 しかし、硝煙とよばれた硝石は、現在でもそうだが日本では一片も産出しない。みな輸入に依存するしかなかった。鉄砲があっても火薬がなくては戦争できぬ立場にあった。
 よって、しめしめとばかり黒人の奴隷売買で味をしめたドミニコ派の宣教師が、マカオよりの火薬と交換に、日本人を牛馬のごとく買ってゆき奴隷転売にしたのである。
 戦国時代に切支丹大名が多かったのも、信仰の為ではなく火薬入手の手段だった。判りきったこんな明白な歴史事実でさえ、明治軍部は国民を無謀な戦争にかりたてるため、(国内に火薬の原料なし)を隠すために歴史屋を黙らせたのである。
 さて、戦後二十六年。今になっても歴史家は一人も知ってか知らずか、この真実を発表しない。また吾々をどうするつもりなのかと、ここに告発したい。

 まだいろいろ面白いテキストもネット内外にあるんですが、いろいろ調べてまた何か書きます。
 最後にこれだけ。
株式日記と経済展望 キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事(コメント欄)

>「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述ぺたように、堺の港についた時、持ってきたのが少なけれぱ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けが出来るからです」(書簡集第9)。

聖フランシスコ・ザビエル全書簡』1を買って、書簡第9を読んでみましたが、上記のような記述はどこにもありませんね。
番号を間違えられたのですか?

なお、
>「神父が日本へ渡航する時には、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきて下さい。もしも日本国王がわたしたちの信仰に帰依することになれぱ、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的利益をもたらすであろうと神かけて信じているからです。堺は非常に大きな港で、沢山の商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金が沢山ありますので、この堺に商館を設けたらよいと思います」(書簡集第93)<
これには続きがあって

「私がインドで経験したところでは、(物質的な利益に)関係なく、神の愛だけで神父たちを渡航させる船を出す者は、誰もいないと信じています。」
とあります。つまり、商売になるからと言って、船を持っている金持ちに日本まで渡航させる動機付けを与え、自分たちの足を確保しようということです。ザビエル自身が商売に興味があったわけじゃありません。

そして他からも指摘があったように、ザビエルはマラーノではありません。ナバラ地方にはザビエル城があって、代々領主、貴族の家系です。ユダヤ人はどんなに金持ちであっても、スペインの一領主になることはできなかったでしょう。

 ザビエルの書簡集にも目を通さないといけない様子。
 
 これは以下の日記に続きます。
既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる