『歓呼の街』と昔の映画は見る人が少ないことについて

 『歓呼の街』。
 引き続き木下惠介の戦時中の作品(第3作)。
 戦時疎開で町の住民が地縁を断ち切って新しい土地に行こうとしている、あわただしい町(多分東京・大田区。蒲田あたりか)。町内会長とその娘、夫と離別して琴の師匠で生計を立てる女性とその息子(現在は試験機のテスト・パイロット)を軸に、印刷屋の家族、風呂屋の家族などがからむ。
 セットのようにしか思えない町の作りは、それでも昭和初期の東京の「町」がどのようなものか分かるような感じで、路地を歩き、会話する人物のとらえかた(カメラ・アングル)も絶妙。
 話はあんまりハッピーエンドではなく、パイロットの息子の事故死(戦死)と、その母親&帰ってきた父親が町を離れるシーンで終わる。大八車の引越し荷物に、「○○(亡くなった息子の名前)夏服」と書いてある文字が切ない。
 春の桜の花が印象的な、ちょっと舞台劇として作っても全然違和感のないだろう不思議な映画。
 やはり戦時色というか、戦争中に作られた作品なんだけど、お国のために、みたいなセリフがどうも物語として見るとどうよ、みたいな感じが、恋愛主軸の部分に眼をやると感じられて仕方がない、という戦後感覚な映画なのだった。
 離別していた夫が帰ってきて、ちょっと家に入りにくくて町を歩きながら(電車の踏切を渡ったりするシーンなどがあり)、延々と自分の過去・未来について、ホラのようにしか妻には思えない話をする、その話を聞きながら妻はどんどん、再会したときの喜びがしぼんでいく、という演出が、とてもうまい。夫がタバコに火をつけてマッチを水溜りに捨てる、その水溜りを夫婦が別れるようにして(気持が離れているのを映像化しているように)歩く、なんてのは、ちょっと今どきの映画では見られない演出で、なるほど、とか思うのだが、引き続きそれが木下惠介独自のものなのか、当時の映画の演出としては普通にあったことなのか、という疑問が残るのだった。
 ぼくが映画の「文法」(カメラワーク)をはじめて意識して見たのは多分シベールの日曜日』(1962)あたりじゃないかと思うんですが、たとえば「何かの象徴」として「何かの映像」を出す、みたいな手法は、今ではほとんど見た覚えがない。確かにそれって、やりすぎると演出のあざとさがギャグになりかねないので、ギャグ以外には現在は使いにくいんでしょうが、昔の映画だ、ということを承知の上で見ると「おー」とか自然に思えてしまいます。これは何かに使える、とか。でも、それをたとえばTVドラマでやったらどうだろう、とか考えると、うーむ、と首をひねらざるを得ない。何とかならないんだろうかなぁ、これ。シナリオで書くとか書かないじゃなくて、完全に、あるシーンをどう演出するか、なので、監督の趣味の問題、さらに言うと監督が今までにどういう映画を見てきたかの問題、になると思いますが。
 映画に限らず昔のモノって、クリエイターは見る(読む・聞く)んだろうか。一般論としては、見る・読む・聞く人もいれば、見ない・読まない・聞かない人もいるだろう、とは言える。しかし、自分が生まれてモノゴコロついて、最初に見たり読んだり聞いたりしたモノ(映画・本・音楽)以前のものはさかのぼりにくいだろう、というのもまた一般論。受け手(ユーザー)は、まずしないよね。よほど見るモノがなくなったりしない限りは、自分が13歳に(まぁ何歳でもいいけど)自分の考えでもって最初に見た映画より昔に作られた映画なんて見たりはしない。生まれる前の映画だったらなおさら。
 ネットで検索しても、木下惠介の映画は、名作と言われているいくつかの映画を除くと(それでも10本ぐらいはありますが)、なかなかブログ・個人サイトを含めて、感想なんか出てこない。たった数十年前の映画だってのに。ミステリーで言うと『そして誰もいなくなった』(1939)よりも新しいのに*1
 どんどん話が横道にそれるな。要するに、人はなかなか自分が知っている過去以前に流行したモノに関して興味を持たない、みたいなことです。
 この調子だと、手塚治虫植草甚一も、多分今の若者には興味がない人なんだろうなぁ。最近流行しているわけではないし、最近の流行を支えている人が言及しているわけでもない、昔のクリエイターなので。

*1:クリスティすら最近の若者は読んでないかもしれないですが、まぁ一応書店では売られている。