「沖縄集団自決訴訟」の大江健三郎氏関係の記録
2007年11月9日におこなわれた、大阪地裁での「沖縄集団自決訴訟」の記録を、とりあえず報道から残しておきます。
大江健三郎氏の発言があまり見当たらないのでちょっと困っているのでした。
このあたりから(共同通信が地方に配信しているようで、同じものがあちこちにあります)。
→大江さんの証言要旨大阪地裁 徳島新聞社
大江健三郎さんが9日、大阪地裁に提出した陳述書の要旨と尋問のやりとり要旨は次の通り。
▽陳述書要旨
1965年に沖縄で収集を始めた関係書が「沖縄ノート」を執筆する基本資料となり、ジャーナリストらから学んだことが基本態度をつくった。
戦後早いうちに記録された体験者の証言を集めた本を中心に読み、中でも沖縄タイムス社刊の「鉄の暴風」を大切にした。著作への信頼があり、座間味、渡嘉敷両島での集団自決の詳細に疑いを挟まなかった。
集団自決は太平洋戦争下の日本国、日本軍、現地の軍までを貫くタテの構造の力で強制されたとの結論に至った。構造の先端の指揮官として責任があった渡嘉敷島の守備隊長が戦後の沖縄に向けて取った行動について、戦中、戦後の日本人の沖縄への基本態度を表現していると批判した。
関係者に直接インタビューはしていない。本土の若い小説家が質問する資格を持つか自信を持てなかった。守備隊長の個人名を挙げていないのは、集団自決が構造の強制力でもたらされたと考えたからだ。
もし隊長がタテの構造の最先端で命令に反逆し、集団自決を押しとどめて悲劇を回避していたとしたら、個人名を前面に出すことが必要だった。
集団自決について「命令された」と括弧つきで書いた。タテの構造で押しつけられたもので、軍によって多様な形で伝えられ、手りゅう弾の配布のような実際行動によって示されたという総体を指し、命令書があるかないかというレベルのものではないと強調するためだ。
批判したのは、1945年の悲劇を忘れ、問題化しなくなっている本土の日本人の態度で、沖縄でも集団自決の悲惨を批判する者はいないと考えるようになっていた守備隊長の心理についてだ。
隊長命令説を否定する文献は知っているし、読んでもいるが、「沖縄ノート」を改訂する必要はないと考えている。
皇民教育を受けていた島民たちは日々、最終的な局面に至れば集団自決のほかに道はないという認識に追い詰められていた。集団自決は、既に装置された時限爆弾としての「命令」だった。無効にする新しい命令をせず、島民たちを「最後の時」に向かわせたのが渡嘉敷島の隊長の決断だ。
座間味島の集団自決や隊長命令のあるなしは論評していない。渡嘉敷島と同様に命令があったと考える。島民たちの証言でも支えられた確信だ。
▽やりとり要旨
(大江さん側の弁護士)
-日本軍の隊長が自決を命令したと書いたのか。
「(隊長の命令が)あったとは書いていない。隊長個人の性格、資質で行われたものではなく軍隊が行ったものと考え、特に個人の名前を書かなかった。その方が問題が明らかになると考えた」
-集団自決は軍の命令だったと考えるか。
「文献を読み、執筆者らに話を聞いて軍の命令だという結論に至った」
-今現在も命令があったと考えているか。
「確信は強くなっている」
-記述を「リンチ」とする批判もあるが。
「普通の人間が軍の組織の中で罪を犯しうるというのが(本の)主題」
-日本軍の命令について訂正する必要は。
「必要性は認めない」
(元守備隊長側の弁護士)
-自決命令について「軍のタテの構造で押しつけられた」と言われたが、「沖縄ノート」にはその説明がない。
「その言葉は使っていない」
-守備隊長が雑誌の取材に答えた「わたしは(集団自決を)全く知らなかった」の言葉をうそと決め付けているのか。
「事実ではないと思っている」
-本で引用した「沖縄戦史」の「住民は(中略)いさぎよく自決せよ」の記述は。
「事実と考えている」
-家永三郎氏の「太平洋戦争」でも自決命令の記述の一部は削除された。軍命説は歴史家の検証に堪えられないと考えたのでは。
「取り除かれた部分は『沖縄ノート』に抵触することはない。わたしは本に責任があり、それを守りたい」
-一般読者が理解できるように書くべきでは。
「誤読に反論する文章を書こうとしている」
「陳述書」も「やりとり」も要旨なんで、より正確な情報が出たらそこにリンクしたいと思います。
出るとすると以下のサイトのどちらかだと思う。
→沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
→沖縄戦裁判
(追記)
産経新聞のサイトには別のものもありました。大江氏以外の証言もあるんだけれど、それは置いておいて。
→【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」 (1/3ページ)
2007.11.9 20:11
《午後1時50分ごろ、大江健三郎氏が証言台に。被告側代理人の質問に答える形で、持論を展開した》
被告側代理人(以下「被」)「著書の『沖縄ノート』には3つの柱、テーマがあると聞いたが」
大江氏「はい。第1のテーマは本土の日本人と沖縄の人の関係について書いた。日本の近代化に伴う本土の日本人と沖縄の人の関係、本土でナショナリズムが強まるにつれて沖縄にも富国強兵の思想が強まったことなど。第2に、戦後の沖縄の苦境について。憲法が認められず、大きな基地を抱えている。そうした沖縄の人たちについて、本土の日本人が自分たちの生活の中で意識してこなかったので反省したいということです。第3は、戦後何年もたって沖縄の渡嘉敷島を守備隊長が訪れた際の現地と本土の人の反応に、第1と第2の柱で示したひずみがはっきり表れていると書き、これからの日本人が世界とアジアに対して普遍的な人間であるにはどうすればいいかを考えた」
被「日本と沖縄の在り方、その在り方を変えることができないかがテーマか」
大江氏「はい」
被「『沖縄ノート』には『大きな裂け目』という表現が出てくるが、どういう意味か」
大江氏「沖縄の人が沖縄を考えたときと、本土の人が沖縄を含む日本の歴史を考えたときにできる食い違いのことを、『大きな裂け目』と呼んだ。渡嘉敷島に行った守備隊長の態度と沖縄の反応との食い違いに、まさに象徴的に表れている」
被「『沖縄ノート』では、隊長が集団自決を命じたと書いているか」
大江氏「書いていない。『日本人の軍隊が』と記して、命令の内容を書いているので『〜という命令』とした」
被「日本軍の命令ということか」
大江氏「はい」
被「執筆にあたり参照した資料では、赤松さんが命令を出したと書いていたか」
大江氏「はい。沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』にも書いていた」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」 (2/3ページ)
2007.11.9 20:11
被「なぜ『隊長』と書かずに『軍』としたのか」
大江氏「この大きな事件は、ひとりの隊長の選択で行われたものではなく、軍隊の行ったことと考えていた。なので、特に注意深く個人名を書かなかった」
被「『責任者は(罪を)あがなっていない』と書いているが、責任者とは守備隊長のことか」
大江氏「そう」
被「守備隊長に責任があると書いているのか」
大江氏「はい」
被「実名を書かなかったことの趣旨は」
大江氏「繰り返しになるが、隊長の個人の資質、性格の問題ではなく、軍の行動の中のひとつであるということだから」
被「渡嘉敷の守備隊長について名前を書かなかったのは」
大江氏「こういう経験をした一般的な日本人という意味であり、むしろ名前を出すのは妥当ではないと考えた」
被「渡嘉敷や座間味の集団自決は軍の命令と考えて書いたのか」
大江氏「そう考えていた。『鉄の暴風』など参考資料を読んだり、執筆者に会って話を聞いた中で、軍隊の命令という結論に至った」
被「陳述書では、軍隊から隊長まで縦の構造があり、命令が出されたとしているが」
大江氏「はい。なぜ、700人を超える集団自決をあったかを考えた。まず軍の強制があった。当時、『官軍民共生共死』という考え方があり、そのもとで守備隊は行動していたからだ」
被「戦陣訓の『生きて虜囚の辱めを受けず』という教えも、同じように浸透していたのか」
大江氏「私くらいの年の人間は、子供でもそう教えられた。男は戦車にひき殺されて、女は乱暴されて殺されると」
被「沖縄でも、そういうことを聞いたか」
大江氏「参考資料の執筆者の仲間のほか、泊まったホテルの従業員らからも聞いた」
被「現在のことだが、慶良間(けらま)の集団自決についても、やはり軍の命令と考えているか」
大江氏「そう考える。『沖縄ノート』の出版後も沖縄戦に関する書物を読んだし、この裁判が始まるころから新証言も発表されている。それらを読んで、私の確信は強くなっている」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」 (3/3ページ)
2007.11.9 20:11
被「赤松さんが陳述書の中で、『沖縄ノートは極悪人と決めつけている』と書いているが」
大江氏「普通の人間が、大きな軍の中で非常に大きい罪を犯しうるというのを主題にしている。悪を行った人、罪を犯した人、とは書いているが、人間の属性として極悪人、などという言葉は使っていない」
被「『(ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の中心人物で、死刑に処せられたアドルフ・)アイヒマンのように沖縄法廷で裁かれるべきだ』とあるのは、どういう意味か」
大江氏「沖縄の島民に対して行われてきたことは戦争犯罪で、裁かれないといけないと考えてきた」
被「アイヒマンと守備隊長を対比させているが、どういうつもりか」
大江氏「アイヒマンには、ドイツの若者たちの罪障感を引き受けようという思いがあった。しかし、守備隊長には日本の青年のために罪をぬぐおうということはない。その違いを述べたいと思った」
被「アイヒマンのように裁かれ、絞首刑になるべきだというのか」
大江氏「そうではない。アイヒマンは被害者であるイスラエルの法廷で裁かれた。沖縄の人も、集団自決を行わせた日本軍を裁くべきではないかと考え、そのように書いた」
被「赤松さんの命令はなかったと主張する文献があるのを知っているか」
大江氏「知っている」
被「軍の命令だったとか、隊長の命令としたのを訂正する考えは」
大江氏「軍の命令で強制されたという事実については、訂正する必要はない」
《被告側代理人による質問は1時間ほどで終わった》
このあとで、「原告側代理人」が質問をします。
→【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」 (1/3ページ)
2007.11.9 20:49
《5分の休憩をはさんで午後2時55分、審理再開。原告側代理人が質問を始めた》
原告側代理人(以下「原」)「集団自決の中止を命令できる立場にあったとすれば、赤松さんはどの場面で中止命令を出せたと考えているのか」
大江氏「『米軍が上陸してくる際に、軍隊のそばに島民を集めるように命令した』といくつもの書籍が示している。それは、もっとも危険な場所に島民を集めることだ。島民が自由に逃げて捕虜になる、という選択肢を与えられたはずだ」
原「島民はどこに逃げられたというのか」
大江氏「実際に助かった人がいるではないか」
原「それは無目的に逃げた結果、助かっただけではないか」
大江氏「逃げた場所は、そんなに珍しい場所ではない」
原「集団自決を止めるべきだったのはいつの時点か」
大江氏「『そばに来るな。どこかに逃げろ』と言えばよかった」
原「集団自決は予見できるものなのか」
大江氏「手榴(しゅりゅう)弾を手渡したときに(予見)できたはずだ。当日も20発渡している」
原「赤松さんは集団自決について『まったく知らなかった』と述べているが」
大江氏「事実ではないと思う」
原「その根拠は」
大江氏「現場にいた人の証言として、『軍のすぐ近くで手榴弾により自殺したり、棒で殴り殺したりしたが、死にきれなかったため軍隊のところに来た』というのがある。こんなことがあって、どうして集団自決が起こっていたと気づかなかったのか」
原「(沖縄タイムス社社長だった上地一史の)『沖縄戦史』を引用しているが、軍の命令は事実だと考えているのか」
大江氏「事実と考えている」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」 (2/3ページ)
2007.11.9 20:49
原「手榴弾を島民に渡したことについては、いろいろな解釈ができる。例えば、米英に捕まれば八つ裂きにされるといった風聞があったため、『1発は敵に当てて、もうひとつで死になさい』と慈悲のように言った、とも考えられないか」
大江氏「私には考えられない」
原「曽野綾子さんの『ある神話の風景』は昭和48年に発行されたが、いつ読んだか」
大江氏「発刊されてすぐ。出版社の編集者から『大江さんを批判している部分が3カ所あるから読んでくれ』と発送された。それで、急いで通読した」
原「本の中には『命令はなかった』という2人の証言があるが」
大江氏「私は、その証言は守備隊長を熱烈に弁護しようと行われたものだと思った。ニュートラルな証言とは考えなかった。なので、自分の『沖縄ノート』を検討する材料とはしなかった」
原「ニュートラルではないと判断した根拠は」
大江氏「他の人の傍証があるということがない。突出しているという点からだ」
原「しかし、この本の後に発行された沖縄県史では、集団自決の命令について訂正している。家永三郎さんの『太平洋戦争』でも、赤松命令説を削除している。歴史家が検証に堪えないと判断した、とは思わないか」
大江氏「私には(訂正や削除した)理由が分からない。今も疑問に思っている。私としては、取り除かれたものが『沖縄ノート』に書いたことに抵触するものではないと確認したので、執筆者らに疑問を呈することはしなかった
【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」 (3/3ページ)
2007.11.9 20:49
《尋問が始まって2時間近くが経過した午後3時45分ごろ。大江氏は慣れない法廷のせいか、「ちょっとお伺いしますが、証言の間に水を飲むことはできませんか」と発言。以後、ペットボトルを傍らに置いて証言を続けた》
原「赤松さんが、大江さんの本を『兄や自分を傷つけるもの』と読んだのは誤読か」
大江氏「内面は代弁できないが、赤松さんは『沖縄ノート』を読む前に曽野綾子さんの本を読むことで(『沖縄ノート』の)引用部分を読んだ。その後に『沖縄ノート』を読んだそうだが、難しいために読み飛ばしたという。それは、曽野綾子さんの書いた通りに読んだ、導きによって読んだ、といえる。極悪人とは私の本には書いていない」
原「作家は、誤読によって人を傷つけるかもしれないという配慮は必要ないのか」
大江氏「(傷つけるかもしれないという)予想がつくと思いますか」
原「責任はない、ということか」
大江氏「予期すれば責任も取れるが、予期できないことにどうして責任が取れるのか。責任を取るとはどういうことなのか」
《被告側、原告側双方の質問が終わり、最後に裁判官が質問した》
裁判官「1点だけお聞きします。渡嘉敷の守備隊長については具体的なエピソードが書かれているのに、座間味の隊長についてはないが」
大江氏「ありません。裁判が始まるまでに2つの島で集団自決があったことは知っていたが、座間味の守備隊長の行動については知らなかったので、書いていない」
《大江氏に対する本人尋問は午後4時前に終了。大江氏は裁判長に一礼して退き、この日の審理は終了した》
(太字は引用者=ぼく)
なんかガチンコ勝負という風情です。
やはり「証言」だけに頼って何かを判断したり、人に判断させようと思ったりするには、ものすごいエネルギーがいるんじゃないかと思いました。そのエネルギーが「思い込み」だけによって支えられてたりすると「オバケを見たコドモ」的滑稽さにもなりかねるので、そこらへんの危惧は大江氏のほうにはあまりないのか、ほどほどにあるのか知りたいところ。
これは以下の日記に続きます。
→「沖縄集団自決訴訟」は、『沖縄ノート』の誤読に基づく、という説(罪の巨塊)