記憶でモノを書く佐藤愛子の本に怒る(円タクほか)

 以下の本から。

今は昔のこんなこと (文春新書)

今は昔のこんなこと (文春新書)

★『今は昔のこんなこと』(佐藤愛子/著/文藝春秋/777円)【→amazon

下働きのみよやが着物を捨て「アッパッパ」を着た日から幾星霜。気がつけば「ステテコ」に「カンカン帽」のオッサンは消え、「ホホホ」と笑う女もいない―懐かしさより笑いを誘う、絶滅風俗事典。

p99

昭和の初期「一円均一」という極めてわかり易い販売法がはやった。その始まりは大正十五年に改造社が出した「どの本も一円均一」という商法である。それが爆発的に売れてそれまで文士といえば上に「貧乏」がついたくらい金に縁がなかった文士(小説家)のカラカラの懐はみるみる潤った。これを円本ブームという。
 それを真似たのか、タクシーが一円均一、「円タク」という通称で客を呼んだ。

 人間が記憶で、知っているモノを書くとダメになり、それを知らない人間にはだれも間違いを指摘できない、という典型的な例でしょうか。
 ウィキペディアの記述では以下のとおり。
日本のタクシー - Wikipedia

1924年(大正13)年6月27日大阪、1926(大正15)年6月10日東京で、市内1円均一タクシー(通称円タク)が登場。

 改造社の「円本」(『現代日本文学全集』)創刊は1927年(昭和2年で、それの広告が載ったのは1926年11月1日。
 一説によると、谷崎潤一郎改造社の山本実彦に、前借のネタとして「大阪で流行っている円タクのマネして円本はどうだろう」と言ってすすめた、という話もあるんですが、これはもうすこししらべたい。
 このあたりというと、いくら佐藤愛子さんでも1923年生まれ、と幼少時の記憶なので、ちゃんといろいろしらべてから書いて欲しかったところ。「円タクは円本の模倣」ではないし「一円均一」の始まりは「円本」ではありません。
 こういうのは逆に、ぼくなどは知らないからすぐしらべるということもあるんですが、つぎのはむずかしい。p120

 娘は子供の頃からテレビで植木等がカンカン帽を被って歌っているのを始終見ていた。それで知っているのだという。そうだ、確か植木等はスーダラ節を歌っていた。白いステテコに毛糸の腹巻にカンカン帽姿で。

 ぼくは、植木等が「シャボン玉ホリデー』という番組に出ていて、「お呼びでない? こりゃまた失礼しました」というギャグを、「白いステテコに毛糸の腹巻にカンカン帽姿」でやっていたのは知っているのですが(記憶ともなにとも言えないようなかたちで)、そのスタイルで「スーダラ節」を歌っていたかは不明です。
 ちなみに、youtubeにはその映像は存在しますが、
YouTube - スーダラ節
 これは佐藤愛子さんが見ていたテレビ番組よりも20年ほどあとのことです。
 ついでにこんなのも。
YouTube - 初音ミクに「スーダラ節」を歌わせてみた
 ときたもんだ。
 ぼくの記憶は、映画『無責任一代男ニッポン無責任時代』の植木等のイメージが強烈なのですが、この映画のなかでは「スーダラ節」はどうもうたっていないし、ステテコ姿でもなかったようです。記憶がどこまで補完できるか不明だけど(さすがのぼくも劇場公開時には見ていない)、DVDでちょっと補完してみたくなった。
 まぁ、『今は昔のこんなこと』を読んでおもったことは、中途半端に覚えていることは言及がむずかしい、ということでしょうか。たとえばぼくなどは、カセットテープやフロッピー・ディスク、LPなどに関する記憶はかなりあいまいで、いつの時代にどういう曲をどういうメディアで聴いていたか、とか、どういう映画をいつごろ見たか、などは、記録を取っているわけではないので、当時の時代の資料をしらべないとかけないだろうな、とかおもう。
 で、最後になるけど、以下の本はそういう意味でそれなりにしらべている、いい本でした。

日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀

日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀

★『日本の美しい歌 ダークダックスの半世紀』(喜早 哲 著/新潮社/1,680円)【→amazon

結成56年、ダークダックスのゲタさんが語る懐かしい歌の数々。「鈴懸の径」と灰田勝彦さん、「雪の降る街を」と中田喜直先生、「からたちの花」と山田耕筰先生、「蘇州夜曲」と服部良一先生。歌い続けて半世紀、忘れられない思い出がいっぱい。團伊玖磨先生たちと訪問した中国では不思議な出会いもありました。折々のヒット曲、懐かしい唱歌についても語ります。さあ、ご一緒に歌って下さい!