id:asianshore氏の文章テクニックに畏怖する
まず、これを読んでください。
→兄の人生の物語 - ロハスで父が死にました
兄はいつも飛び跳ねていた。羽虫のような低い唸り声を上げながら、顔の前で何度も両手を叩き合わせ、小刻みに飛び跳ねていた。それは私が物心ついたときから目にしていた兄の癖だった。兄は外出先でも同じように飛び跳ねた。そして公衆トイレに異常なまでの執着を見せた。兄は公衆トイレを見かけるたびに、尿意が無いにも関わらず走っていっては、その前での記念写真をせがむのだった。
ふつうに感動します。
つぎに、これ。
→自慰コンドーの日記 - ロハスで父が死にました
オナニーをしていて、「ああ、今の自分はオナニーをしすぎだ、もうこれ以上オナニーをしたら体が壊れる」とか思うことって結構あると思うんですけど、実際はそう思ってから少なくとも5回くらいは壁を越えられる気がします。
あまりのくだらなさに涙が出てしまいます。
ちなみにオリジナルはこちら。
→自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする - jkondoの日記
仕事をしていて、「ああ、今の自分は仕事をしすぎだ、もうこれ以上仕事をしたら体が壊れる」とか思うことって結構あると思うんですけど、実際はそう思ってから少なくとも5回くらいは壁を越えられる気がします。限界っていうのは、ある程度は認知の問題で、自分の中で「この辺までだろう」と勝手に限界を作っている部分もあるなあという事を経験上思うのです。自分の中で、「よくあれくらいのやり方で限界だとか思っていたなあ」と過去の自分に対して思うことも多く、その反省を含めて思うのです。
つぎに、こんなのも読んでみます。
→私のお墓の前で - ロハスで父が死にました
「私のお墓の前で泣かないでください」
そんなことをほざく傲慢な霊がいると聞く。まったくけしからん話である。しかもせっかく墓前まで来て泣いている人に「そこに私はいません」と追い討ちをかけるのだ。霊のモラルもここまで落ちたものかと嘆かわしくなる。そういう霊には私の墓を見せてやりたい。誰もいないだろう。まあここでまはよくある話だが、実のところ私の妻は毎日通ってきては墓の前で涙しているのだ。しかし彼女は私の墓の前にはいない。どこにいるかと言えば隣の墓の前で涙を流していやがる。私は声を大にして妻に言いたい。
「隣のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」
普通によくできているショート・コントです。
まとめて読みたいときは、これなどを参考に。
→はてなブックマーク - d:id:asianshore の注目エントリー
どんだけー、というぐらいのうまさです。
むかしのテキストサイトでは、このくらいの「芸」を持つひとはちゃんと目だっていたのですが、いまはどうなんだろう。「兄の人生の物語」のブックマーク数からいうと、もう一気に有名ブログ、という感じなのですが、まだ知らないひとがいるかもしれないので、メモ&おしらせ。
最後に、これ。
→だからあなたは小説家になれない - ロハスで父が死にました
多くの小説家志望が小説家になれないでいる。理由は明白だ。書かないからだ。彼らは小説家になりたいと願いながら、ただの1行も書き始めようとしない。そのくせいつか自分がとんでもない傑作を書き上げると信じて疑わないのだ。
ぼくも小説を書きたくなってしまいますが、あまりに畏怖しちゃったので、とてもid:asianshore氏を超えられそうにありません。
これは以下の日記に続きます。
→まさか「兄の人生の物語」をリアルだと思って読む人がそんなにいようとは