「自決しろ」「自決するな」という戦争中の発言について

 以下のところから。
沖縄戦の実相―「つくる会」による改ざんの動きをめぐって:paper78(林 博史)

 この一連の教科書問題を通じて、「集団自決」という言葉そのものに問題があると指摘され、それに代わって“日本軍に強制された「集団死」”という言葉を使うことが提起されるようになった。「集団自決」という言葉は、戦争中から使われていた言葉ではなく、先に紹介した『鉄の暴風』で使用されて以来、使われるようになった。「集団自決」という言葉を使わないように提起している人たちは、「自決」という言葉には住民が自ら進んで命を絶ったという意味が込められており実態とは違っている、巻き添えになった人たちもいるし、特に子どもはみずから決断したわけではない、またこの言葉を使うことによって国や右派から、国のために自ら犠牲になったという殉国美談に解釈される余地を与えたという批判がなされている。

自決か玉砕か……「梅澤裕『詫び状』事件」のてんまつ……生き恥を晒す元帝国軍人・梅澤裕は、何故、「詫び状」を必要としたのか?:文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』

ここで宮城初枝が「自決」という言葉を使わずに「玉砕」という言葉を使っていることに注目していただきたい。実は、この場面では「自決」という言葉は使われていないはずなのである。というのは、前にも書いたように、「自決」とか「集団自決」という言葉は、『鉄の暴風』の筆者・太田良博が沖縄戦史として「集団自決事件」を書く時に、初めて一種の「造語」として使った言葉なので、この場面で「自決」という言葉が飛びかはずがないのである。ともあれ、どれが真実でどれが大嘘かを、僕はここで判定するつもりはないが、冷静に読み比べていけば、誰と誰が大嘘をついているかは自然に分かってくるだろう。

「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(1) - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記

ここで、「集団自決」という言葉について説明しておきたい。『鉄の暴風』の取材当時、渡嘉敷島の人たちはこの言葉を知らなかった。彼らがその言葉を口にするのを聞いたことがなかった。それもそのはず「集団自決」という言葉は私が考えてつけたものである。島の人たちは、当時、「玉砕」「玉砕命令」「玉砕場」などと言っていた。「集団自決」という言葉が定着化した今となって、まずいことをしたと私は思っている。この言葉が、あの事件の解釈をあやまらしているのかも知れないと思うようになったからである。
「集団自決」の「自決」という言葉は、〈自分で勝手に死んだんだ〉という印象をあたえる。そこで、〈住民が自決するのを赤松大尉が命令する筋合いでもない〉という理屈も出てくる。「集団自決」は、一種の「心中」または「無理心中」である。しかし「心中」は、習俗として、沖縄の社会では、なじまないものである。まれではあるが、自殺はある。サイパンで、沖縄の女たちが断崖から飛びこむ記録フィルムを見たことがあるが、あれは「心中」ではない。

ある人は「自決しろと命令された」と証言し、ある人は「自決するなと言われた」と証言しているわけです。文藝評論家=の政治ブログ『毒蛇山荘日記』などを参考にすると、山崎行太郎さんは「自決するなと言われた」という証言に懐疑的なのですが、どちらも本当は何と言われたのか(命令されたのか)について懐疑的であってもいいのかもしれません。
つくる会Webニュース・平成20年3月10日:八証言・座間味島集団自決の「隊長命令」について

そこで梅澤隊長がさらに出した命令は、「俺の言うことが聞けないのか! よく聞けよ。われわれは国土を守り、国民の生命財産を守るための軍隊であって、住民を自決させるためにここに来たのではない。あなた方に頼まれても自決させるような命令は持っていない。あなた方は、畏れおおくも天皇陛下の赤子である。何で命を粗末にするのか。いずれ戦争は終わる。村を復興させるのはあなた方だ。夜が明ければ、敵の艦砲射撃が激しくなり、民間人の犠牲者が出る。早く村民を解散させなさい。今のうちに食糧のある者は食糧を持って山の方へ避難させなさい」というものでした。 村の三役たちは30分ぐらいも粘っていましたが、仕方なく帰っていきました。

安仁屋陳述

4 富山真順氏の証言
(中略)
2・そのとき、兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手榴弾を2箱持ってこさせた。兵器軍曹は集まった20数名の者に手榴弾を二個ずつ配り、「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら一発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの一発で自決せよ」と訓示をした。

 以下のようなものもあるので、一応紹介。「伝聞の伝聞」情報ですが。
戦隊長下の軍命証言/「集団自決」沖縄法廷:沖縄タイムス

渡嘉敷島で「集団自決」を経験した金城重明氏(78)が被告岩波側の証人として出廷。兵器軍曹から住民に手榴弾が配られ、「一個は敵に投げ、もう一個で死になさい」と訓示があったと、後になって当時の兵事主任からじかに聞いたと証言。

 兵事主任富山真順氏)が金城重明氏に伝えた訓示の気になる部分は「死になさい」。
 人の記憶が、証言としてどれだけ役に立つかは不明ですが、後日の出来事によって過去の記憶がゆがめられてしまう、という例は、命令あった派・なかった派のどちらにも言えることなので、歪曲・捏造・創作・勘違い、あるいは左右どちらかの派によって誘導されたのかも、とか思ったり。普通60年以上も前のことを、そんなに覚えているわけないし。
 なんかこれ、「従軍慰安婦という言葉は戦前にはなかった→(従軍)慰安婦はいなかった」的トンデモにちょっと似ている。まぁこの件に関しては右も左も、どっちもどっち、という感じです。
 自決という言葉でいろいろ見てみたんだけど、戦前は「民族自決」的なものしかうまく見当たらない。
(追記)
 どうもあれこれ考えてみたんだけれど、「自決」じゃなくて「集団自決」という言葉が戦後作られただけのような。「「自決」とか「集団自決」という言葉は、『鉄の暴風』の筆者・太田良博が沖縄戦史として「集団自決事件」を書く時に、初めて一種の「造語」として使った言葉」(文藝評論家=の政治ブログ『毒蛇山荘日記』)と、「自決」まで「造語」というのは無理かも。