「奴隷の鎖自慢」原文は多分日本の給与奴隷と関係ないんじゃないかな

 以下のブログテキストからはじまって、
サラリー貰って暮らすのって、奴隷なんですかね?: 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog
 以下のツイートを拾って、
http://twitter.com/ynabe39/status/25634978530

奴隷は自分を縛る鎖の出来を自慢する」ってすごい言葉だな。もの凄い真実を見た。

 それに対する言及のされ具合が、日本限定っぽいのが気になったのでとりあえずブログ(日記)に書いておきます。
 広く知られるようになったのは、『さよなら絶望先生』?
マガジン21号 絶望先生第二百二十話「繋がれた毎日」 - ルイブログ -

ネズミ講マルチ商法AKB48ならぬAKB(赤羽)84の抱合せ商法で荒稼ぎしてるシーンから始まります。
赤羽って・・・講談社のあるところですか・・・。

商売としてお行儀がよくない、と以前バイトしてたお姉さんがメンバーになって言いますが、
ファンというのは自分がどんだけ搾取されたかを自慢しあうもの・・・と。
あ、改蔵の愛蔵版や絶望先生のグッズのことですか(おいおい)

先生いはく「奴隷の鎖自慢」と。
まといさんが解説していはく、人は奴隷という立場に慣れすぎると互いに自分の鎖の太さや重さを自慢し合い出すのだと。

 講談社のあるところは音羽(おとわ)です。
 週刊少年マガジン掲載は2010年4月、単行本は2010年8月刊行の『さよなら絶望先生第二二集』に収録された様子。
220話『繋がれた毎日』 - 久米田康治ワールド Wikiサイト

根津美子「何言ってるの ファンっていうのはね」
丸内翔子「自分がどんだけ搾取されたかを自慢しあうものよ」
糸色望奴隷の鎖自慢ですね!

 絶望先生の話のきっかけはAKB商法なわけですが。
 ネットで調べた限りでは、この「奴隷の鎖自慢」の起源は、以下のものなど。初出は不明
It's my trifles word.|jazz jive swing mp3 music LINK free download

奴隷の鎖自慢 (The chain is slave's boast.)??
奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
 
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
 
過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を血祭りにあげた。
 
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。
 
ロイ・ジョーンズ(Leroi Jones) 1968年、NYハーレムにて

 リロイ・ジョーンズ(Leroi Jones)。
 1968年。
 NYハーレム。
 この出典が正しいとすると、どう考えても「日本の給与奴隷」とは無関係。マルコムXに近い、ブラック・ラディカリズムとか、黒人の公民権運動とは関係あるとは思いますが。
公民権運動 - Wikipedia

一方、黒人による反人種差別運動は、公民権法制定以降もなくならない人種差別への悲観と、1968年4月4日のキング牧師の暗殺、そしてベトナム戦争下で混乱する国内情勢の影響を受けて、非暴力主義を貫いたキング牧師が代表する平和的・合法的な反差別運動から、暴力などの非合法的な手段を用いることを否定しない過激な運動(1965年に暗殺されたマルコムXの影響が強いとされる)へと変化していく。
 
キング牧師の暗殺直後には、全米125の都市でいっせいに暴動が発生した。そのような状況下で、トリニダード・トバゴ生まれのストークリー・カーマイケル率いる急進派の学生非暴力調整委員会(SNCC)や、冷戦下においてアメリカと思想的に敵対していた共産主義の影響を受け、都市部のゲットーにおける自衛闘争の開始を主張したブラックパンサー党、黒人による独立国の樹立を目指した新アフリカ共和国(Republic of New Africa)といった過激派の政党が現れ闘争を継続したが、継続的な支持を受けることはなく、1970年代中頃になって運動は沈静化した。

 リロイ・ジョーンズ(Amiri Baraka)に関しては、英文Wikipediaを参照。
Amiri Baraka - Wikipedia, the free encyclopedia

Amiri Baraka (born October 7, 1934), formerly known as LeRoi Jones, is an American writer of poetry, drama, fiction, essays, and music criticism.

In 1966, Baraka married his second wife, Sylvia Robinson, who later adopted the name Amina Baraka. In 1967 he became a lecturer at San Francisco State University In 1968, he was arrested in Newark for allegedly carrying an illegal weapon and resisting arrest during the 1967 Newark riots, and was subsequently sentenced to three years in prison; shortly afterward an appeals court reversed the sentence based on his defense by attorney, Raymond A. Brown.

 日本だと以下のテキストがあるみたい(@Lily_victoria様、どうもありがとうございます)。
リロイ・ジョーンズとアフロ・アメリカン大衆音楽─『ブルース・ピープル』を起点にして(pdf.103ページから)

(前略)
 しかし,彼の作風は1960 年代になると,マルコムX(Malcolm X)などの先鋭的な黒人人権運動に深く関わることによって,民族主義的色彩の強いものに転じ,戯曲『ダッチマン』(Dutchman, 1964)や『スレイヴ』(The Slave, 1965)という抗議劇が次々に書かれた.この時期には,ヴィレッジ時代に結ばれた白人の妻との離婚と,イスラム教への改宗という出来事が重なり,初期の筆名リロイ・ジョーンズを,アフリカ名イマム・アミリ・バラカ(Imamu Amiri Baraka)と改めている.新しい黒人文化普及のためにブラック・アーツ・レパートリー・シアター/スクール(Black Arts Repertory Theater/School)を興し,1970 年代には汎アフリカニズムのための政治結社コングレス・オヴ・アフリカン・ピープル(Congress of African People, CAP)を主宰して,厳しくアメリカ合衆国の白人社会を批判しながら,黒人の団結を唱えてきた.1980 年代になると,一転マルクス主義に接近し,自らが育てた組織と決別することになるが,その後も黒人の権利の伸長のため活発に発言し,保守化するアメリカ合衆国社会にあって,現在まで被差別者を擁護する一貫した姿勢を貫いている.

 ジョーンズの文体は省略や体言止めを多く用いて,一見黒人大衆の話し言葉を写し取ったような書き方だが,その言葉は慎重に選択され,アメリカ合衆国の黒人の歴史,生活,文化の総体を暗示するようになっている.しかも,その暗示の中身は,伝統的な民俗学が取り上げるような「19 世紀南部農村地域的な」ものばかりではなく,「20 世紀北部商工業都市的な」ものが混交し,さらには20 世紀半ば以降の黒人コミュニティにおける階級対立までも含んでいる.ジョーンズの文学の理解には,テクスチュアルな文学的アプローチ以上に,社会学的な観点も必要であろう.

 3 つのスタイルのうち,ジャズとリズム&ブルースに対する黒人愛好者の分化は,都市の黒人社会における階層の二極化を表していた.高い学歴を持つ少数の専門職従事者と,多数の低所得層である.1960 年代になると所得の高い階層の割合が増加して,低所得層との間に軋轢が生じることもあった.例えば,マルコムXの演説には,白人化した黒人中産階級を批判する言葉がしばしば現れるが,アフリカ系アメリカ人の全体を被差別者としてひとくくりに出来ない状況が発生していたことがわかる.

 ヴィレッジのディレッタンティズムを捨て,抗議作家の道を選んだ時,おそらくジョーンズは自分の身の置き所に悩んだものと思われる.1950 年代に起こったマーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King)牧師らによる人権運動は,白人を含む幅広い階層に支持されていた.しかし,運動自体は1960 年代になると停滞期に入り,キリスト教に基づく穏健主義に飽き足らない人々が,より急進的な組織を築いて行った.なかでも,ネイション・オブ・イスラム(Nation of Islam)はマルコムXというスポークスマンを得て,都市貧困層を中心に勢力を伸ばしていた.ジョーンズが共感を覚えたのは,キングではなくマルコムXまたはマルコムX的なものだった.マルコムXは「白人は悪魔だ」という時,同時に白人的な価値に寄り添う黒人ミドル・クラスを批判していた.ジョーンズは社会の下層集団との合流を図るため,自らの中産階級的な要素を分析し,それをはぎ取る必要があったはずである.『ブルース・ピープル』における黒人中産階級への激しい怒りは,まずかつての筆者自身に向けられたものととるべきかもしれない.

 というところまで調べてみたんだけど、実は「リロイ・ジョーンズ(Leroi Jones) 1968年、NYハーレムにて」の「The chain is slave's boast」がどうしても見つからない。多分アメリカ本国ではそんなに広まらなかったため、ネットテキストとしては存在していない、という可能性が大きいです。
 とりあえず、参考テキストとして『ブルース・ピープル』でも読んでみる?
 あと、こんなテキストなど。
Sightsong: リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『根拠地』 その現代性

『根拠地』(せりか書房、原著1966年)は、リロイ・ジョーンズ(のちのアミリ・バラカ)が60年代前半にアジテートした、黒人としての怒りに満ちた記録である。原題は『Home』、赤軍による国際根拠地論などを意識しての翻訳だろうか。北朝鮮を革命の根拠地と信じてよど号が乗っ取られたのが1970年、日本赤軍パレスチナに向かったのが1971年、本書が翻訳された1968年はおそらく新左翼運動のピーク前後にあった。

 『根拠地』には多分テキスト見つからないと思うけど…。
http://twitter.com/Lily_victoria/status/25905348449

ロイ・ジョーンズってぐぐればわかるだろうに。有名なアメリ黒人文学者で黒人音楽評論家。今はアミリ・バラカと名乗っている。アメリカの黒人が奴隷について言及する時の背景を全く考えない馬鹿が http://bit.ly/apwLC9 には多過ぎる。これが2ちゃんクオリティーwww

http://twitter.com/Lily_victoria/status/25905642849

いやあ、ひどすぎて笑える。なんでコメント欄が「リーマンVS.ニート」になってんねんw http://bit.ly/apwLC9 黒人解放運動の中で命がけで戦ってきたリロイに「「立場・階級」を人生の象徴に当ててるだけ」だなんて見当違いなこと書いてるアホ。日本人の人種差別も酷いなあ

http://twitter.com/Lily_victoria/status/25906538559

よく「日本人は外国というとアメリカばかり見てる」と言われるけど、実際はそのアメリカすらまともに見てない人が多いよね。詩人であるリロイもといアミリ・バラカの名言、奴隷の鎖自慢についてぐぐっただけでもわかる。黒人同士の階級対立にも言及するリロイ、もといアミリは興味深い人物だ

 
 あと、こんな意見もありましたが、
http://twitter.com/AerospaceCadet/status/25867720549

奴隷の鎖自慢の元ネタはプラトンの「国家」でソクラテスが語る譬え話が大元なんじゃなかったかな。手元に無いから何章の何頁とか書けないのは申し訳ないけど。岩波文庫版又買うかな。(略)

橋本努北大講義プラトン「国家」

・「教育と無教育ということに関して、われわれ人間の本性を、次のような状態に似ているものと考えてくれたまえ。
 ――地下にある洞窟上の住まいのなかにいる人間[囚人]たちを思い描いてもらおう。光明のあるほうへ向かって、長い奥行きをもった入口が、洞窟の幅いっぱいに開いている。人間たちはこの洞窟のなかで、子供のときからずっと手足も首も縛られたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前のほうばかりを見ていることになって、……頭を後ろへめぐらすことはできないのだ。彼等の上方はるかのところに、火が燃えていて、その光が彼らのうしろから照らしている。」(94)
・「こうして、このような囚人たちは、……あらゆる面において、ただもっぱらさまざまの器物の影だけを、真実のものと認めることになるだろう。」(96)
・「それならまた、もし直接火の光そのものを見つめるように強制したとしたら、彼は目が痛くなり、向き返って、自分がよく見ることのできるもののほうへと逃げようとするのではないか。そして、やっぱりこれらのもののほうが、いま指し示されている事物よりも、実際に明確なのだと考えるのではないだろうか?」(97)
・「だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというものがどうしても必要だろう。――まず最初に影を見れば、いちばん楽に見えるだろうし、つぎには、水にうつる人間その他の映像を見て、後になってから、その実物を直接見るようにすればよい。そしてその後で、天空のうちにあるものや、天空そのものへと目を移すことになるが、これにはまず、夜に星や月の光を見るほうが、昼間太陽とその光を見るよりも楽だろう。」「思うにそのようにしていって、最後に、太陽を見ることが出きるようになるだろう……。」(98)

 ↑これは囚人で、奴隷の話じゃないし、鎖という語も出てこない。もう少し調べる。でもプラトンが「奴隷の鎖自慢」的なことを話していたとしても、それはイデア論には関係あっても、日本の給与奴隷とは多分関係ないんじゃないかな…。
 まぁ、関係ないことをテキスト的にとりあげて、あれこれ雑談する、というのもネット的にはありかな、とは思いますが、その流れのテキストにぼくのを加えるのはちょっと場違いすぎるのでご容赦ください。