次の文献は何を研究するのにどう役立つか(谷沢永一)

 引き続き『紙つぶて 自作自注最終版』から。

自作自注最終版 紙つぶて

自作自注最終版 紙つぶて

P345

 私は十五年間、大学院を担当し、その間ひとりも入学を許可しなかった。私はどうやら功利主義者であるらしく、効果のない働きは初めからしたくない。大学院の講義演習にはそれ相当の準備が要る。その内容をきっちり受け取る向学心のある学生でなければ入れたくない。そこで入学試験を二問考えた。その一、学部の卒業論文の要旨を記せ。その二、次の文献は何を研究するのにどう役立つか。『木佐木日記』『社会と個人』『村山龍平伝』『東西両京之大学』『妙世界建設』。第一問はみんな一応は書くが、第二問は十五年間に全員が一項も答えなかった。そうなるように程度を高くしておいたのである。
 なか一日おいて口頭試問がある。みんなふくれたりしょげたりしている。そこで私は学生に、答えられなかったのは仕方がないけれど、この二日間に図書館へ行って、この文献五点はどういう性質(たち)のものかを調べたかと聞く。もし真面目に調べた者がおれば、その努力に点を与えて、入学を許可するつもりであった。
 しかし、一冊でも調べた者は十五年間に一人もいなかった。むしろ正義を主張するかのように、出身校の指導教授に電話で聞いたら、そんな正体のわからん本を、儂が知ってるわけがない、とおっしゃいました、と逆襲した。

 今はgoogle先生国会図書館のネット検索ができるので、素人のおいらにも簡単に調べられますが、二十世紀の在阪大学院志望者はどうやって調べられたのか、そもそも調べられるのか、とんと謎。
『木佐木日記』サブタイトルが「滝田樗陰とその時代」。中央公論社(のち改造社)の編集者・木佐木勝の日記なので、大正〜昭和にかけての中央公論社とそこに執筆していた人について研究するのに役立つ。
木佐木日記
 同じ人のこんなテキスト。あー、これはあるなぁ。
紙つぶて 自作自注最終版

さらに言えば、繰り返しがいくらなんでも多すぎる。笠井寛司『日本女性の外性器』の話、花袋全集から文芸時評がカットされている話、中村幸彦の話、経済安定本部の話、それぞれいったい何度出てくるのか。年寄りになるにつれ、同じ話の繰り返しが多くなっていくさまを思わせた。

『社会と個人』サブタイトルが「社会学成立史」、著者は清水幾太郎。これはよく分からない。社会学について、その成立と歴史を研究するのに役立つのかな?
『村山龍平伝』村山龍平は大阪で朝日新聞を創業した人。朝日新聞の初期の歴史を研究するのに役立つ。
『東西両京之大学』サブタイトル「東京帝大と京都帝大」。講談社学術文庫に入ってた(現在は品切れ)。アマゾンから紹介テキスト引用。

本書は初め明治36年2月から8月まで新聞に連載され、同年12月に刊行された。創立以来、日本の大学の頂点に君臨する東京帝国大学と新興京都帝国大学を、雄弁かつ大胆に比較し、論じている。両大学の学問、学風、教授、制度等を、明治の新聞人が縦横無尽に斬りまくり、当時の教育界、言論界を大いに震憾させた。ともすれば形式主義権威主義に陥りがちな大学のあり方を問う、今なお新しい画期的な大学論。

 多分明治の東京帝大と京都帝大について研究するのに役立つんじゃないかな。
『妙世界建設』三宅雪嶺著。
土屋文語日誌(平成二十二年七月)

「妙世界建設」(一九五五)は、幾萬年を經て妙世界を建設し、眞善美が全き發達を遂ぐれば、彌勒の住する境地となり、孔子の言ふ「朝聞道夕死可矣」とならんと言ふ。

 …三宅雪嶺の仏教観? すみません、歯が立ちませんでした。
雪嶺プロフィール

近代日本を代表する言論人、哲学者、評論家。本名は雄二郎。
 
幕末の動乱期に加賀藩家老本多家の儒医三宅恒と洋医黒川玄龍の長女滝井との間に出生、近代学校制度の草創期に教育を受け、東京大学の最初期の卒業生となった。明治21年(1888)に政教社の設立に参加、雑誌『日本人』を創刊して、政府の専制主義と欧化主義に批判的立場を取った。明治中期のナショナリズムの代表的主張者である。
 
旺盛な言論活動のかたわら、儒教と仏教を中心とする東洋哲学を西洋哲学と並ぶものとして位置づけ、両者を総合するスケールの大きな独自の哲学を構想した。旺盛な好奇心と和漢洋に及ぶ学識の広さに知られ、しばしば「哲人」と称される。

 ちなみにこの5冊、全部大阪府立図書館にありました。読もうと思えば二十世紀の在阪大学院志望者でも読めたレベルなんで、院試としては難しくない…のかな。
 あと、入試問題が違っていた、という説も。
過去ログ 4

(なぜかという名前の似た薩摩辞書を、ちょこっとだけ調べたことがあるからです。近文の谷沢永一氏が関西大学大学院国文学科への入試設問の第二問に、
「次の文献は、何を研究するのに、どのように役立つか」という出題で
「唾玉集」「村山龍平伝」「木佐木日記」「同時代史」「薩摩辞書」
『巻末御免』PHP 89.12.29 239P
の5つを上げておられて木佐木勝の日記が解らなかったので、ついでに
薩摩辞書復刻刊行会とかがあるのかなと、かすかに眺めた覚えがあります。
サイト検索が普及する前で最後は図書館にいくしかなく、そういう勉強が
できることを許された人をいいなと想っておりましたから)

 まぁ、今の時代だったら、「ちょっと検索すれば分かるようなこと」は試験問題には出さないでしょうね。