俺が呆れたNEWSポストセブン「「政府発表がないから報じられない」世界が呆れた日本の新聞」

 このテキストですが。
NEWSポストセブン|「政府発表がないから報じられない」世界が呆れた日本の新聞

「政府発表がないから報じられない」世界が呆れた日本の新聞
2012.03.09 16:00
 
 昨年来、原発事故報道で、新聞はひたすら大本営発表をたれ流した世界から見れば非常識極まりない日本の大メディアの体質を、自身も日本経済新聞の記者経験があり、新聞社と権力との癒着を批判した『官報複合体』(講談社刊)の著者、牧野洋氏が指摘する。
 
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 東京電力福島第一原発津波に見舞われた翌日、福島県浪江町で数千人に上る住民は町長の指示に従って北へ向かって避難した。
 この時、政府のコンピュータシステム「SPEEDI(スピーディ)」は放射性物質浪江町の北へ向かって拡散すると予測していた。なのに、浪江町の住民はなぜ南へ向かって避難しなかったのか。
 二〇一一年八月九日付のニューヨーク・タイムズは「官僚の隠ぺい体質」と断じた。「不十分なデータを公表すると誤解を招く」といった理由で、政府は東日本大震災直後からスピーディのデータ公表を拒み続けていたからだ。同紙上で浪江町町長の馬場有は「情報隠ぺいは殺人罪に等しい」とコメントしている。
 スピーディのデータ公表が遅れた責任は官僚に加えて新聞にもある。国民が知るべき重要なデータであるにもかかわらず、政府の発表を待たなければ国民に伝えられなかったこれが新聞の責任だ。
 政府がデータの全面公表に踏み切ったのは大震災発生から一か月以上も経過した五月に入ってから。新聞が「隠されたデータ」を特報したのを受けて政府が発表に追い込まれたのではなく、政府が発表したから新聞がデータ内容を報道したのである。
 福島原発メルトダウン炉心溶融)をめぐる報道でも新聞は本来の機能を果たせなかった。実際にメルトダウンが起き、専門家もその可能性を指摘していたにもかかわらず、政府・東電が否定したことから当初は見出し で「メルトダウン」という言葉の使用さえ控えていた。一斉に報じ始めたのは、政府・東電がメルトダウンを認めた五月中旬になってからである。
 政府の発表を受けて書いているだけでは、権力側の発表をそのままたれ流す「発表報道」の域を出られない。発表報道に依存し過ぎると「大本営発表」と変わらなくなる。史上最悪の原発事故が起きている時にこそ、新聞は権力を監視しなければならないのに、現実には発表報道に終始した。
 福島原発報道については海外からも批判が出た。たとえばニューヨーク州立大学オールドウェストベリー校教授としてジャーナリズムを教えるカール・グロスマン。四十年以上かけて「環境ジャーナリズム」の分野を開拓した論客である。米環境専門誌「エクストラ!」の二〇一一年五月号で次のように書いている。
福島原発事故の影響についての報道はあまりにもお粗末だ。日本政府が『直ちに健康に影響はない』と説明すると、記者はそれをオウム返しに報じているだけなのだ」
 なぜこうなるのか。単純化して言えば、発表報道の対極にある調査報道の伝統が根付いていないからだ。調査報道では権力側の説明をうのみにせず、独自調査の積み重ねで「権力側が国民に隠している秘密」を暴こうとする。権力の監視が報道機関に求められる基本機能だとすれば、調査報道こそ新聞報道の中心に位置していなければならない。
 調査報道が根付かない理由としてよく挙げられるのが記者クラブである福島原発報道であれば首相官邸経済産業省などの記者クラブに張り付き、政府・東電側の動きを漏れなく報じるわけだ。このような記者クラブ詰めの記者については「権力側の速記者」と揶揄する向きもある。
 記者クラブで発表報道に明け暮れると、記者は専門性をなかなか身に付けられない。記事の冒頭に「五W一H(誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どうして)」を詰め込む「逆三角形」を学べば、大抵のニュースを処理できるからだ。
 記者は「客観報道」の指導を受けているため、記事に独自の分析や解説を入れるのを最小限にしようとする。結果、書く記事はプレスリリースを読みやすく書き直しただけのストレートニュース(速報ニュース)になりがちだ。
 言うまでもなく、福島原発事故を報道する記者には、技術的な知識を含めて高度の専門性が求められる。専門性がなければ、政府・東電が嘘をついているかどうか判断することはままならない。それまで社会部で事件取材をしていた記者にいきなり原発報道を任せても、発表報道以上の仕事はなかなかできないだろう。(文中敬称略)

※SAPIO2012年3月14日号

 単なる牧野洋『官報複合体』(講談社刊)のステマですかね?
 新聞も含めて、どんだけマス・メディアが「現地・関係者の声」とか、追悼特集で書いたり流してたりしたのか知らないですかね? 大本営発表だけじゃないと思う。「調査報道」って、政府・東電以外の調査情報? 野良市民団体とか野良ジャーナリストが勝手にマスコミに「政府・東電も知らない事実」みたいな情報送ってきて、それを鵜呑みにした変なテキストのこと? 脱・記者クラブして別の自由すぎる報道協会やってる人とか、そういう情報流すよね? 記者クラブ依存じゃなくて変な方向に行ってるのはなんかおかしくないか。
「二〇一一年八月九日付のニューヨーク・タイムズ紙」って、これかな?
Anger in Japan Over Withheld Radiation Forecasts - NYTimes.com

By NORIMITSU ONISHI and MARTIN FACKLER
Published: August 8, 2011

 …情報のロンダリングNORIMITSU ONISHIが使われたのはひさびさだな。すぐバレるので新聞ではもうあまり使われなくなっていると思う。「またオオニシか!」の人。
初心者のための運スレ人名・用語・隠語集 - 小泉純一郎は運が強すぎる の避難所。

【またオオニシか】(またおおにしか)
(中略)
オオニシ ノリミツの書く記事はNewYorkTimesに掲載されるため、しばしばこれが「アメリカでは〜」「世界の論調は〜」と国内に紹介される。

 最近だと、1年前に町山智浩さんがネタにしてた。
ZAKZAK反日記事のソースを調べてビックリ - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

 これは、東京在住のヒロコ・タブチ、ケン・ベルソン、ノリミツ・オーニシという三人の記者が、日本国民の間で政権に対する不満が高まっていることを日本から報告した記事なのです!

 で、「二〇一一年八月九日付のニューヨーク・タイムズ紙」ざっくり読んだけど、日本のマスコミに対する批判はなかったような…。オオニシ記者は一生懸命頑張って日本政府とか批判しても、メディア批判する人だったかな?
 SPEEDIのデータとか、「調査報道」の話はいいんだけど、「世界が呆れた日本の新聞」って見出しで、呆れた世界の人って世界中で「カール・グロスマン」という人一人だけなの? 「○○公園のボートに乗って別れたカップルを一組知っている。だからあのボートにカップルで乗ると世界中のカップルが別れる」というレベルで、信憑性もクソもないんでやすが。せめて3人ぐらい諸外国にいないと全然信用できない。
「カール・グロスマン」で検索すると、この人ただの原発プロパガンダの人なんじゃないの?
"Chernobyl: A Million Casualties" | Universal Subtitles
チェルブイリ原発の悲痛な体験が、福島原発事故に教える教訓とは? 田島伸二のブログ-Tajima Shinji/ウェブリブログ

司会のカール・グロスマンです。 2011年4月26日はチェルノブイリの事故よりまる25年になります。その一方 世界中の原子力業界は再興を図っています。この重要な本が出版されました。「チェルノブイリ〜大惨事の環境と人々へのその後の影響」 について取り上げていきます。この本は公開された医学的データに基づき事件の起きた1986年から2004年までに、98万5千人が亡くなったとしています。そしてその死者数はさらに増え続けています。スタジオにはジャネット・シェルマン博士をお迎えしています。 ようこそジャネットさん、チェルノブイリ原発事故の死者は100万人ということですが、死因は何でしょう?

 カール・グロスマンの記事の元テキスト(米環境専門誌「エクストラ!」の二〇一一年五月号)はすぐに見つかります。
After Fukushima, Media Still Buying Nuclear Spin

Media coverage of the Fukushima nuclear power facility disaster has ranged from dreadful to barely passable. Much of the reporting about the threats of nuclear power and the impacts of radioactivity has been outrageously poor, as journalists and their talking-head experts have parroted the assurances of Japanese and other officials that the amounts of radioactivity being released were low and thus posed “no health threat” to people (e.g., AP, 3/21/11).

福島原発事故の影響についての報道」じゃなくて「原子力の脅威と放射能の影響」って言っているようにぼくには思えるんですが…。
 ついでですが、「日本が呆れた世界の(原発)報道」も山のようにあるんですが…。
震災〜原発事故に見る、海外報道のとらえ方 - Togetter

バルセロナでのシンポも含めて、出てきた質問が「日本では政府のメディアコントロールが強いので自由な報道ができなかったのでは」というもの。「メディアの自由度はアフリカ並みでは」というちょっとキケンな問いかけもあった(アフリカに失礼だ)。

ひとことで言いにくいが、ひとつに海外メディアは「日本中が壊滅」「東京も危険」といったトーンで報道するのに対して、彼らがニュースソースとする日本のテレビや新聞などのメディアがそんなドラスティックな報道をしないことにも一因はある。

そのへんのギャップは、特に原発問題が政治化している国のメディアほど顕著といえた。たとえばドイツのメディア。「もう日本は壊滅。なぜ東京の住民は脱出しないのか。日本人はおかしいんじゃないか」。そんなトーンの報道が満ちあふれた。

ドイツメディアの敏感な危機意識にもちろん学ぶ点はある。だが震災直後にこぞって関西に逃げ、大阪からガスマスク姿で実況していた欧州のジャーナリストには違和感を感じざるを得なかった。

 …どのメディア、どのジャーナリストですかね。
 
 そもそも「政府発表がないから報じられない」って、なんで「新聞」に限定した話になるの?
 
 一応、五W一H風にまとめると、
・SAPIO2012年3月14日号に掲載された、
・「『官報複合体』(講談社刊)の著者、牧野洋氏が指摘」という、誰が書いたか分からない記事「「政府発表がないから報じられない」世界が呆れた日本の新聞」の中の「世界」は、
・「反核ジャーナリストもどきのカール・グロスマン」が「エクストラ!」という同人誌レベルの「米環境専門誌」に書いたテキストだけが論拠で、
・そのテキストの中では「新聞」も「記者クラブ」も批判していない(もっと俺らの情報を使えよ、という売り込み)んで、
・こんな記事を掲載したSAPIOと牧野洋氏は、もう少し世界中で「日本の新聞」に呆れた人(人たち)を頑張って探してみて欲しい。
 
 個人的な感じとしては、福島原発事故そのもの、および政府・東電の対応に対して批判的なメディアはあったとしても、「日本の報道」に批判的な(呆れている)海外のメディアってそんなにいるの? みたいな。そこまで日本のメディアに、海外のメディアは興味持ってません(海外のメディアやジャーナリストが批判するとしたら、日本ではなく自国内の事件に関する報道だと思う)。
 日本のジャーナリストで、海外の「その国」の中の報道に呆れている、って言ってる人(たとえばアメリカの国内ニュースがひどい、って言ってる日本人)、何人いると思う? 海外の「日本」の報道に呆れている日本のジャーナリストはいると思う。