朝日新聞1955年4月21日の記事「ひど過ぎる児童雑誌 出版社に“もの申す”会」
悪書追放運動当時の新聞テキストから。誤字とか読み間違いはお許しください。
だらだらと当時の新聞記事の事実報道を載せてみます。
ひど過ぎる児童雑誌 出版社に“もの申す”会
「児童雑誌について親と出版社と話合う会」というのが二十日午後、東京神田の教育会館で開かれ、お母さんたちが雑誌編集者らを言葉鋭く攻撃した。出版社側はタジタジのていだった。日本子どもを守る会(会長長田新氏)が主催し、出版社、児童作家、漫画家、雑誌小売店、主婦、PTA代表など四十人余りが出席した。出版社側は近く出版倫理化運動委員会をつくって自粛する方針を明らかにした。=写真は出版業者との懇談会
業者側はタジタジ お母さんたち 現物持ってねじ込む
司会をつとめた評論家の神崎清氏は開会のあいさつで、児童雑誌の概況について「大きな取次店で取扱われている児童雑誌は三十二種、発行部数約六百二十四万部、全国で一月間に発刊される全雑誌の発行部数二千四百万部の四分の一に当り、子供たちに与える影響は大きい。近ごろの傾向としては(1)娯楽中心になっている(2)“読むもの”から“見るもの”に変った(3)表紙が違うだけで中身はほとんど同じだ、などの点が目立つ」と述べた。
また清水慶子さん(評論家清水幾太郎氏夫人)など数人のお母さんたちは、ケバケバしい子供の雑誌十数冊をテーブルに並べ、極端なページを開いて見せながら「二十冊ほどの雑誌を読んでみたが、切ったはったで人命を粗末にするものばかり。サソリの生血を吸うとか、ゴウモン、刀でグサッと胸を突き刺す場面、女の裸の姿などエロ、グロが目立つ。一冊のさし絵に刀が全部で二百八十二本出てきたのもあった」「どのページをめくっても極彩色であくどく、懸賞や折込みが多すぎる。昔は雑誌は落着いて読めるものだったが、いまや“見せもの”になってしまっている」「読んだあとに残るものは豆スターに関することだけだ。親たちは編集者たちを学校の先生以上に信頼している。この信頼を裏切らないで欲しい」などとつめよった。
この攻撃に小学館など数社の出版社代表たちは「ひどいものはなるべく使わないように注意している。作家や画家へ注文するときもこの点十分気を配っているつもりだ。しかし子供たちがとびつくものを載せなければならないので苦労する」と言訳し、とびつくようなものとは、結局低俗なものに落ちて行くことではないか……とつめよられ「出版社はやはり商売だから売れないとつぶれてしまうので、どうも……」と返事に窮し、一同ドッとふき出した。なかには「悪い本を追い出すため良い本がよく売れるようにするためにはお母さん方に協力してもらいたい。悪い点を責めるだけでは自体は改められない」と反撃に出たのもあった。
紙芝居作家の加太こうじ氏などさし絵画家、作家たちは「子供のことを考えてものをかいているものは全体の一割ぐらいしかいないだろう。“戦争ものを何か……”と編集者から注文されると、やはり反戦ものより、政府の方針にそった再軍備ものが無難だということになり勝ちだ。原稿料を払ってもらえないとわれわれはメシが食えなくなる……」とこれは出版社に責任をなすりつけようとする。阿佐ヶ谷の小売店主も「付録のはんらんに弱る。雑誌のためか子供たちがギャングになって店を荒らし回る。業者の間で悪い本は売らないようにしようという話も出ている」とお母さんたちの立場に同調していた。
おしまいに日本出版協会の川崎常務理事は子供の世界から悪書追放の今後の方針として「編集者は子供たちのためよい友達になってもらいたい。出版社は文化事業としての自覚。読者はよい雑誌が売れるようにするため協力してもらいたい」と結んだ。
「政府の方針にそった再軍備もの」というのが時代を感じさせますね。
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