朝日新聞「声」(読者投稿欄)から

2003年6月29日づけ・東京版より


在日のHPに嫌がらせなぜ
朝鮮高級学校講師 金 由夏(大阪府大東市 二十九歳)

 私は、在日韓国・朝鮮人と日本人でつくる、吹奏楽を中心とした音楽団体に所属しています。そのホームページに、音楽活動とは関係のない、嫌がらせとしか思えないメールがこの3ヶ月で10件も入っています。また、ネット上の様々な掲示板には在日外国人に対する中傷が数多く掲載されています。在日外国人がどんな経緯で日本にいるのかを無視し、「差別が嫌ならば帰ればいい」との言葉を連ねているのも見つけました。
 日本は「言論の自由」があり、個人が持つ考えは自由で、誰にも侵せません。だからといって、個々の活動と無関係な中傷を、書き込んで良いのでしょうか。
 一方で、パソコンを触り始めてから便利さと情報の多さに驚いています。以前は資料を探すために何日も図書館に通っても、十分に手に入らなかったことがありました。今は早く、より多様な資料を集める事ができ、授業に役立てています。この便利さと多様さが時に人の心を傷つける手段としても使われるからこそ、モラルやルールを守らねばならないと思います。

↓この話に出てくるサイトは、多分こちら(大阪朝鮮吹奏楽団)
http://www7.tok2.com/home/okbrass/
この、「在日外国人がどんな経緯で日本にいるのか」ということについては俺も聞いてみたいんですが、質問のメールをしてみると、なんかそれだけで当人にとっては「嫌がらせとしか思えないメール」になっちゃいそうな気がするので、ちょっと避けたいところ。だいたい「音楽活動とは関係のない」というのは本当だし。
掲示板を見ると、誰かがしたその質問に対しこのような回答が

こういう事って学校で勉強するべきだと思うんですがまだキチンと教えてない学校もあるんですよね。なぜ日本に来られたか、ですが、日本に強制連行されてきたのです。そして、帰りたくても帰れなかったのですよ。祖国の土地や家もすべて奪われたんですから、帰る場所も無かったのです。
「年齢:21〜30才 性別:男性」のかたなので、実体験ではなく多分そういうことを(キチンと?)教えている学校を卒業した人の回答ですか。以下、その中の「強制連行」という言葉と制度に対する意見。

不思議に思いますのでご教示を。 投稿者:赤井邦道 投稿日:2003年 6月 30日 1時 50分 33秒

>なぜ日本に来られたか、ですが、日本に強制連行されてきたのです。
1)強制連行って何ですか?  終戦近くになって、内地で労働力が不足した頃に「徴用」されてきた方々がいたことは私も知っていますが。当時「大日本帝国国民」であった朝鮮や台湾の方々ですよね。全く合法なことですよね、徴兵と同じで。・・・それとは違うのですか? あるいは、それとは全く別に「強制連行」というのがあったんですか?
 2)朝鮮の方も台湾の方も、同じように「徴用」されたはずですが、台湾の方は「強制連行」なんて言っていませんが(むしろ今なお当時を懐かしがって同窓会までやってる)、なぜ朝鮮の方々だけがそのように主張されるのでしょうか? 朝鮮と台湾はどのように違ったのでしょうか、教えてください。
3)>祖国の土地や家もすべて奪われた。 とのことですが、戦後日本は半島にあった一切の資産を放棄させられました。半島にいた日本人は一切の資産を放棄して強制的に帰国させられましたが? なのに、なぜあなた方には帰るところがなかったのですか?
4)関東大震災の時、朝鮮人がたくさん殺されたそうですが、1923年当時どうしてそんなにたくさんの朝鮮人が日本にいたのですか? あの人たちも「強制連行」ですか?
 以上、本当に不思議に思っていますので、教えてください。


それと疑問ですが。 投稿者:赤井邦道 投稿日:2003年 6月 30日 3時 4分 44秒

朝鮮学校の教師ということは、北朝鮮を祖国と仰ぎ支持されている方々ですね?いまの北朝鮮は、日本人はおろか、同胞の韓国人までも拉致したり、自国民すら飢えさせている一方で核開発をしたりするなど、とてもまともな国家とは思えません。こういう国を、今なお支持しつづけるとはどういうお考えですか?いまに北朝鮮は崩壊しますよ、間違いなく。そのとき、北朝鮮をずっと支持しつづけたあなた方は当然厳しい批判にさらされるでしょうが、その覚悟はできてますか?
※この質問は嫌がらせではないですよ。本当に心からあなた方を心配しているから質問させていただくのです。ほかにこういう質問ができそうな掲示板が見当たらないので。


赤井邦道 さんへ 投稿者:紅遊詞 投稿日:2003年 6月 30日 5時 32分 32秒
年齢:その他才 性別:秘密 特技:その他

始めまして、強制連行の事も含めて少しづつですが、私の解る事は答えて行きますね。
まず、強制連行と言う言葉は戦後に作られた言葉です。
それに何とか当てはまるとしたら、日韓併合による為の徴用です。
http://posting.hp.infoseek.co.jp/#label1
↑ここを見てください。国民徴用令が朝鮮に適用されたのは昭和19(1944)年9月でした。ですので「強制連行」の根拠とされている「徴用」による徴集は同年9月〜12月の4ヵ月間となるので、単純に計算してもこの期間に徴用された者は、昭和16〜19年の48ヶ月間に来日したとされる1万4514人のうち12分の1、つまり1210人(全体の1.46%)ほどに過ぎません。そこに「昭和20年9月1日以前」の679人(0.8%)を加えた概算1889人(2.3%)ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になります。2000人足らずです。
仮に「官あっせん」を徴用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月〜19年8月の来日者の推計数を全部加えても約1万1300人(14%)ほどです。
しかも戦後日本は帰還船を用意して朝鮮半島へ帰れる様にしました。所が殆どの人が朝鮮半島に帰る事を拒否し、自ら日本に残る事を選択しました、その為に帰還船はガラガラだったと言う事です。

俺が知りたいことが、さらにいくつか出てきました。韓国・朝鮮・在日のかたは、学校で以下のことをちゃんと教えてたり、教えてもらってたりするんでしょうか。
1・強制連行と言う言葉は戦後に作られた言葉であるということ(本来は「徴用」であること)
2・その制度のもととなる「国民徴用令」の制度と実態
なんとなく、「戦前の朝鮮では食えなかったから日本に来てみた」「戦後の朝鮮ではそういった、日本に残った人間に対して、日本国内よりひどい差別・蔑視があった」という事実を、親や教師という世代があまり語ろうとはしていないのでは、と思ってしまいます。