ダーウィンは「変化に最も対応できる生き物が生き残る」と言ったか?

http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/koizumi.html
JANJANの以下の記事から、興味を持って検索してみる。
↓にせ「ダーウィンの進化論」論
http://www.janjan.jp/business/0310/0310127239/1.php
ダーウィンは、『種の起源』で以下のようなことを言ったらしいが


最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である。(It is not the strongest of the species that survive, nor the most intelligent, but the one most responsive to change.)
それは本当なのか、という話。
とりあえず、『種の起源』(オリジナル)の全文検索をしても、そのような言葉は見当たらない、という報告があるので、何か別の著作な気がします。ああ、調べてみたいけど時間がありそうにないので、メモとして残しておきます。

もの言えば…

朝日新聞東京版2003年10月15日づけの投書から。


物言えば…にしないために
会社役員 小山 亮(77歳)
 憲法言論の自由を保障していても、世の中は、そうはいかないことがある。拉致問題についての論評がそれだ。
 なかなか進展が見られず、手詰まり状態が続いている拉致事件の経過を見て、ああすればよかったのではとか、こうすればよかったのに、と思うことがある。しかし、うかつに口にできない。北朝鮮を叩く事以外、タブーだ。そんな雰囲気が、テレビのワイドショーなどを中心にみなぎっている。
 もとより拉致は許すことのできぬ暴挙で、北朝鮮は誠意を持って原状回復を図らねばならないが、北朝鮮の立場を少しでも配慮しようものなら、凄まじいバッシングに遭う。それこそ「爆弾を仕掛けられても当たり前だ」などと攻撃される。わが国では今、拉致問題については「物言えば唇寒し……」の状態である。
 戦前、日本には多くのタブーがあった。それが国民を不幸にした。今また同様のことが起こりつつあるのではなかろうか、とさえ思うほどである。たとえどのような発言であろうと、脅して抑えることは民主主義に反する。朝日新聞には、言論の自由を守るために、タブーに果敢に挑戦してもらいたい。
いや別に、芭蕉のその句って、言論の自由に言及している俳句じゃないんですけど。たとえば以下のサイトなど。
↓物いへば唇寒し穐の風
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/monoyu.htm
なるほど、「あき」という字は芭蕉はこう書いていたのか、ということと、教訓句として語られる場合も、芭蕉の「座右之銘 人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」という、句に添付してある説明を無視しちゃいけないと思うんですが。まぁ、俺の解釈では教訓句というよりも単に「寒くなったなぁ」という写生の句のように思えます。
こういう、オリジナルについてあまり考えないで、フレーズのみを左寄りの人が自分の都合のいいように使っている(断章取義?)例は、俺の日記の以下を参照のこと。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030510#p7(いつか来た道)

こんな○○に誰がした

○○の部分に「日本」とか「政府」とか入れると、やはり左寄りの人の好きなフレーズになりますが、元は菊池章子が歌った『星の流れに』の一節、「こんな女に誰がした」みたいです。
↓内容解説と全歌詞はこちら
http://www.asahi-net.or.jp/~cp7t-mrt/hosinonagareni.html
戦後の娼婦が歌っているような内容のテキストです。
昭和22年の歌ですが、昭和24年には映画化もされています。
↓内容はこちら
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD27165/story.html
映画のほうは、戦争の悲劇ではあっても娼婦ではなく不倫の話になってるようですが…。