もの言えば…

朝日新聞東京版2003年10月15日づけの投書から。


物言えば…にしないために
会社役員 小山 亮(77歳)
 憲法言論の自由を保障していても、世の中は、そうはいかないことがある。拉致問題についての論評がそれだ。
 なかなか進展が見られず、手詰まり状態が続いている拉致事件の経過を見て、ああすればよかったのではとか、こうすればよかったのに、と思うことがある。しかし、うかつに口にできない。北朝鮮を叩く事以外、タブーだ。そんな雰囲気が、テレビのワイドショーなどを中心にみなぎっている。
 もとより拉致は許すことのできぬ暴挙で、北朝鮮は誠意を持って原状回復を図らねばならないが、北朝鮮の立場を少しでも配慮しようものなら、凄まじいバッシングに遭う。それこそ「爆弾を仕掛けられても当たり前だ」などと攻撃される。わが国では今、拉致問題については「物言えば唇寒し……」の状態である。
 戦前、日本には多くのタブーがあった。それが国民を不幸にした。今また同様のことが起こりつつあるのではなかろうか、とさえ思うほどである。たとえどのような発言であろうと、脅して抑えることは民主主義に反する。朝日新聞には、言論の自由を守るために、タブーに果敢に挑戦してもらいたい。
いや別に、芭蕉のその句って、言論の自由に言及している俳句じゃないんですけど。たとえば以下のサイトなど。
↓物いへば唇寒し穐の風
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/monoyu.htm
なるほど、「あき」という字は芭蕉はこう書いていたのか、ということと、教訓句として語られる場合も、芭蕉の「座右之銘 人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」という、句に添付してある説明を無視しちゃいけないと思うんですが。まぁ、俺の解釈では教訓句というよりも単に「寒くなったなぁ」という写生の句のように思えます。
こういう、オリジナルについてあまり考えないで、フレーズのみを左寄りの人が自分の都合のいいように使っている(断章取義?)例は、俺の日記の以下を参照のこと。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030510#p7(いつか来た道)