メディアにアジテーターになることを勧めている人

文化・「貧乏人は麦を食え」の勧め(市民メディア・インターネット新聞JANJAN)
ネット新聞JANJAN用Wikiのほうにも書いたんですが、ちょっとこれはすごすぎるので、俺の日記にもメモとして記録しておきます。

引用とは、自説の拠り所として、他人の言葉や文章の一部を使うことですが、必ずしも言葉通りである必要はありません。その趣旨を要約することも許されているからです。

うわぁ。JanJanは楽しいテキストを書く人が豊富で、少しうらやましいです。

この「高田士郎」さんもなかなかすごい人のようです。「趣旨の要約」は「引用」では、そもそもないわけで、その要約のしかたが間違っていたら、それは「事実の歪曲」です。

昔と今とは「原典(ソース)」に簡単に、メディアの受け手が当たれるという違いがあるので、捏造しておこなった批判の捏造具合がすぐにバレちゃうんですけど。

引用が間違ったら、間違っていると訂正すればいいだけのことで、訂正しなければ「訂正しない人」という認識がされるデメリットを背負うことになっちゃうわけですが。

もちろん、この意訳はマスコミ報道によって為されました。

そこまで知っているのなら、今だと発言者の抗議が生じるだろうし、そこからメディア批判までは普通に出て来る考えだと思うんですが。

 小泉純一郎首相の「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ」という発言を「自衛隊が行くから、そこは安全である」と言い換えても、小泉発言の本質を外しているわけではありません。

小泉首相は「自衛隊が活動している地域非戦闘地域なんです」と言ったのであり、「安全」と「非戦闘地域」はイコールでもないし、自衛隊が行ったら安全になる、という意味でもありません。単に「非戦闘地域」の定義を岡田民主党代表に聞かれたので、その定義を述べただけのことです。

「「貧乏人は麦を食え」の勧め」は、捏造してでも批判しろ、と、その趣旨を要約させてもらって、以後「「捏造してでも批判しろ」と言っている高田士郎さんですが」とか「過去に、捏造による批判を慫慂したことのある高田士郎さんですが」とか言ってみることにしてもいいんですが、そこまで俺のほうの言論に対する責任意識の敷居を低くすることもないかな、と。

ものを考えない人間はいつかものを考えるようになるかについて考える

ものを考えない人間はいつかものを考えるようになるかについて考える。
多分ならないだろうな、と思う。
ものを考える人間は、ものを考えることをやめないではいられないのと同じようなものか。(←少し文章ヘンなので、下のコメント欄参照です)