今日の「天声人語」(朝日新聞)

↓2003年7月31日づけ
http://www.asahi.com/paper/column20030731.html


 不安列島といいたくなるような事象の続く7月だった。梅雨の終わり際、九州を襲った局地的豪雨は、土石流などで20人余の犠牲者を出した。一方6月末に梅雨明けした沖縄では、40日間連続の真夏日、熱帯夜が続く。こちらは水不足が心配される。

 東北地方を襲った地震は、予測されていた宮城県沖地震とは別種の直下型地震だった。今まで注目されていなかった活断層が地下にあったらしい。幸い犠牲者は出なかったが、被害は大きく、なお不安な日々を送る人たちがいる。だれもが襲われるかもしれない。

 自然災害だけではない。嫌な事件が続いた。長崎市での幼児殺害事件では、12歳の少年が補導された。東京では小学生が監禁され、容疑者の男が自殺した。

 ひきこもり相談の30%強が30歳以上との厚生労働省の調査結果も気がかりだ。子どもの間でうつ病が目立ってきたため実態調査に乗り出すとの報もあった。ひきこもりの「高齢化」と、うつ病の低年齢化という心の病の広がりである。

 国会では、世論を二分したイラク特措法が成立した。「イラクで襲撃を受けた場合に、撃ち返せるような訓練を十分していない」「撃ち殺した場合に世論が支持してくれるかも不安だ」とは陸幕幹部の言葉だ。さまざまな不安を抱えこんだ法律である。

 振り返れば、不安が独裁者を呼び出した歴史もあった。ブレヒト劇のせりふの応酬を思い浮かべよう。「英雄のいない国は不幸だ!」「英雄を必要とする国こそ不幸なんだ」。だれかに委ねるのではなく、一人ひとりが考えていかねば。

さてここで引用されている「ブレヒト劇」とは何で、どういう文脈の中で言われたと思いますか? まず、その劇の作品名は「ガリレイの生涯」です。未来社ブレヒト戯曲全集か、あるいは岩波文庫で読むことができるのですが、どちらも今は品切れのようですので、図書館で読んでみてください。
天声人語の人の引用だと、この「英雄」というのは「不安によって呼び出される独裁者」のように思えますね。というか、そう思うのが普通でしょう。つまり、「独裁者を必要とする国は、独裁者のいない国より不幸だ」みたいな感じというか。
全然違います
引用されたセリフは、宗教裁判によって自身の地動説を無理矢理否定させられたガリレオ・ガリレイを巡ってのセリフで、「英雄のいない国は不幸だ!」というのはガリレオを崇拝していた若者(というか、弟子ですね)の失望の言葉で、「英雄を必要とする国こそ不幸なんだ」というのは、それに対するガリレイの返事です。
つまり、ブレヒトの劇の中では、英雄というのは時代や体制を越えて「真実を求める人(科学者)」の意で、独裁者というような政治的キャラクターではないんですね。で、要するにガリレイは、みんながそれぞれ真実を求める勇気を持てば、英雄なんて必要としなくなる、って言い返してるわけ。
いやはやまったく、天声人語の人はなんと恣意的な引用を、あちこちの元テキストの文脈やテーマを隠したうえでやることがお好きなんでしょうか。まさに言葉(テキスト)は「だれか(というより天声人語の人)に委ねるのではなく、一人ひとりが考えて」本当はなんていっているかの真相をあばいて「いかねば」です。この俺の日記を読んでいる皆様にも、「英雄」の心意気を俺は期待します。