『「反日」で生きのびる中国 江沢民の戦争』(鳥居民、草思社)を読んでみる

lovelovedog2004-09-12

↓この話は、俺の日記の以下の記述の続きです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20040907#p1


今日は少し長いかも。おまけに少し堅いっす。

『「反日」で生きのびる中国 江沢民の戦争』(鳥居民、草思社)(→bk1)(→amazon)(→書籍データ)(リンク先をクリックすると本が買えます。若干俺にアフェリエイトが作動しますが、販売価格は変化しないんでお許しを)
ということで、あまり市場に出回っているとも思えないこの本を入手して読んでみました。オビに「04年アジア杯サッカー、中国の「ブーイング」の原因はこれを読めば分かる!」とでも書いて今年の夏頃までに売ればなかなか売れたんじゃないかとは思います。まぁはっきり言ってこの本は一つのことしか書いてありません。


【中国の「反日」の原因は、江沢民が1994年8月23日に告知した『愛国主義教育実施綱要』にはじまる。そしてその綱要と、それに基づく反日教育について、日本のマスコミで正確な報道をしているものは今でも存在しない】


これだけ。この本自体も別にあちらの反日という状況そのものを、現場的にレポートしているようなものではないのですが、孫引用として俺が読んで「事実だったらとても嫌だな」と思った部分だけ、まず最初に引用してみます。元テキストは、産経新聞記者の古森義久氏のものがメインです(p107-110)。古森氏のテキストは、「『抗日』歴史展示の総本山で見た中国の『憎悪と怨念』政策」からの引用(雑誌「SAPIO」2002年5月8日号)。

 つぎに『産経新聞』の中国総局長だったことのある古森義久の文章だ。かれの前には中国特派員はいなかったのだと語る人がいる。そうかもしれない。多くの記者が口ごもること、口にだせないことを古森ははっきり説いてきた。
 古森の文章をつぎに引用する。かれは北京郊外の盧溝橋のたもとにある『中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公園』内の塑像に付けられた英文の説明書きに軒並み「ジャップ」と刻まれているのを見た。

 この『抗日戦争記念彫刻塑像公園』は、一部の民間団体が勝手につくったわけではなく、中国政府当局が五年の歳月と五十億円相当の巨費を投じて『抗日』の要所である盧溝橋の脇に建設した巨大な施設なのだ。その説明文も、当然、中国政府が公式に認めた展示のはずである。単なる勘違いとか、ケアレスミスといった次元の話ではない。
 このささやかな、しかし決して感化することのできない、『事件』から分かるのは、現在の中国における『抗日』『反日』展示が、日中間の過去の歴史問題や日本側の歴史認識が原因ではないという認識である。
 日中友好協会設立から五十年以上が過ぎ、国交正常化から三十年が経とうとしている二十一世紀のいまでも、中国当局が日本人を蔑称の『ジャップ』と堂々と呼んでいるという実態は、中国側の自己完結的な硬直した対日姿勢を如実に物語っている。
 一昨年(2000年)八月十五日にオープンしたこの『抗日記念塑像公園』の開園式には、中国側要人がずらりと出席し、その模様は中国官営マスコミでも詳しく報じられた。広さ二万五千平方メートルもの敷地(周囲の緑地を含めると十一万平方メートル)には、高さ四・三メートル、幅二メートルほどの巨大なブロンズの彫像が三十八体も並んでいる。それらのブロンズ像に彫り込まれた彫刻のモチーフは、いずれも『侵略』と『残虐』である。
 たとえば、『南京大虐殺』をモチーフにした彫像には、鬼の形相をして軍刀を振り上げる日本兵の下に、後ろ手に縛られた中国人が整列させられ、最前列のひとりは首をばっさり斬り落とされている。『七三一部隊の魔窟』と名づけられた像には、マスクをした七三一部隊の人間が台上に横たえられた中国人に生体実験を施している場面や、狭い部屋に閉じ込められ、うなだれている中国人たちを『獲物』を狙うかのように監視している日本兵が表現されている。中国側が『三光作戦』と呼ぶ日本軍の地域殲滅作戦や、中国労働者の遺体をまとめて埋葬したという『万人坑』をモチーフにした像もある。こうした描写がどこまで史実どおりなのか、疑問の余地は大きい。

 古森義久は述べる。

なによりも、ほとんどの日本人は、日中関係の将来に対して『絶望』せざるをえないほどの暗澹たる思いに襲われるだろう。……しかもこの反日記念公園自体が戦後五十年もが過ぎ、日本側は中国に謝罪し、援助を提供し、友好を切なく訴え……と、中国に対して融和に融和を重ね、もういいではないか、と思っていた時期に開設されているのだ。
 この公園の中心には、『中国人民抗日戦争記念碑 江沢民』ときざまれた巨大な白い花崗岩の石碑が建てられている。高さ十五メートルと、ひときわ目立つこの記念碑の基部には、上部の石碑に押し潰されたように、青銅でできた日本軍部隊の車輌が描かれている。国家主席みずから筆をとったこの碑文には、『抗日』宣伝はあくまで『国策』としていくという中国共産党首脳部のなみなみならぬ意思が感じられる。『抗日』とはつまり『反日』である。
『中国国民の苦痛を理解し、中国側の要求どおりに謝りつづければ、いずれ中国人の反日憎悪は消える』----そんな言辞を吐く日本側の識者にも、ぜひとも見学してほしい公園なのだ。

 古森義久の文章はさらに「日本軍暴行館」を見ての批判が続く。

反日記念公園(中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公園)」そのものの画像は、たとえば以下のようなサイトで見ることができます。
↓抗日戦争記念彫塑公園(あやしい調査団、盧溝橋・通州へ 6)
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa02/tushu6.htm

本日の画像は、そこにありました、とても大きそうな「人民抗日戦争記念碑」の画像です(http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa02/tyo02.jpg)。

さらに、こんなテキスト+画像も。

反日アミューズメント(中国人民抗日戦争記念館)(あやしい調査団、盧溝橋・通州へ 3)
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa02/tushu3.htm


さて、このような抗日(実際には反日)運動、その起源と目的は何なのでしょうか。それについては、この本の著者である鳥居民氏は、1960年代はじめの間違った指導(二千万人あるいはそれ以上の餓死者を招いた、毛沢東の「大躍進」政策)により弱体化した共産党の、それも軍隊内で林彪がおこなった政治思想工作、いわゆる「両憶三査」がモデルケースである、としています。
「両憶三査」というのも耳慣れない言葉ですが、鳥居民氏はそれについて次のように紹介しています(p41-42)

さて、「両憶三査」のことになるが、これは文字どおり「二つのことを思いだし、三つのことを調べる」ということだ。「二つのことを思いだし」とは「階級苦」と「民族苦」を思いだすことであり、「三つのことを調べる」というのは、「立場」「闘志」「工作」を調べることだ。

共産党中国共産党)は1990年代初頭には微妙な位置でした。ソ連を中心とする共産主義諸国の崩壊(民主化)と、天安門事件以来くすぶり続ける国内の一般大衆レベルによる民主化要求、また党内部でも共産党一党独裁体制に限界を感じ、先進諸国型自由政治・経済体制もやむを得ないとする勢力もあったようです。江沢民の『愛国主義教育実施綱要』とその実践は、それらに対する政治思想工作、いわば毛沢東の「文化大革命」に匹敵する大運動だったわけです。
もちろん1960年代当時と1990年代では中国内部の国内事情は大きく変わりました。一番の問題は「階級苦」という形で階級闘争を煽るには、共産党内部の指導者層があまりにも中国において「特権階級」化してしまっていたことです。そこで江沢民は、「苦」を「憎悪」や「批判」と同じ意味でもたらす仮想存在として「日本」を標的にしました。つまり「民族の敵」でもあり「(国際社会において)階級の敵」でもある「日本」という存在をひねり出してみたのです。
中国国内で共産主義思想とそれに基づく反日教育を受けた中国人民は、そんなわけで「ブルジョア」である(と中国共産党に教えられている)日本国政府や日本の一般大衆から金や物資を奪ったり、あるいは援助を受けたりしても、それに対して罪の意識を持ったり感謝することはないかもしれません。それはプロレタリアートにとっての一種の階級闘争であり、共産主義的思想から言うと「搾取へのプロテスト(抗議行動)」として正しい行動だからです。
「中国の人にも個々に見ればいい人がいる(いい人のほうが多い)」とか「日本人は日中戦争のことがあるから、中国の人に批判されても当然である(あるいは、しかたがない)」というような意見や主張を載せているマスコミと一部言論人は、中国の反日・抗日思想の原点についてもう少し知る必要があるのではないでしょうか。


…とまぁ、鳥居民氏の主張と俺の考えを併せてまとめてみましたが(8割以上は鳥居民氏の主張です)、だったらどうすればいいか、というのは難しいですね。俺はとりあえず、今度の週におこなわれると思われる中国共産党の「第16期中央委員会第4回全体会議(4中全会)」の人事の結果に注目しています。江沢民がやめるかやめないかに関しては情報が錯綜しているみたいですが、「関係者筋」が江沢民胡錦涛のどちら側なのか、によって、自サイドに有利な情報を流しているだけ、みたいな気が現状ではします。


googleニュースで「江沢民」を検索(日付順)
http://news.google.com/news?hl=ja&ned=jp&q=%E6%B1%9F%E6%B2%A2%E6%B0%91&ie=UTF-8&scoring=d


中国の未来については、この本の著者は「工業生産物輸出国(原料輸入国)」「老齢化が進む大国」という、日本が将来、というか既に抱えている問題を、日本の何倍もの速さと深刻さで抱えなければならない国、として考えているようで、それも俺には「本当は見えているくせに、あまりマスコミでは語られない中国の真実」という感じで興味深いものがありました。こんな感じです(p224-226

 このさき二十年あと、二〇二〇年代前半には、中国の六十五歳以上の老齢者の数はそのときのアメリカの総人口よりも多くなる。二十年さきも若年人口が増えつづけるであろうアメリカと中国は似ていない。中国が似ている国を探すとなれば、日本となるのだと私は考える。
 どこが日本と似ているのか。
 第一に中国は日本と同じように急速に老齢国家になろうとしている。
 第二に中国は「世界の工場」となってしまったがために、日本と同じように資源小国となってしまっている。
 向こう二十年足らずのあいだに中国は老人超大国となってしまう。
 六十五歳以上の人口が、全人口の七パーセントを超えたら高齢化社会と定義されている。全人口の十四パーセントを超えると、高齢化の「化」がとれて、高齢社会と呼ぶことになる。一九七〇年に、日本の六十五歳以上の人口は、全人口の七パーセントを超え、一九九四年に十四パーセントを超えた。高齢化社会から高齢社会になったのである。
 中国ではどうか。現在、六十五歳以上の人口は全人口の七パーセントを占め、高齢化社会に入った。二〇二〇年前後には中国全土で十四パーセントになり、高齢社会になると予測されている。スウェーデンは八十五年かけて七パーセントから十四パーセントまでになった。日本は二十五年かかった。中国はこのさき十六年から十七年のあいだに高齢社会になるとみられている。
 中国が老人超大国となってしまうことにわれわれはある感慨を覚えよう。もうひとつ、中国は日本と同様に資源小国となってしまっていることにわれわれはまたべつの感慨を抱くことになる。
 中国は資源小国に変わってしまった。
 一九九三年には石油の純輸入国となった。今年、二〇〇四年には、中国の原油の輸入は日本を抜く。そして原油の輸入を年平均で千万トンから千五百万トン増をつづけていくことになる。
 中国はまたオーストラリア、ブラジルから鉄鉱石を輸入するようになっているし、食糧を輸入するようにもなっている。アメリカ産、ブラジル産の大豆、トウモロコシを輸入し、中国南部ではベトナム米、タイ米を輸入している。現在、中国は日本ほどの食料輸入大国ではない。だが、まもなく日本より大量の食料を輸入に頼らなければならなくなるかもしれない。
 都市化が進み、中産階級が増え、住宅の建設が大きく、木材の需要は増えるばかりだ。中国はほとんど一夜のうちに木材の大輸入国となってしまった。輸入量はいまやアメリカに次いで世界二位なのである。
 世界一の埋蔵量を誇る石炭以外、中国はなにもかも足りない。明日の中国を論じて、だれもが必ず語るのは不足する水資源である。

ここらへんの認識の違いが、尖閣諸島を中心にした東シナ海の天然資源を巡る中国と日本とのモメゴトとも繋がっているかもしれません。「中国なんて、資源は人間と同じく、日本よりずっと沢山あるんじゃないの?」みたいな、つい最近まで世界の地理で教育を受けてきた世代の知識とは異なり、中国にとって大陸棚の石油・天然ガス資源は、数少ない自国領土の(あるいは、自国領土と強引に主張できる)エネルギー資源なわけです。おまけに人的資源(労働力)も老齢化が進むにつれて多分深刻化すると思いますし。
あちら(中国)は必死で、その理由があります。こちら(日本)はあちらの必死な理由がはっきり分かっていない人が多いような気がします。


最後に、もう一度本の紹介をしておきます。ぜひご一読されることをおすすめします。


『「反日」で生きのびる中国 江沢民の戦争』(鳥居民、草思社)(→bk1)(→amazon)(→書籍データ