「むなぐるま」の問題提起

↓論壇系ブログは日本の言論空間を変える力になれるか?
http://munaguruma.blogs.com/jp/2004/10/post_7.html

これはCBSメモ疑惑について調べているときにどこかで読んで引っかかっている言葉なのだが、ジャーナリズムに資格や特殊な知識がいらないというのは公然の秘密である。極論すれば、誰でも、取材の仕方と多少の文章術を学べば記事は書ける。必要なのは、どこかの大学の学位や専門知識ではなく、経験だけである。今まではジャーナリストというのは情報発信の手段を握っている特権的な立場だったから、ジャーナリストに特権意識が芽生えても仕方なかった。しかし、ネットが出来て、誰もがジャーナリストになれるとなると、その特権意識の裏付けが問われるようになってくる。もし内容のない記事を書けばすぐにネットでツッコミが入る。それで、「王様が裸だった」というのが次第に明らかになってきているのが現在だと思う。10年もすれば、現在のジャーナリズムの寡占的な制度的枠組みは大きく変わっていると思う。いや、そうあってほしいという希望がある。

少し俺のほうでも言いたいようなことがあったような気がするのでメモ。
ただ、ネット論とかブログ論とかネット・ジャーナリズム論といったメタな話は、言及するとそれなりに客は来るんだが、どうもネタ的に煮詰まっている感があるので、というかそんな話ばかりしていられないので、これもメモだけで終わってしまうかも。
こんなのも。
↓真実を追えないジャーナリスト
http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2004/09/post_1.html

この記事を読んで下さっている読者の方々の多くはなんらかの職業を持ち、それぞれの分野でバリバリと働いてらっしゃるのだと思う。そして毎日の出勤途中に日経新聞あたりに目を通す方も多いだろう。そこで自分の専門分野についての記事を読んで感心したことがあるだろうか。働き始めて1〜3年もすれば、学生時代は難解で読むのが億劫だった日経新聞に実は大したことが書いてないという事実に気がついてしまうのではないだろうか。業界で何年もキャリアを積んだ人間から見れば、記者は多くの場合素人でしかない。