『少年が救った提督の名誉 原爆運搬艦インディアナポリスの悲劇』

『少年が救った提督の名誉 原爆運搬艦インディアナポリスの悲劇』(ピート・ネルソン、文芸春秋)(→bk1)(→amazon)(→書籍データ

第二次大戦中のアメリカの巡洋艦インディアナポリスといえば、少し軍事にくわしい人なら世界最初の原爆をテニアンまで運び、そこからフィリピンに向かう途中で日本の潜水艦に撃沈されたことで有名でしょうが(運ぶ途中で撃沈されていたら、歴史が変わっていたかもしれないですが、その可能性はありません)、あまり知られていないこととしてたとえば、沈んだ船の乗員は大半がサメに食われて死んだ、とか(映画『ジョーズ』の登場人物の一人が、インディアナポリスの生き残り、という設定になっているとは知りませんでした)、太平洋戦争中に沈んだアメリカの船は700隻ぐらいあるんだけど、軍法会議にかけられた艦長はこの人(チャールズ・バトラー・マクベイ艦長)だけだった、とか、艦長は退役後、遺族のかたがたの非難に耐えられずピストル自殺してしまう(手に、少年時代からのお守りだった「小さな玩具の水兵」がついたキーホルダーを握りしめたまま)とか、があります。
この本はまず、11歳の少年が夏休みの宿題として(正確には学校の課題である「歴史発掘コンテスト」に応募するための素材として)、校長先生である父親と近くの図書館へ行き、インディアナポリスの悲劇に関するレポートを書こうと思ったら、情けなくなるほど関連資料がなかったことにはじまります。
そこでこの少年(ハンター・スコット君)は、関係者に手紙を出したり、もっと本格的に一次資料を集めはじめて、この「悲劇」は不当に扱われている(特に艦長に対して)、という事実を確認します。
結局彼のコンテスト応募作品は、展示規定方法に関するミスで最終審査会で落選してしまうんですが、その内容と調査資料の見事さに驚いた地元(フロリダ州)下院議員、ジョー・スカーボロの事務所に展示されることになり、それがさらに地元紙の記者の目に止まり…とだんだんスケールが大きくなって、最後には艦長の名誉を回復するための上院軍事小委員会まで開かれることになります。
ここらへんの、マスコミと議員たちが、スコット君や軍事関係者(遺族)をいかに利用して、視聴率・部数や票を得ようと考えたか、という裏事情にはいささかキレイゴトではない部分もありそうです。しかしそれはさておき、艦長が軍法会議にかけられたのは、インディアナポリスを沈めたからではない、という海軍側のトンデモ理論は「無事にフィリピンに船がついていたとしても、艦長は『ジグサグ航法をしなかった』ということで軍法会議にかけられていたのか」という、普通の人(関係者以外の人間)には爆笑するしかない説で論破され、当日(夜)の視界状況についても、沈没させた日本の潜水艦の艦長・橋本以行元少佐にも確認し(その段階で橋本艦長は「軍法会議での自分の証言は誤訳されたが、敗戦国の証人なので不当に扱われたのだろう」という新事実の発言をしてたり)、最後には、艦が沈むときにSOSを発信したのだが、それを受信した人間がいる基地の上官(複数)は、酔っぱらってたり面倒くさかったりしてまともに対応をしなかった(ひどい例では、一度現場に向かわせた船を「俺の命令なしで動かすな」と、帰還させた上官もあったり)、要するにもう「船が沈み沢山の犠牲を出した責任の一切を艦長に負わせようと考えた当時の海軍関係者」というものが、証言や資料で明らかになっていくわけです。
だいたい、護衛艦駆逐艦)もなしで、救命具その他も不足した状態で、いくら激戦地の後方だからといっても巡洋艦たった一隻を航行させることが無茶な話だったわけで。この話(ノンフィクション)は、いろいろな意味で俺のマインドというか趣向にマッチする部分が多かったです。
しかし漂流部分の、長い間漂流してたり海に浸かってたりすると、人間はどういう風に体から脳のほうまでおかしくなっていくのか、という半医学的な考察部分はなかなか生々しいものがあって、ものすごく嫌な感じながら面白いです。救助シーンのリアリティも白眉。
そのうちこれも文庫になるとは思いますが、文春系のこの手の、海外翻訳ものノンフィクションでハズレをつかまされたことがほぼ皆無というのは、出版社の見る目の確かさもあるんでしょうが、英語圏におけるノンフィクションのレベルの高さと、それを維持できるノウハウ、およびそういったテキストに関する需要などなどについて考えるところが多かったです。
わー、いろいろ書いてたらものすごい量になっちゃったよ。この本の感想書くのに、多分読んだのと同じぐらいの時間もかかったし、むー。
最後に、この本の中で語られる、知られざるエピソードを一つ。『ブラックジャック』時代の手塚治虫の絵(とキャラクター)でお読みください。p193-194。軍法会議前の話です。

 さらにフォレスタル海軍長官は軍法会議を招集するよう政治的な圧力をかけられていたかもしれない。息子であるトーマス・ジュニア少尉を失ったトーマス・ダーシー・ブロフィという有力者から陰に陽に圧力をかけられていたという説がある。トーマス・ジュニア少尉は、メアアイランド海軍工廠から新たに乗組員として加わったばかりだった。少尉はトウィブルのグループ(引用者注:漂流時のグループ)にいた、階級を明かさないことに決めた油まみれの士官のひとりである。あと一歩というところまで生き延びていたにもかかわらず、木曜日の午後、エイドリアン・マークス大尉の水上飛行機まで泳いでいこうとして力尽きたのだった。
 そして彼の父、トーマス・ダーシー・ブロフィはワシントンの政界の有力者のみならずトルーマン大統領にまで影響力を与えることのできる実力者だった。戦争中は、USO(米軍サービス機関:軍隊慰問活動を行う民間の非営利組織)を組織するために尽力し、世界中の戦場にボブ・ホープビング・クロスビー、ベティ・グレーブルなどのエンターテイナーを送って兵士を慰問した。また、赤十字に資金を支給する慈善団体、全国戦争基金の会長だった。
 ある日、ブロフィはワシントンDCの海軍省内に用意されたマクベイ大佐の仮オフィスを訪ね、息子の命を奪った張本人と対面した。マクベイは、すでに過去一カ月以上にわたって嘆き悲しむ肉親たちと数え切れないほど面談し、責められてきた。ブロフィには大事な約束があると伝え、その実カクテルパーティに出席して、ほんのひととき憂さを晴らしたのだった。
 ところが、ブロフィの車はマクベイの乗ったタクシーを追って、パーティ会場まで尾行していた。
 これが大事な約束か? カクテルパーティのほうが、大事な息子について話すよりずっと大事だというのか。
 そのとき、ブロフィはマウベイの息の根を止めてやると誓ったのだとする説がある。ゆえに、とことん影響力を行使し、マクベイの軍法会議を要求してフォレスタル海軍長官と大統領に直談判したと言われている。

(太字は引用者=俺)
ちなみに俺のイメージでは、トーマス・ジュニア少尉は手塚マンガの中のサボテン君です。そのオヤジは、葉巻くわえている、ジャバ・ザ・ハットかガマガエルみたいなボスキャラ(名前忘れた)。