『されど汽笛よ高らかに 文人たちの汽車旅』

lovelovedog2004-11-29

『されど汽笛よ高らかに 文人たちの汽車旅』(佐藤喜一、成山堂書店)(→bk1)(→amazon)(→書籍データ

都立新宿高校の国語教師として長年奉職した著者(時代的には1960年代末の新宿騒乱・全共闘大暴れの時代に現役ですか)が、趣味の鉄道マニア部分と文学の鉄道描写を関連づけて、日本文学におけるこの鉄道描写はまっとうか、みたいな考証(というか、シミュレーション)をしている、ある種趣味的ながら知的興味がそそられる一冊。冒頭の徳富蘆花『不如帰』という往年のベストセラー小説を題材に、いったいメインの二人(武男と浪子)は新婚旅行の地・伊香保へどのようなコースで行ったのか、また山科の駅ですれ違うときの電車(汽車)はそれぞれ何だったと思われるか、といった圧巻の考察を筆頭に、国木田独歩の恋人との中央線の旅(今でいうピクニック程度の感覚ですか)、石川啄木の北海道の遍歴(釧路に残る名句「しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな」)、新しいところでは俵万智『サラダ記念日』での鉄道などなど、著者のシミュレーションはとどまるところがありません。やはりネタとして大変なのか、鉄道の時刻表を見てあれこれ考える素材は、もっといろいろありそうですが、次作はかなり待たされそうな気がするのが残念です。私的にはラストの、小学校の修学旅行で昭和17年の戦争のさなかに伊勢へ行った思い出の地を、再びたどる(まず最初は時刻表で、次に実際の旅行で)という最後の章でしょうか。しかしこの人、文芸評論家・高橋英夫の同級生だったのですか。