ネットにしか流れない情報について考える
こんなテキストがあったわけですが、
→ニュースの現場で考えること:「自由記者クラブ」設立の構想(コメント欄)
Commented by 質問ですが・・・ at 2005-10-08 19:33
素人にはわかりにくいのですが、記者クラブを作る=今まで世に出なかった真実が報道される ということなのですか。
情報にアクセスしやすくなっても、選挙のときの大本営発表のような小泉賞賛態勢の各社が、それを紙面に反映させてくれるのですか。
やる気があったら、ネットでいくらでも情報は転がっているし、実名を出しているサイトもあるから、いくらでも取材は可能でしょう。やる気しだいで。実際の場があるかどうかという問題なのか?と。そもそもなぜ群れなければならないのか、理解ができないのですが。
Commented by masayuki_100 at 2005-10-08 20:20
質問ですが・・・さま。こういう試みが仮に実現したとしても、それ自体で「官依存ジャーナリズム」が消えるなどとは思ってもいません。やる気があれば、今すぐにでも種々のことができる、もその通りだと思います。こんなことしなくても、報道にかかわる人々が、きちんと視野を広く持って仕事をしていれば済む話、という指摘も当然です。
ただ、ここでは既存の記者クラブ制度をどう変えるか、という課題の延長で考えています。既存の記者クラブのように記者がそこにほぼ1日中居座っている、という現状とは全く違うイメージを抱いています。(1)(2)で書いたように、「群れる」感じからも随分と距離があると考えています。ネットでいくらでも情報は転がっているし、
この↑の部分は少し違うのではないかと思います。ネットには例えば、当局に都合の悪い「情報」はほとんどありません。都合の悪い意見や論評はあるかもしれませんが、例えば、当局の奥深くで何が行われているかといった「事実に即した情報」は、とんど無いと思います。あったとしても、大半は何かの引用か孫引きではないでしょうか(この点は別の問題ですので、また別の機会に)。
これは北海道新聞の高田昌幸さんという、現役の記者の言うことなので真実味がありそうなんですが、俺の基本的姿勢は「公開されてないことに対する言及は、陰謀論になってしまうので避ける(米軍がばりばり白リン弾で民間人を焼き殺しているとか、そういうことはあるかもしれないが【←補足:この部分はネタです、すみません】、「…という噂である」というレベルで米軍批判はできない)、なので、記者の人にも「政府筋」とか「与党関係者」とか、実名で語れない人からの情報で「当局の奥深くで何が行われている」みたいな情報は、たとえ「事実に即した情報」であっても俺個人は求めたりはしないのですね(興味がないと言ってもいいかも)。まぁ、世の中には陰謀論とか噂話が好きな人間がたくさんいて、そういうかたたちを相手に商売にしている報道のありかたも、仕方ないとは思いますが。
マスコミが一番報道しないのは、今までは「マスコミの不始末」だったんですが、最近はそれもネタになる(そういうの好きな読者が増えている)という感じですか。
関係あるようなないようなことだけど、最近面白かったテキスト。
→- Brain News Network -:円山動物園エサ流用問題 藤沢武園長が「メディアは正しい報道を」
→朝日新聞、靖国問題で社内乱闘…40代社員が暴行-ORICON STYLE ニュース(夕刊フジ 10月21日 18時39分)※ここが一番長く残っていそうです
→不可視型探照灯 事件報道のリソースに「恣意的な映像」を加えていたマスコミ、それを黙認するマスコミ。
→【毎日新聞社会部 中村一成記者の捏造記事を暴き続ける】mumurブログ:毎日新聞社会部中村一成には記者の資格無し
→イルソン記者の傀儡師たち:「ウトロの森」の妖怪ネットワーク(東アジア情勢) / ヒロさん日記
マスコミをネタにするのは、それによってアクセス数があがる、というサイトのメリットもあるんですが、別にそれによって収入が増えるわけではない(アフィリエイトには多少影響するにしても、別にそれで生活しているわけではない)サイト運営者(ブロガー)にとって、「ネットには例えば、当局に都合の悪い「情報」はほとんどありません」というのは、とりあえず本当かもしれませんが、ほとんど情報がない「当局」の中には、「報道する側」や「反政府側」も含まれる=情報不足が気になるので補完したい、という知的好奇心・欲望もあったりして、ちゃんとしたソースを基にした情報は、クチコミでも多少は流れていくんじゃないかと。
ただ、俺個人の意見というか立ち位置としては、「反政府」であることが悪いことであるように主張している一部の反・サヨク(ネットウヨク?)の人たちとは一線を画したいところがあることはあります。北朝鮮やチュチェ思想は、俺にとっては「(最大多数の最大幸福という、わかりやすい目的に)成功しなかった、あるいは成功していない国・思想」でしかありません。
俺のものの考えかたは、「本当はどうだったのか」という私立探偵小説的好奇心のほかにも、「事物はすべて相対的に判断することができる」という、SF(サイエンス・フィクション)的なものもあります。わかりやすくいうと、地球に攻めてきた火星人は本当に悪い宇宙人なのか、みたいな考えですか。
しかし、考えかたとして「成功しなかった思想」は「間違った思想」、さらに「悪い思想」になってしまうのが、世間的には悲しいところです。売れなかった本だって面白いのはとてもあるんですけどね(余談)。
俺のサイトがもっぱら「マスコミ」とか「左寄りの人たち」をネタにしているのは、その人たちの流している情報における「本当のこと(事実)のゆがませ具合」が、ネタとしてあまりにも面白いものが多いからです。