落語『鹿政談』に出てくる奉行は3つの説があるがどれが正しいのかについて (2)

これは以下のテキストの続きです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060611#p1
 
いきなりですが、すみません、以下のかたからのトラックバックで気がついたんですが(どうもありがとうございます)、
http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20060609
ぼくが聞いたのは「五街道弥助」ではなくて、2005年10月5日の「柳家小太郎」が演じた奴でした(http://www.podcastjuice.jp/rakugo/2005/10/105__0504.html)。関連リンクと固有名詞を直しておきます。
五街道弥助→柳家小太郎
で、奉行は「松野河内守」です。
話を続けます。
忠臣蔵仮名手本忠臣蔵)』六段目の、『鹿政談』に出てくるセリフの部分は以下の通りです。
仮名手本忠臣蔵 - Wikipedia
「仮名手本忠臣蔵・五段目・六段目」

夜前弥五郎殿の御目に掛かり、別れて帰る暗紛れ、山越す猪に出合ひ、二つ玉にて撃ち留め、駆け寄つて探り見れば、猪にはあらで旅人、南無三宝誤つたり。薬はなきかと懐中を探し見れば、財布に入つたるこの金。道ならぬ事なれども、天より我に与ふる金とすぐに馳せ行き、弥五郎殿にかの金を渡し、立ち帰つて様子を聞けば、撃ち止めたるは、撃ち止めたるは、わが舅。

と、「六段目」で「五段目・山崎街道」での出来事を回顧するセリフとして語られます。
この「山崎街道」の季節感というのが、「大序」と並んでメチャクチャだというのは、ぼくは桂米朝の『蛸芝居』のマクラで聞いた覚えがあるんですが、なんかもうそこらへんまで話しているととっちらかりすぎるので、また後日ということで。
【上方落語メモ第4集】その161 / 蛸芝居
仮名手本忠臣蔵』の全文は、読みにくいんですがこちらにあります。
「仮名手本忠臣蔵」テキストデータベース
ということで、鹿政談の奉行には3つの説(というより、パターン)があるわけですが、それについては、こんな話がありました。
大和田落語会-会員の広場<鈴木和雄>

「鹿政談」も上方噺であるが、古くから東京でも演じられており、今や東西の区別はない。奈良の鹿が話題であるから、裁くのは奈良町奉行であるが、米朝さんや金馬さんは根岸肥前守、寛政10から文化12(1798−1815)と言っているが、露の五郎さんは松野河内守,宝永1から享保2(1704−1717)であり、この人は忠臣蔵の天野屋利兵衛を裁いた奉行だといっている。噺の方は皆さんご存知の通り。

鹿政談

米朝は、レコードの解説などで、この噺を東京の6代目三遊亭圓生から習ったことを明らかにしている。(そのため、米朝は、圓生の生前、一般的な上方のかたちとは違って、奉行を根岸肥前守でやりっていた。近年では、奉行を曲淵甲斐守とする、上方本来のかたちに直してやっている。)

まぁ実は圓生は大阪の生まれなんですが、
三遊亭圓生 - Wikipedia
この人の話も話していると長くなるのでまたの機会にして。
一応ざっと整理しますと、
1・松野河内守…柳家一門
2・曲淵甲斐守…上方の昔からのスタイル
3・根岸肥前守…6代目三遊亭圓生から米朝、および三遊亭一門
という感じでしょうか。東京だと松野・根岸、大阪だと曲淵・根岸のパターンの落語が聞ける、ということですかね。
しかし実際には、活躍した時代がおのおの50年ずつぐらいも違っている3人の奉行が、いずれも『鹿政談』の中では名奉行の名前として挙げられている、というのは面白いですね。
奉行の人事異動

町奉行所 松野河内守助義 宝永 1(1704)10.1〜享保 2(1717)2.2
町奉行所 曲渕甲斐守景漸 明和 6(1769) 8・15〜天明 7(1787)6.1
南町奉行所 根岸肥前守鎮衛 寛政10(1798)11.11〜文化12(1815)11.9

いや本当に、少し調べて書く、というのは楽しいです*1
根岸肥前守鎮衛」についてはあんまり言及してなかったですね。
喧嘩奉行 根岸肥前守

「落語の鹿政談に出てくる根岸肥前守とは、宮部みゆきの『かまいたち』に出てくる、あのお奉行さんのことですか?」

肥前守と時代
根岸鎮衛 - Wikipedia

なお、鎮衛の著として有名な耳袋(耳嚢)は、鎮衛が佐渡奉行在任中の1885年(天明5年)頃から亡くなる直前まで30年以上に亘って書き溜めた世間話の随筆集である。同僚や古老から聞き取った珍談・奇談が記録され、全10巻1000編もの膨大な量に及ぶ。内容は、公方から町人層まで身分を問わず様々な人々についての事柄などについてである。
下級幕吏出身のくだけた人物で、大岡忠相遠山景元とはまた違った意味で講談で注目を集め、平岩弓枝の「はやぶさ新八御用帳」シリーズをはじめ、小説・テレビ時代劇で題材とされている。

あとはまぁ、いろいろと。
蛇足ですが、松野河内守・曲渕甲斐守・根岸肥前守のいずれも、奈良奉行をやったことがある、ということは確認できませんでした*2。ちゃんとそれなりの図書館に行けば、そんなのはすぐに調べられることなんですが、そこはまぁ「少し調べて書」いているだけのことなのでお許しを。
(2006年6月9日)
 
(追記)
訂正して結合したテキストを、以下のところに掲載しました。
http://lovedog.blog5.fc2.com/blog-entry-179.html
この件について言及したい人は、↑のほうへリンク・トラックバックをお願いします。

*1:すでにこうなると「日記」じゃないわけですが

*2:むしろ「やったことがなかった」ということが確認できた、というほうが正確なぐらいです