「俺が四十二両拾ったのは夢で、使っちまったってのは本当だってのか」と落語『芝浜』の勝五郎は言った

以下のコメントから。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060623#c

# seabass 『seabass(仮)です。

引き続き、その「哲学本」の著者がぼくだったら、という仮定で話を続けますが、それがいかに「すばらしい要約」であったとしても、ぼくは激怒します*2。元テキストが何に掲載されており、その前後の文脈が不明という、不適切な、引用ともいえない引用をされているからです。

要約を紹介されたら、その要約がどんなにすばらしくても激怒するなんて言われても、それは随分変わった人だな、としか言いようがありません。
ついでに言えばあなたの文章はこの手の極私的主観に基づいた議論が多すぎます。

そうですか、それでは、「元テキストが何に掲載されており、その前後の文脈が不明という、不適切な、引用ともいえない引用」をされて激怒しない人間は変わっていない人なのか、という件について、なぜそれが「変わっていない人」に入るか、という説明をお願いします。
まぁ、ネット内では、たとえば「新大久保駅で人助けをした韓国人について駅員に聞いた人はあやしい」とか、「福島みずほの事務所が公式に否定していない段階で、「○○は××と言った」という情報を流している人のテキストは、もう少し信頼できるものが欲しい」と言っているのは少数派なので*1、現段階ではぼくは「変わっている人」なんでしょうが、それはあまりいいことではありません

その翻訳が「これ以上はないぐらい的確に伝えている」か、を判断するのは、私でもあなたでもPOWの人間でもなく、笹幸恵さんだと思います。

違います。翻訳が正しいかどうかは、原文と翻訳を読み比べて理解する能力がある人なら誰がやっても良いんですよ。
一体あなたは言語によるコミュニケーションを何だと思っているんでしょうか?
「今、俺は○○と述べた。この意味は自分にしか分からない。」では、コミュニケーションにならないでしょ?

「翻訳が正しいかどうか」の比較はもちろん、誰がやってもいいんですが、その翻訳が「これ以上はないぐらい的確に伝えている」か、を判断するのは、私でもあなたでもPOWの人間でもなく、笹幸恵さんです。
「今、俺は○○と述べた。それに対し××という意味解釈をする人間がいるが、それは間違っている」というのは十分なコミュニケーションになりますね。

大体あなただって、

具体的に、笹幸恵さんの元テキストより「日本軍の行為」に関して笹さんが甘いような翻訳になっている、というのは前に指摘した通りです

と書いているではないですか。
翻訳が正しいかどうか判断できるのが笹氏だけなら、一体あなたは何をしているんでしょうか。

それはseabass(仮)さんが、

POWの翻訳者の翻訳が、仮に娯楽として読めるレベルで正確であっても、SWCやレスター・テニー氏が抗議をする要件は満たしていない、と頭から決めつけられても、具体的にどんな問題が生じているのか分からないまま同意はできません。
そしてあなたはそのような具体的な検討は二の次にしているのです。

というように、「具体的にどんな問題が生じているのか分からない」ということに対するリアクションとして

具体的に、笹幸恵さんの元テキストより「日本軍の行為」に関して笹さんが甘いような翻訳になっている、というのは前に指摘した通りです(→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060616#p1)。

と、ぼくの判断を述べたので、これが「具体的にどんな問題が生じているのか」は、ケニー氏の抗議が「別の翻訳テキストも考えられる状況」での抗議だった、という点で具体的な問題だというぼくの判断です。
そして、その「翻訳が正しいかどうか判断できるのが笹氏だけ」であるにもかかわらず、笹氏がその翻訳の正しさを確認できた、というような証拠は見当たりませんでした。
ぼくがしているのは笹さんのほうが「今、俺は○○と述べた。それに対し××という意味解釈をする人間がいるが、それは間違っている」と述べていない(述べているにしても、大きい声では伝わっていない)、ということを言っている、ということです。

ぼくとしても、実際にそのような本の存在が確認できない以上、それと大差ない対応を取らざるを得ないです。要するに、ちょっと顔を洗ってきたいな、これは夢のような気がする、ということです。

まさにあなたらしい、「感覚器官や脳の不正確さを根拠にイチロー選手や東京タワーの実在を疑う」ような議論ですね。
確かに私は本の存在を明らかにできませんでした。しかしだから何だと言うんですか?だから私の言っていることは始めから終わりまで全部でたらめで全く無意味だというのですか?
当然、そのような曖昧さがあったとしても、それが本質と深く関係しているかを吟味してからそのような評価を行うべきでしょう。
私の言いたかったことは、あなたの議論が感覚器官や脳の不正確さを根拠に外界の実在を疑うのと同じような議論をしているということで、それについて書かれた書名が分からないから何だというのですか?

「それについて書かれた書名が分からない」ということでぼくがわかるのは、seabass(仮)さんが本当のことを言っているのか確認ができない、ということです。その哲学者の話をしたいなら、その本を明らかにすればいいし、昨日見た夢の話をしたいのなら「これはぼくが昨日見た夢なんだけど」と言って話をすればいい、というだけのことですね。「外界の実在」は疑っていませんが、「その本の実在は、疑われてもしかたがないような形でしか言及されていない」というのは、seabass(仮)さんが四十二両芝浜で拾った夢の話をしているのと同じです。

具体的に、笹幸恵さんの元テキストより「日本軍の行為」に関して笹さんが甘いような翻訳になっている、というのは前に指摘した通りです
(→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060616#p1)。

私はあなたが、元テキストの具体的な検討をしていないとは言っていません。
「二の次」にしていると言っているんです。
SWCやレスター・テニー氏が抗議をする要件は満たしていない、と頭から決めつけてから、あとで元テキストを調べるような行為を「二の次にする」と言うんです。

正確とぼくには思われるような形でそれに関する引用をしてみますと、

POWの翻訳者の翻訳が、仮に娯楽として読めるレベルで正確であっても、SWCやレスター・テニー氏が抗議をする要件は満たしていない、と頭から決めつけられても、具体的にどんな問題が生じているのか分からないまま同意はできません。
そしてあなたはそのような具体的な検討は二の次にしているのです。

で、
1・「具体的にどんな問題が生じているのか」はわかりましたか
2・「具体的な検討は二の次にしているのが問題」なのか、「SWCやレスター・テニー氏が抗議をする要件を満たしていないのが問題」なのか、ぼくとseabass(仮)さんとの考えかたとの違いはわかりましたか
ぼくは、抗議をする側が「抗議をする要件を満たしている」か否かがわかれば、具体的な検討の必要はないことだと考えます。その要件を満たしていない以上、「伝聞情報で抗議をしている人」なわけなので。
その意味では「二の次」どころか「どうでもいいこと」ですね*2

ぼくは、伝聞や間接的な情報だけで他人に抗議をする人間に関しては、抗議の要件を満たしているとはとても思えないのですが、「思える」という人のほうが多いんでしょうか。

はぁ?翻訳は原理的に不正確だから、笹氏に確認せずに抗議をするのは抗議の要件を満たしていない、というのはまさにあなたの主張の肝でしょ? それを巡って、Apeman氏らと延々議論していたんじゃないんですか? その根拠を問われて、「そう思う」ってわけですか?あなたは根拠もなしにただ「思う」ってだけで、Apeman氏や私や他いろいろな人を非難したりネタにしてからかっていた、ということが今ここではっきりしました。

ああそうですか、それでは、
伝聞や間接的な情報だけで他人に抗議をする人間は、抗議の要件を満たしていません。
と、「思う・思えない」の部分を外して、自分の意見を述べておきます*3
ついでに「抗議の要件を満たしていると思う人は間違っている」とも言っておきましょうか。あるいは、「伝聞や間接的な情報だけで他人に抗議をする人間は、伝聞や間接的な情報だけで他人に抗議をされてもその抗議を受け入れなければならない」とか。

あなたがそういう考えを持っていて、それがぼくの考えとどのように違う、というのを述べるのは別に問題はありませんよ。それこそ「趣味」の話なので。

これは趣味の問題ではありません。実際あなたは「感覚器官や脳の不正確さを根拠にイチロー選手や東京タワーの実在を疑う」レベルの議論で他人を非難していたりしているんですから、趣味では済みません。
そしてこれは極論ではありません。あなたにとっては。
私の言いたいことをはっきりさせておきますが、私が言いたいのは「感覚器官や脳の不正確さを根拠にイチロー選手や東京タワーの実在を疑う」ような議論を例えば哲学者が哲学の問題として議論するのは別に構わないけど、現実の課題として議論する奴はバカだということです。
それで、あなたの議論はこのバカの議論と同じだと言っているんです。
そして、どうして同じかその根拠も前に書きました。
あなたは自分の議論がそんなバカの議論と違うというのなら、「翻訳に伴う原理的な不正確さを根拠に、翻訳を頭から不正確と決めつける」あなたのやり方と、そのバカの議論との違いをきちんと説明するべきでしょう。

「感覚器官や脳の不正確さを根拠にイチロー選手や東京タワーの実在を疑う」レベルの議論をする人間は、ぼくもバカだと思いますね。たとえば「バターン死の行進はなかった(実在を疑う)」と言っている人間はバカです。
ただ、「イチロー選手や東京タワー」に関するある情報が、どの程度めいめい微妙に違っているかはちゃんとしておかないといけないでしょうね。
で、ぼくが疑っているのは「実在」ではなく、「イチロー選手があることを言った」というのは本当か、「東京タワー」についてこのようなことを言う人間がいるが、それは本当か、ということなので、「イチロー選手の噂」「東京タワーに関する伝聞情報」だけで「そんなことを言うイチロー選手は許せない」なんて抗議する人間はバカ、ということです。
わかりますか。

もちろんあなたもその辺のことはちゃんと分かっている。だから、さりげなく、

ぼくが見ている「イチロー選手や東京タワー」は、apeman(apesnotmonkeys)さんやseabass(仮)さん、その他もろもろの他の人たちが見ているものとはそれぞれがそれぞれに微妙に違っているとは思いますが、

等と書いてその矛盾の回避を図っているんです。
一体どうして、それぞれの違いが「微妙だ」と分かるんですか?
「翻訳には原理的な不正確さがつきまとうが、それは微妙なもので、場合によっては抗議の基礎とするには十分正確なこともあるかもしれない。」等と決して考えないあなたがです。』

ものすごく違っていたとしたら、日常生活が成り立たないので。翻訳の微妙な不正確さみたいなものです。
イチロー選手は○○と言った」と誰かが伝聞情報を流したとしたら、そしてそれがぼくに対する誹謗中傷その他、ぼくが抗議するレベルの内容のものだったら、その不正確さが日常生活の許容範囲を超えるわけで、「事実の確認」をして、しかるのち抗議をするかしないかを決めることでしょう。
 
で、ようやく追記。
「はず」は広辞苑によれば「当然のこと。道理。わけ。」の意です(少し追記あり)

私は lovelovedogさんの主たる関心が「SWCやテニー氏は笹レポートを正しく理解したうえで抗議しているのか?」というところにあり、それを確認するための手段として「誰が翻訳したのか?」「情報提供者は文春側にコンタクトをとったのか?」といったことを問題にしているのだ…と当初から考えていました。いまになって思うに、私のこの思い込みがすれ違いの原因なのかもしれません。ひょっとしたら lovelovedogさんは「誰が伝えたのか?」というところにこそ興味を激しくひかれており、正確に情報が伝わっているかどうかは「誰が伝えたのか?」という興味へのスパイス程度という位置づけなのでしょうか。そう考えれば『文藝春秋』の笹レポートを読まないうちにあれこれ書きまくった理由も納得できるというものですが…。

ようやくわかっていただけましたか。だから何度も言ってるでしょう、

「情報は正確に伝わったのか」などは、言及をするまでもなく「誰が伝えたか」で自明のことです。「当人(元テキストを書いた人間)に対して接点を持たない第三者」により、当人に確認を取らないまま伝えた情報が「正確」なわけがありません。

と。
何でも政治的に考える「イデオロギー脳(左寄り)」の人には、その「誰」というのが「左寄りの人たち」であるのをぼくが問題にしているのだと思っているようですが、別に右翼の人が、たとえば「バターン死の行進なんて歩くの簡単」みたいな英語テキストを笹幸恵さんとは接点を持たないで作り、それを元にSWCが抗議をした、というケースでも、「SWCの抗議はこのテキストを元にしているようです」というような言及をしたと思いますし、SWCの抗議の仕方には、同じような疑問を感じたでしょう。「接点を持たない第三者」というのは、右とか左とかに限定されたものではありません。今回のケースでは「左寄りの人たち」が「情報提供をしていた」から、余計面白かっただけのことです。
文藝春秋』の笹レポートを読むのは、ぼくにとっては「情報伝達の不正確さの確認(検証)」というような妙なベクトルにもとづく行為ではなく、単純に「そこには何が書いてあるか」というぼく自身の興味としての行為である、と、ぼくの日記を読んでいる人たちに受け取ってもらう必要がありました。そういう意味でも、笹さんのテキストを読んで言及するには、時間を置く必要があったのですね。

などとお書きです。まずいわゆる抗議行動を行っているのは「リベラル、というか反・政府側」に限ったはなしではなく、最近では2chのコピペをソースにして太田光の事務所に抗議した右翼団体、なんてのもあるわけです。まあ lovelovedogさんの興味を引きやすいのが「リベラル、というか反・政府側」の抗議行動だ、というのはすでに了解していますので弁解はご無用です。また私の理解では、「嘘や捏造・歪曲でもいいから謝罪させてしまえ。謝罪させれば、それは既成事実になる」というのを「手法」として用いているというのはそれほど多くないケースなんではないかと思います。曖昧な情報をもとにとりあえず抗議してしまう…というケースは左右を問わずあるわけですが、「情報の吟味が甘く、結果として難癖を付けたことになってしまった」ケースと「はじめから情報の正確さにかかわらず謝罪させることだけを狙っていた」ケースとは、やはり区別しなければならないのではないかと思うわけですね。言い換えれば、正気塾が2chのコピペを鵜呑みにして抗議したからといって、正気塾が「嘘や捏造・歪曲でもいいから謝罪させてしまえ。謝罪させれば、それは既成事実になる」というのを「手法」として採用していた、とまでするのはやはり不当だと思うわけです。
第三に、仮に「嘘や捏造・歪曲でもいいから謝罪させてしまえ。謝罪させれば、それは既成事実になる」というのをポリシーとして採用する圧力団体が存在したとすると、それはメディア(ここではいちおう各種メディアへの抗議の類いにはなしを限定します)がきちんと反論せずに事なかれ主義的な対応をしたことに大きな責任があるのではないか、と思うわけです。

要約すると、
1・抗議行動は右・左の思想に関係なくある
2・「嘘や捏造・歪曲でもいいから謝罪させてしまえ。謝罪させれば、それは既成事実になる」というのを「手法」として用いているケースはそれほど多くない
3・メディアの事なかれ主義に大きな責任がある
ということでしょうか。
1に関しては、「ある」という事実は確認できるし(どちらの思想陣営においても少しヘンな人がいるということですね)別に政府側のヘンな抗議行動*4としてネタになりそうなものがあったら、ぼくの場合でも考えてみたいと思っています。ただ、反・政府側の場合が面白い・興味を引きやすい例が多いのは、「情報の仕入れ先」の偏りと、「入手した情報」の扱いの不注意な部分がすぐに見えてくるからで*5、もう少しがんばってもらいたいところですね。
2についてなんですが、今回のケースは明らかに、「はじめから情報の正確さにかかわらず謝罪させることだけを狙っていた」ケースでしょう。情報の正確さをアピールしようとしているSWCの姿勢は、マルC表記やSWC・POWのエクスキューズも含めて皆目見られません。そういう「ゆるさ」について、過去に関係者が誰も指摘して来なかったとか、関係者がやりかたを考えたりしてなかったのが不思議です。「誤解を招くスタイルで申し訳なかったが、われわれは正確な情報を得るために、これだけのことをした」というような説明がSWCのほうで出てくれば、ぼくのほうではいくらでも「非常に悪質な誹謗」であると思われる部分については訂正・謝罪の用意はあります。しかし、「嘘や捏造・歪曲でもいいから謝罪させてしまえ。謝罪させれば、それは既成事実になる」というのを「手法」として用いているケースが、「情報の吟味が甘く、結果として難癖を付けたことになってしまった」ケースと比べてどちらが多いかは不明だし、「区別しなければならない」理由も不明です。どちらも「抗議している側がバカに見える」という点においては等価なんですから*6
3に関しては、これはぼくも同意です。ただ、メディアの問題として「広告主」に圧力かけられたんではどうしようもない部分があり、「マルコポーロ」廃刊の場合はその手の圧力をSWCにかけられたとぼくは記憶しているので、「事なかれ主義」を完全に排他できないのもしかたないかな、と思う部分もあります*7

これはまったく根拠レスな lovelovedogさんの単なる憶測にすぎないと思います。ちょっとヒントみたいなことを言うとすれば「政治的バイアス」ということになります。上であげた正気塾のひとも「言葉の力を信じている」ように私は思いますし、誰かの発言への抗議行動として銃器を持ち出したりするアツさは右寄りの人たちに特有のことです(革命ごっこのために銃を使った左翼はいましたが)。

いや、やはり銃器を持ち出すような人は「言葉で何かが変わるなんて思ってない(言葉の力を信じていない)」人なんじゃないでしょうか。
ほかにもいろいろありますが、apesnotmonkeysさんの考えでぼくが不思議なのは、POWの翻訳が「それを元にレスター・テニー氏が抗議できるほど正確である」と信じ込める部分です。とにかく、ちゃんと読み比べてもいない段階でapesnotmonkeysさんはそのように解釈できるような言動をしていた、とぼくは記憶しているんですが、違っていたらすみません。ぼくの「正確なわけがない」とapesnotmonkeysさんの「間違っているに決まっていない」とは、そんなに本質部分では違っている考えではないはずなんですが、ぼくは「疑惑」を感じ、apesnotmonkeysさんはそれを感じない。やはり、「元テキストをゆがませて、伝聞情報をあたかも本当のことのように言っている人・人たち」のテキスト分析に関する、ぼくとapesnotmonkeysさんの経験の差でしょうか。あるいは伝聞情報をあたかも本当のことのように流されて迷惑をした、ということがあるかないか、多いか少ないか、の経験の差、とか。
まぁ可能性として、POWの翻訳が笹幸恵さんが抗議するほどの間違いではなかった、とか、POWは翻訳の前に笹幸恵さんの確認を取っていたかもしれない、というような話は、とりあえず置いておきましょう。「抗議したかもしれない」とか「確認を取っていないに決まっている」という、実際はどうだったのか確認のできない話になってしまうからです。ただ、「翻訳は正確かもしれないじゃないか」というのは、読み比べてみた部分に関しては、ぼくレベルでは否定しておきます*8。また、中で記述してあるテキストの「引用」部分がどういう人間によって書かれたか、というのは、「極めて些末な事柄」ではありません。
とりあえずぼくのほうも質問をしたいのですが、POWの翻訳が「それを元にレスター・テニー氏が抗議できるほど正確である」と思っているようでしたら、その根拠は何に由来する(していた)んでしょうか。リベラルな人たちに対する善意の思い込み、というのでもぼくはかまいませんよ。
 
(追記)
なにやらトラックバックと追記をいただいたのですが、
「なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気づかないのか」(マタイ七・三、ルカ六・四一)(追記あり)
ちょっとレスは遅くなりそうなので、「そのテキストに気がついた」ということだけメモ&記述しておきます。

*1:ネット内のメイン意見は「やはり韓国人嘘つきだったのか!」「福島みずほは、やはり言ってなかったのか!」みたいなものなのは、確認すればお分かりだと思います

*2:笹幸恵さんのテキストは、読む前に思ったとおり、抗議をしている人間がどのような抗議をしているのかとは関係なく、興味深いテキストではありましたので、そのような形の言及はしてみましたが

*3:もちろんこれは一般論なので、SWCの人間が「伝聞や間接的な情報だけで他人に抗議をする人間」ではない、という確認が、誰かによっておこなわれたら訂正するかもしれません

*4:政府側の場合は「隠蔽」行動になる可能性が高い気がしますが、それはそんな感じ、以上のものではありません

*5:一番顕著な例は「永田議員の偽メール事件」でしょうか。あれほどネットでネタにされた例を、与党の側のケースとしてはあまり知りません

*6:「どちらがよりバカに見えるか」という点で、区別しなければならない、という意味でしたら、apesnotmonkeysさんの主張もわからなくはありませんが…

*7:レスター・テニー氏の抗議が「自分のテキストを文藝春秋誌上に掲載すること」だったのは、SWCもそこらへんの「一般人に引かれない程度の圧力のかけ具合」は学習したんだろう、という気もします

*8:笹幸恵さんレベルでは、それはどうかわかりません