外部記憶の充実と変化が、オタクの断絶を生んだ。それは映画世代とビデオ世代のように。


さて、長々と映画の話しをしてきたのだけど、第三世代オタクも同じように考えることができる。もちろん、オタクはヴィデオ登場以降に現れたものだけど、ここではネットがその切断を果たしたんだと思う。自分の好みに合致するものは、ネット上に膨大なカタログとして保存されているのだから、とりたてて記憶を保持しようと努める必要はないし、「オタク的教養」に自分の趣味判断を譲渡する必要もない。記憶する必要がないんだから体系も必要ではない。必要ではないものを持てといったところで、その言葉が届くわけもない。
↑外部記憶の充実と変化が、オタクの断絶を生んだ。それは映画世代とビデオ世代のように。