ブックマーク・RSSから(2006/09/19)

あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。
ミラーサイトとのアクセスバランスがあまりよくないので、元ネタリンクしていただけるようなら以下のところにお願いします。
愛・蔵太の少し調べて書くblog(今のところ、あちらのほうをこちらより少し早く更新するようにしています)


映画プロデュース会社:取締役の妄想日記:日本最大のSNS? モバゲータウン


最近、「モバゲーがすごい!」、「ケータイの勝手サイトが熱い」といった話を何人かの人から聞いたので、少し試したり、調べてみたりしました。ハッキリいって、すごいです!
↑すでにミクシィを超えているらしいモバイルサイトについて。

猫を償うに猫をもってせよ:論争家大岡昇平


世間の人は、いまネット上で盛んに行われている論争が、時に罵詈雑言になるのを嗟嘆しているかもしれないが、昔の活字上での論争がもっと礼儀正しかったかというと、そうでもない。『戦後文学論争』(臼井吉見編)を見てもその一端は分かるが、あそこに載っていないようなすごいのがある。特に、1961年から翌年にかけての大岡昇平の論争家ぶりは凄まじかった。
井上靖松本清張と喧嘩できる人がいたとは知りませんでした。

socioarc:「ルール」が「ルールされる」とき


コンビニは一種のプラットフォームビジネスであり、フランチャイズによって出店数を拡大し、ビジネスを広げるモデルであった。しかし、「コンビニ業界:セブン-イレブンの覇権は完成間近か」などで指摘されているように、登場当時のような、コンビニ業界と零細小売店の競争ではなく、同程度かあるいはそれ以上に競争力のあるディスカウントストアや惣菜屋の登場に加え、コンビニ需要が飽和するにつれてコンビニ業界内での競争が激しくなった。そのような中で、引き続き業績を伸ばしていくために、フランチャイズのルールに「変更」を加えていったことは容易に想像される(※1)。先の記事についているコメントがまた熱い。少なくないフランチャイズ加盟店が過酷な状況に追い込まれており、エコシステム(生態系)が破綻しつつあるため、多くのコンビニチェーンが転機を迎えていることが窺える。(※1)例えばごく狭い地域に同じチェーンのコンビニを何店舗も出店する戦略があるが、これはチェーン全体としての売り上げを拡大し、他のチェーンが進出できなくする効果がある一方で、各店舗にとっての収益は明らかに苦しくなる。
↑一人勝ちした者の作る新しいルールでも、魅力的であれば顧客はついてくる…かどうかという問題。

ゲームニュース:ダイヤモンド特集「ソニー激震」内容


株をやってる管理人からすると今回の値下げは悪材料としか言えないですね。
↑今からソニーの株買おうと思っている人はいるんだろうか。

競馬サロン ◇ ケイバ茶論:サラブレッドを弱くしたのは


前置きが長くなったが、この著書の中でエッチンゲンは「サラブレッドは19世紀の半ばを頂点に退歩している」と明言しており、その原因については「あまりに早い時期から競馬を強いられて貴重な放牧の時間が失われた結果」として、つまりは2歳戦にあると結論付けている。
↑『馬産の理論と実践』という本に書かれていることの紹介。viaまなめはうす

Munchener Brucke:飲酒運転報道にみる〜マスコミ報道の頻度≠現実の頻度に気付く〜


極端にまで、飲酒運転にまつわる報道が増えているが、どんなにアンポンタンな人でも、流石に「最近、飲酒運転が増えている」とは思っていないと思う。「福岡での死亡事故を受けて飲酒運転も問題が注目され、普段ではニュースにならなかった事故を、マスコミが逐一報道することになった」というだけである。
↑飲酒運転も少年犯罪も増えているわけではなく、単に「報道」が増えているだけ、という実態。

isologue:痴漢容疑リスク


ご本人の人となりをよく存じませんので本件自体の白黒については私はなんとも申せませんけど、一般論として確実に言えるのは、電車を利用する男性にとって、「痴漢容疑リスク」は(大げさでなく)現代社会における最大のリスクの一つになっている、ということではないかと思います。
↑「やってない。無実だ」と言い張っても一ヶ月留置で人生めちゃくちゃに。

ほぼ日本映画専門サイト「キネマの星座」:第32回東西落語名人会に行ってきた


私が生で見るということにこだわるのは、その人の舞台を生で見たというのが、その時代を生きた価値になると思うからだ。私が生を受けてから28年。その間にも落語家でも多くの物故者が出ている。私が初めて生で落語を聞いたのは中学一年生の頃。桂枝雀桂ざこばの二人会であった。その枝雀も既に無い。
桂歌丸柳家小三治桂春団治桂三枝という豪華なメンバー。生きているところが見られてよかったですね。

新・読前読後:映画の記憶、映画館の記憶、街の記憶


東京の名画座たちが輝いていた時代の映画を取り巻く環境と現在のそれでは大きく違うことがわかる。観客や、観方という点に絞ってみるだけでも、クライマックスにさしかかると館内一体となって熱く盛り上がり、掛け声をかけたり、がやがやと雑談が始まったりする。そこに田沢さんは「夏休みの恒例行事だった小学校の校庭での野外映画大会にも通じるもの」(35頁)を見て取る。
田沢竜次『東京名画座グラフィティ』(平凡社新書)という本の感想。

新・読前読後:起承転結が肝要


もはや語るまでもない傑作だろうが、わたしは初めて観た。やはり面白い。ストーリーは単純なのだけれど、何と言っても起承転結がきちんと踏まえられているから物語に起伏があって、スリルとサスペンスに満ちている。最後までハラハラドキドキなのだ。小説にしろ映画にしろ、どんな筋であっても起承転結というのは大事なのだということがよくわかる。起承転結、漢詩における絶句の構成を指す言葉であるが、小説・映画といった学芸百般に通じる作法であるというのが意味深い。
黒澤明の映画『用心棒』の感想。