生活短歌と虚構短歌(おたく短歌)について

いわゆる「生活短歌」というか、日常の出来事から生まれる喜怒哀楽を31文字で歌う、というのが正岡子規以降の日本の短歌の正統路線としてあるわけです。たいていの人はそうやって短歌を作るし、それが普通の時代なんですけれども、昔の「和歌」の時代はそうじゃなかったんですね。「時鳥」とか「春の淡雪」とか、実際に見たり聞いたりしたものも、もちろんあるとは思うんですが、単なる「記号」として虚構を楽しむ・作る、というのが、王朝人の和歌・短歌の伝統芸で、そのネタをいかに工夫して、過去に作られた歌をパロディというか、ちょっと違うな、メタ創作なものとして作るか、という。
やはり生活短歌というのは、自分の体験を元にして書く私小説みたいなもので、誰にでもそこそこのものが描けるような、割と簡単に書けちゃいそうな、それでいてちょっと、適度に難しいのが支持されるポイント高いんですね。ただ、どうもそれからいいものを選ぶのは、文芸雑誌の投稿作品からいいのを選ぶのと同じぐらい難しい。というか楽しくない。ぼくとしては短歌に物語性を入れて、というと話が難しくなるんですが、自分の体験していない虚構を歌にするのがオタク的にはおもしろいような気がします。「時鳥」のかわりに「アッシマー」を入れたり、「クラウザーさん」を入れたり、物語の登場人物(ジャイアンとかハルヒとか)に成りきって歌を作る、みたいな感じで、どうですか、とやるんですね。そういうの、どうですか。
これから毎日一首、歌のようなものを、「日記」の冒頭に入れてみようかと思いました。今日の短歌は例の有名な奴(三笠の山の月)の現代風アレンジなんだけど、傾向がおたく短歌ではなくきみぼく短歌になってしまいそうなのが、ネタとはいえ心配です。
サンプルとしていくつか、こんなのを。
・卵から恐竜を育てたと父は言う20世紀の夢の熱さか
・読み継がれることのないまま南米の密林に消えた男の第一部完
・新連載と巻末マンガまず読んで 知った気になるこの春の流行
・限定フィギュア買う人もないオークション 去年捨てたと雪の降る日に
下の二つは「生活短歌」っぽいですが、そのような経験はぼく自身にはありません。
もっといろいろ知りたい人は、以下のテキストなど。
カラン卿の短歌魔宮
これ、すごく面白いですよ。
この日記にコメントする人は、短歌でひとつよろしく。