『オタク論!』(唐沢俊一・岡田斗司夫/創出版)から、唐沢氏の間違いと思われるものを3つ指摘してみるよ(パガニーニ、野田高梧、蜀碧)

 ということで、以下の本を読んだわけですが。

オタク論!

オタク論!

★『オタク論!』(唐沢俊一/著 岡田斗司夫/著/創出版/1,575円【→amazon

オタク第一世代が語る「オタクって何だ!」限りなく拡散しつつある「オタク」なる存在を第一世代が今一度語り尽くした。

 コミケに関する間違いは以下の日記が指摘しているみたいですが、
よつばの。: オタク論!が酷い
 ぼくが読んだのは「3刷」なので、さすがに「米澤嘉」は直っていました。
 しかし、

岡田 いまやプロの作家がコミケを楽しみにしてますからね。『HUNTER×HUNTER』の作者は、毎年コミケの前になると『ジャンプ』の原稿落とすことで有名ですし(笑)。
P25より

この疑惑については、週刊冨樫帝国No.37・38合併号こちらに詳しいです。
そもそも冨樫義博氏がサークル参加した回数自体が3回しかありません。

 これが本当なら「盗作(著作権侵害)」以上の「名誉毀損」とか、言える人は言えそうな気もするんですが、私的&ぼくの日記的にはどうでもよくって、というか事実関係が追えないので、別の話をします。唐沢俊一さんの「雑学」系発言で気になる間違いと思われるものが3つあったので。まず、p38

19世紀にパガニーニという音楽家がいて、彼が初めてイギリスで公演をしたときに、バーナード・ショーがくそみそに書いた。ところがパガニーニはその文章を自分の演奏会のポスターに使った。そしたら「あのバーナード・ショーがこれだけくそみそに言うんだから」ということで大入り満員になったという。これは19世紀ロンドンの住民たちが成熟していたからできたわけですね。

 ふーむ…。
ニコロ・パガニーニ - Wikipedia

ニコロ・パガニーニ(Niccolo [あるいはNicolo] Paganini, 1782年10月27日 - 1840年5月27日)

ジョージ・バーナード・ショー - Wikipedia

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856年7月26日 - 1950年11月2日)

 1840年に死んだ人の公演を、1856年に生まれた人が聴くのは、どう考えても無理。
 これは多分、バーナード・ショーが別の音楽家に対しておこなったことだと思いますが、そこまでは調べられなかったのでした。
 次は、これです。p113

 物語というのは、野田高梧(小津映画のシナリオライター)の分析によれば36通りの基本パターンに還元されてしまい、あとは全部その変形にすぎないわけですよね。主人公が違っても同じテーマのリメイクなわけで。娯楽モノ=リメイクであると言っても過言ではない。

 それに近いことを最初に言ったのは、野田高梧ではなく別の誰かなのでは、という話。
Article:ポンティ分類法(+α)によるシナリオ構築

ポンティというフランス人が、ストーリーの根幹をなすパターンを36に分類したものを「シチュエーション36の分類」として著しています。これは劇作家のために作られたのですが、桐生茂氏の「シナリオメイキングガイド/新紀元社」や、野田高梧氏の「シナリオ構築論/宝文社」でも引用されているように、一般のストーリーにも充分に通用する分類法です。

 しかしみんな、名前間違えすぎです。
野田高悟 - Google 検索
 で、この「ポンティ」も多分間違ってる。
How to Make Scenario: Dramatic Situations

参考文献 [シナリオハンドブック] には、ジョルジュ・ポンティ(ポルティという記述も有り、私にはどちらが正しいのか分かりません)という人がまとめた「ドラマティックなシチュエーション36の分類」というものが紹介されています。まずはそれを見てみましょう

 お前ら少しは調べろよ〜。
36 situations dramatiques - Wikipedia

36 situations dramatiques est le nom d’une theorie (ainsi que d’un livre) proposee en 1916 par le francais Georges Polti (ne en 1868) selon laquelle il existe, pour tout type de scenario, 36 situations dramatiques de base. Les travaux de Polti sont inspires de ceux de l’Italien Carlo Gozzi (1720-1806) et de l’Allemand Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832).

 フランス語はさっぱりなんですが、「Georges Polti」は多分「ジョルジュ・ポルティ」と読むんじゃないかな、ぐらいの想像はつきます。
Georges Polti - Wikipedia, the free encyclopedia

Georges Polti (sometimes George Polti) was a French writer from the mid-19th century (born in 1868).

 19世紀末〜20世紀はじめの人なので、野田高梧氏よりも古いことは確か。
 ついでに、野田高梧『シナリオ構築論』という本もなさそうです。もうカンニンしてください。
おはなしこんにちは 番外編・シェイクスピア36分類は本当か

そういう本もあるのだろうか。シナリオ構造論/宝文館なら実在する

 で、最も重要な指摘。「ジョルジュ・ポルティ」の「ドラマティックなシチュエーション36の分類」をご覧になればお分かりの通り、
おはなしこんにちは 番外編・シェイクスピア36分類は本当か

ごらんの通り、どう考えても「物語の種類」ではありません。あくまでもシチュエーションであり、物語とはこれらの局面にからんで、物事が因果関係で結ばれて構築されたものです。

 という話。
 どうも「物語」を「36通りの基本パターン」に「分析」した人というのがいるかどうか、よく分からなくなりました。
 まぁとりあえず、野田高梧『シナリオ構造論』その他、野田高梧氏の著作物をひと通り読んでみないといけないわけですが。
 次に行きます。p195

 中国の歴史書で『蜀碧』という本があるんですが、蜀の国を黄献中という盗賊が一時乗っ取った話なんです。普通は国を乗っ取ると、その国には善政を敷いて、国民に信頼されたところでよその国を侵略するんだけど、この黄献中がユニークなのは蜀の国の人間を殺して殺して殺し尽くすんです。他の国の人間に自分の国の人間を殺されるのなら、自分が殺してしまおうと。これを初めて読んだときに思い出したのが古いSFファンのことで(笑)、何かを徹底して好きだというときに、破壊衝動が生まれるわけですよ。

 これはもう、どこからつっこんだらいいのか…。まず、中国の歴史書に「黄献中」という名前の人物がいる、ということは確認できませんでした。
 『蜀碧』という本に出てくるのは「張献忠」という人みたいなんですね。(追記:『蜀碧』のほう確認したので「多分」とか類推・憶測の語は削除してもいいんですが、一応残しておきます)
蜀碧 彭遵泗=著  松枝茂夫=訳 復刊リクエスト投票

明王朝末期の中国・四川地方の混乱を描いた歴史書
17世紀に四川を支配した、国史上1・2を争う殺人鬼といわれる張献忠の行状が詳細に記録されている。

張献忠は17世紀中頃に蜀(現在の四川省)の地を支配した反乱軍「流賊」の長で、戦況が劣勢に陥るや「四川の人間はまだ絶滅しておらんのか。わしがこれを滅ぼす。1人たりとも他人には渡さんぞ」と宣言し、蜀の住民・役人・さらには自軍の兵士・果ては自分の妻や息子に至るまで大量の人間を殺戮したといわれている。

本書「蜀碧」には
・出勤してきた役人の列の中に数10頭の犬をけしかけ、犬が臭いを嗅いだ者を引きずりたして惨殺した。
科挙の会場の門の高さ1メートル20センチほどのところに縄を張り、受験生に「真っ直ぐ立ったまま歩いてこの縄をくぐれ」と命令。くぐれなかった者はすべて処刑され、1万人いた受験生のうち生き残ったのは幼い子供2人だけだった
・ある日「今日は誰も殺す者がおらんのか」と言い出し、部下に命じて自分の妻や妾・1人息子を殺害してしまったがなんと翌日にはそのことを忘れてしまい、彼らのことを探し回った。そこで部下が前日、張献忠の命令で殺害したことを伝えると今度は「なぜ止めてくれなかったのだ」と怒りだし、数100人もの家臣を処刑した
・気に入った人間が現われると部下に命じて殺し、その首を長持に入れておいた。酒の相手がいなくて寂しいときには長持から取り出した首を相手に宴会を開いた。

など、張献忠が行ったとされる、にわかには信じ難い虐殺の逸話が多数収められている。

日本の評判 日本の核武装を懸念するアメリカ

中国語版ウィキペディア「張献忠」から。
 
順治三年(1646)張献忠が成都を退出するとき、絶望のあまり、四川で空前の焼殺破壊を行った。40万の人口があった成都にわずか20戸の居民しか残らなかった。天府の国四川は壊滅的な破壊を被り、人口は少なくとも300万から一度はわずか8万人にまで激減した。

 うわぁ、なんかすごいです、この人。ポルポト越えてるよ(もしこの記述が本当なら。でも中国だからよく分からない)。
張献忠 - Google 検索
 あと、「蜀の国」を「乗っ取った」というのも(多分)間違い。明末に「蜀」という国を興した(僭主・皇帝になった)が多分正しい記述だと思います。(追記:興した「国」は「大西」なのでは、という指摘あり→http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20070804/p1 どうもありがとうございます)
 まとめると、
1・ニコロ・パガニーニの公演をジョージ・バーナード・ショーが聴くのは多分絶対に無理
2・物語について36の何かを最初に言ったのは野田高梧じゃなくて多分ジョルジュ・ポルティ
3・その「何か」は物語の「基本パターン」じゃなくて多分「ドラマティックなシチュエーション
4・『蜀碧』という歴史書に出てくるのは「黄献中」じゃなくて多分「張献忠
5・張献忠は国を乗っ取ったんじゃなくて多分国を興した
 しかしこれらのことを正確に確認するためには、読まなければいけない本がけっこう多くて難儀なのでした。
 ぶっちゃけ言うとですね、たとえば本や映画、アニメなどに関して「つまらない」「面白い」「分からない」というのは、これはもう個人の感想で何を言おうと勝手だと思います。しかし、間違った情報の、声の大きい人による伝聞、というのはもう本当に、カンニンしてください、なのです。
 みんなも『オタク論!』を読んでその手の何かを探してみてください。
 ぼくはグーグル先生ウィキペディアを使って、15分ぐらい検索しただけで以上のことが調べられました。
『オタク論!』(唐沢俊一/著 岡田斗司夫/著/創出版/1,575円)アフィリエイトつき)
(追記)
『オタク論!』は別に、普通に面白い本でした。伊藤剛テヅカ・イズ・デッド』に少しこだわりすぎな気もするんですが…。
 
 これは以下の日記に少し続きます。
中国の虐殺王・張献忠について(『蜀碧』より)
 
 またこの話は以下の日記にも、さらに少しだけ続きます。
書店のサブカル棚は去年の4月から、毎日百店単位でなくなっているらしい