日本語の書きかたについて
以下の本を読んでいたら、
- 作者: 高島俊男
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/06
- メディア: 文庫
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第一高等中学校時代の夏やすみ、友人たちと房総を旅行した夏目漱石が帰京後、郷里松山で静養する級友正岡子規に宛ててつづった漢文紀行。題して『木屑録』という。「漢文」であるがゆえにあまり知られなかったこの作品の諧謔にみちた味わいを、軽妙自在な名訳であきらかにし、子規との若き日の交友や日本人の「漢文」観にも説きおよぶ興趣つきない一冊。
日本語の表記について、以下のようなことが書かれていて興味ぶかかった。
わたしはかねてから、和語(本来の日本語)はできるだけかなで書くべきだとおもっている。実際、平生から文章を書く際にはそのことをこころがけているが、この本では、それをいちだんとおしすすめて、固有名詞および引用箇所以外の和語は原則としてかなで書くこととした。というのは、主題である木屑録が漢字ばかりなのであるから、それについて書く文章もいきおい感じがおおくなる。そのうえ和語までも漢字で書いたのでは、紙面が漢字だらけでまっくろになってしまうだろう。それで、本文部分では、和語はかなで書くこととしたのである。
ただし、例外がいくつかある。
まず、日づけ、人数などのかずをあらわす語は、和語であっても漢字をもちいた。「九月九日」「友人四人と」などである。
つぎに、一音の名詞、「目」「手」「日」「名」などは漢字で書いた。これは、かなで書くと前後の文のなかに埋没してしまうからである。
また、語幹が一音である動詞のうちのあるもの、「見る」「書く」「知る」「死ぬ」なども漢字とした。理由は右に同じである。
さらに、東、西、南、北と、春、夏、秋、冬、それに、右、左、男、女、石、岩、海、鳥なども漢字をもちいた。
なるほど。
ということで、さっそくぼくもまねしてみるのです。まえよりもさらにひらがながおおくなって、これはこれで読みにくいか。
文章的には、浅倉久志氏の翻訳テキストみたいになると自分ではおもった。
『つぎの岩につづく』(R.A.ラファティ)とか。
これはさすがに『つぎのいわにつづく』ではまずいだろうけど、『次の岩に続く』ではないのが浅倉流でしょうか。
ぼくが以前から表記として意図的につかっているのは「漫画」という表記ぐらいですね。これは「まんが」でも「マンガ」でもなくて「漫画」に統一している。でも手塚治虫は「マンガ」派なんだよな。カタカナで書くほうがあたらしい時代の創作物というイメージがあったんでしょうね、たぶん。
なお、日記のなまえも「愛・蔵太のすこししらべて書く日記」にしてみました。
ページデザインも「monotone-flower」というのにしてみたよ。