「ハチミツ入りマヨネーズ認めて」、愛好者ら申し入れ(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20030508i512.htm
マヨネーズの原料基準は、5年ごとに見直されるそうです。
新型肺炎:死亡率は14〜15% WHOが大幅に上方修正(毎日新聞)
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20030508k0000e040013002c.html
「65歳以上は50%」という数字に腰を抜かした。もっとあがりそうな気もする。
原人の町看板外す 宮城・築館町 石器ねつ造で遺跡登録抹消(河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2003/05/20030508t13025.htm
原人ラーメン、原人パイなどは存続するようです。
食べて元気に きょうゴーヤーの日(琉球新報)
http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2003/2003_05/030508b.html
5月8日だから。1本58円の特別価格は安いような気がする。
スタージョンの法則
↓こんなのにリンクしたり。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0305a.html#p030508a
例の「何でも90%はクズだ」という法則なんだが。
スタージョンがどういう意味でその言葉を言ったか、を考えないといけないんですな。また、どういう場でそう言ったのかも。
俺自身は未調査なのでくわしいことは語れないのだが、それを理解するのに2つのことを知っていなければいけない。まず、彼はそれを、SF大会のようなSFのファンが集まっている場の講演で言ったこと(どういう場なのか、ってのが未調査です)、そしてスタージョンはどのような作家であるか、ということ。
彼はどうやら最初に「みなさん、SFの90%はクズなんです」と言い、次に「なんでも90%はクズなんです」と言ったらしい。
ここで強調しなければいけないのは、その後にあえて彼が言わなかった言葉だ。それは、「にもかかわらず私とここに集まっているみんなはSFが好きだし、私はクズだらけの世界が好きだ」ということなんですね。
それは、SFが好きでスタージョンを読んだことがある人間なら、ほぼ常識だと思う。あのスタージョンが、「世界は(ほとんど)クズだ」という言葉を、世界に対する愛のない形で口にするほど、この、彼が生きている世界を嫌っていたわけがない(たとえクズだらけだとしても)。俺は、この「法則」を口にする人間が、たとえばあるジャンルのある作品や作家を馬鹿にしたり貶めたりするために使っているのを見るのはつらい。
どうか、もしできるならあなたが、世界の何か(たとえば、クズSFとか)に接して「ああ、これはクズだなぁ」と思い、さらに「何でも90%はクズだから仕方がない」と感じたとしても、その何かに対して「しかし、にもかかわらず俺はこれが好きだ。そしてそれが存在する世界・宇宙そのものが好きだ」とつぶやけるだけの強さを持って欲しい。多分それがスタージョンの本当の気持ちなんだから。
↓その起源に関してはこんなのもありましたが
http://www2s.biglobe.ne.jp/~s-narita/bbs1/12469482421875.html
多分日本で一番最初に商業誌でこの法則に触れたのはS・Fマガジン(早川書房の雑誌)中の連載コラム「SFスキャナー(マガジン走査線の時代だったかも)」の伊藤典夫。1960年代後半ぐらいでしたか。同人誌レベルではもっと古いのもあるので、賢者の言及を待ちたいです。リンク先と伊藤典夫のやった「法則」の紹介とは微妙に違うんだけど、資料が見当たらない。
いつか来た道
ついでなので、別の形で「歪められ・貶められ・卑しめられているフレーズ」も挙げておこう。左翼系市民団体やプロ市民が、日本の軍国化に反対するときに、「このままでは日本はまた、いつか来た道をたどることになります」なんて言うでしょ。そういう奴らに、北原白秋の元の詩を見せてあげたい。ちなみに元詩のタイトルは「この道」で、たとえば以下のサイトにありますが
http://hokkaido.yomiuri.co.jp/youyomi/sat/s_021214.htm
引用するとこんな感じ。
どうですか、これ? この詩の主人公がたどる「いつか来た道」は戦争と関係ありますか? だいたい日本耽美派・新浪漫派の巨匠詩人が、反戦とか俗っぽいことを詩にするわけがありません。俺の解釈では(多分誰の解釈でも)幼いころの郷愁・思い出を歌った美しい、美しいだけの歌です。英語なら「カントリー・ロード」が、意味的に重なるんですが。
この道は いつか来た道/ああ そうだよ/あかしやの花が咲いてる
あの丘は いつか見た丘/ああ そうだよ/ほら 白い時計台だよ
この道は いつか来た道/ああ そうだよ/お母様と馬車で行ったよ
あの雲は いつか見た雲/ああ そうだよ/山査子(さんざし)の枝も垂れてる
いったいどこの誰が、「いつか来た道」を反戦フレーズに使うことを考えたんだろうか。そいつの正体をつきとめ、白秋のこの詩を本来の意味に復帰させるまで、自分に可能なことがあったら出来るだけのことをしたいと思うぐらいです。