朝日新聞に勤務している記者さんの楽しいブログ

↓こんなところ
しがない記者日記
あちこち友人・知人関係のサイトをチェックすると、本名とか勤務先もわかるみたいなんですが、さすがにそれの公開は別の場所にまかせたいと思います。
過去に書いたテキストは、面白いのはほとんど消してしまったみたいですが、以下の奴などは改めて「朝日新聞の記者が書いたにしてはうまくトボけてるな」と少し感心しました。
http://blog.goo.ne.jp/okumagoro/e/22476fef556c54f2d123332b60610d01
http://66.102.7.104/search?q=cache:fXJ8sdZnh-sJ:blog.goo.ne.jp/okumagoro/e/22476fef556c54f2d123332b60610d01+%EF%BC%AE%EF%BC%A8%EF%BC%AB%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E4%BD%93%E8%B3%AA&hl=ja(キャッシュ)

NHKの権力体質 Weblog / 2005-01-23 00:22:19

 NHKと朝日新聞がやりあっている。というより、明らかにNHKがひどい。。
 番組を流す前に政治家に見せて意見を求めたら、それはもう検閲でしかない。
 見せることを求める安倍や中川という政治家のひどさはもちろんだが、検閲させることを何とも思わないNHKの体質は、もはやジャーナリズムではない。
 心ある人は、この問題でこそ受信料を拒否するべきだろう。
 NHKが朝日に突きつけた公開質問状がまた噴飯物だった。
 「断りもなく録音していたとしたら、取材倫理にもとるのではないか」だって。これこそ論理のすりかえでしかない。身分を偽って精神病院への潜入ルポをした記者は「取材倫理にもとる」のか、トヨタの自動車工場の実態を暴いた鎌田慧のルポは卑怯なのか。
 たぶんNHKはすでに、権力と丁々発止をするような取材をあきらめてしまっているのだろう。それならば、「正々堂々」とした、知恵も工夫もない取材ですますことができる。
 「無許可の録音は取材倫理にもとる」なんて主張が一般受けしてしまうことが、実は一番こわい。それを言うなら、金融機関のみならず繁華街に氾濫する監視カメラは全部のけてもらわなければならないはずだ。
 「無許可録音の取材はダメ」という風潮を促すNHKの態度は、ジャーナリズムの存立基盤さえも掘り崩すものだ。
 わかってるんだろうか? あるいは確信犯的に、安倍らが目指す新右翼的国家づくりを支えようとしているのだろうか。

↓で、それに対する以下のコメントに、

Unknown
(たなb)

2005-01-23 12:08:05

通りすがりで恐縮です。
できれば、朝日の捏造の可能性とそれに対するご意見も記者の立場から拝聴できればと思います。

よろしくお願いいたします。

↓こんなコメントを返したりするとぼけっぷり

完璧な「捏造」って可能性はゼロと考えて良いと思います。
朝日にしろ産経にしろ、事実を意識的に完璧にねじ曲げて記事にすることはあり得ません。
都合のいい事実だけを取り上げて、結果的に「捏造」に近いものになる、というパターンは散見しますが。
今回の場合は最低限、番組放映前に安倍らとNHK幹部が会ったことと、
その場で番組についての話が出たことは事実でしょう。
報道の内容を事前に一方の側に見せること事態、立派な「検閲」です。
今回の場合、世論はともかく論理的にはNHKの完敗です。
朝日の誤りがあったとすれば、
「(政治家の言葉が)まったく影響しなかった、とは言えないけど」みたいな証言を、
「政治がの圧力があった、と認めた」などと断言調で書いた、というくらいなレベルだと思います。

あんまり社畜な人とも思えないテキストがブログ「しがない記者日記」内では多い(多かった)記者ですが、やはり社内の人間に読まれたら問題になりそうな言及のしかたではなく(隠れ社畜系?)、朝日新聞擁護しているという感じです。最初から「立場上朝日新聞に与するような書きかたしかできませんが」とでも断ってからやれば、ここまで「何だかなぁ」感はなかったのですが。
しかし、「報道の内容を事前に一方の側に見せ」ていたというのは、朝日新聞の第一報でも確認されていない事項だったと思います。
↓この記者の人は、以下のようにまだ言っているみたいですが、
しがない記者日記:ページはやめませんよ

マナーもへったくれもありませんねえ。
誹謗中傷くらいならまだしも、
他人のプライバシーを暴くようなコメントを載せて、
迷惑を受けた人がいたから削らざるを得ないって言ったでしょ?
それをコメント欄に再掲してどうすんの?
「右翼の連中はしつこくて怖いから、1時間ごとにコメントのページをチェックできないなら閉鎖したほうがいいよ」とまた注意されました。
「1個1個削ればいい」ってことですが、1日中パソコンに向かってる時間はありません。
コメントは載せられませんが、このページはやめませんよ。

会社の人にやめろ、と業務命令されてもやめないか、とても(社畜観察的に)興味を持ちました。まぁ、時事とか自社の新聞記事に言及したりしなければ大丈夫かな。

(少し古い)『インドから見た大英帝国 キプリングを手がかりに』『本はこうして選ぶ買う』『史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック』

trcの新刊情報案内にもとづく、本日の読みたい本・おすすめ版。どんな内容の本かに関しては、リンク(「」印のところ)をクリックすると分かると思います。本の注文は、trcの関連会社ってことで、bk1(http://www.bk1.co.jp)をご利用してあげてください。【→bk1というところをクリックすると、簡単に該当する書物がオンライン注文できます。


『インドから見た大英帝国 キプリングを手がかりに』(北原靖明/昭和堂/5000円)【→bk1】【→amazon
20世紀への転換期、アングロ・インディアンと呼ばれ、インドで生きるイギリス人たちがいた。本国と植民地の狭間で揺れる彼らを、その一人であるラドヤード・キプリングを中心にひもといていく。


『本はこうして選ぶ買う』(谷沢永一/東洋経済新報社/1400円)【→bk1】【→amazon
「良書」と「愚書」をどう見分けるのか。新刊書店における心得、古本屋での作法、読書勘の養いかた等、当代きっての読書人が、半生の苦心と努力を綴った書き下ろし―。

『史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック』(アルフレッド・W.クロスビー/みすず書房/3800円)【→bk1】【→amazon
少なく見積もっても2500万人以上の死者を出したといわれる、1918‐1919年のインフルエンザ(通称「スペインかぜ」)。本書は社会・政治・医学史にまたがるこの史上最大規模の疫禍の全貌を初めて明らかにした感染症学・疫病史研究の必読書であり、アメリカでは1976年から現在まで版を重ね続けている。この中で著者は、世界情勢と流行拡大の関連のようなマクロな事象から一兵卒の病床の様子まで、当時の記録を丹念に掘り起こす。特に大都市での流行(第六章、第七章に詳説)が「グランギニョール的カオス」に至る様は、読者のこの病への畏怖を新たにさせずにはいられない。しかしインフルエンザの真の恐ろしさは、罹患者数の莫大さによって実はけっして少なくない死者数が覆い隠され、「みんなが罹り誰も死なない」病として軽んじられることにあると著者は警告する。もしウイルスが例年以上に感染力や毒性の激烈なものへと悪性化したら?実際、インフルエンザのパンデミック(汎世界的大流行)は大震災に似て、人類の歴史上数十年の間隔を置いて繰り返しているという。来るべきパンデミックに備え、改めて史上最悪のインフルエンザの記憶をたどり、社会あるいは個人レベルの危機管理の問題点を洗い直すために本書は欠かせない。