朝日新聞「声」担当者の怠惰

↓2003年6月28日・朝日新聞「声」欄より(「今月の投書から」という記者のコーナー)


 今月の歴史特集では「『大学合格通知10日後に赤紙』が届くことはあり得ないのだが」と赤紙に対する誤解を専門家から指摘されました。「読者の記憶」も細部ではあいまいになっているようです。
いやだからそれは読者の記憶の問題ではなくて、そういう投書を掲載した担当者(声編集長・伊藤卓郎氏)の問題だと思うんですが。何つうか、記者の基本というのは「情報操作」じゃなくて「真実を伝える」ことだという自覚が、読者投稿欄の担当者にあれば、そのような「あいまいな(悪意に解釈すれば、捏造の)」投書などは、掲載前以前にボツにしたり、書き直しを要求したりすることもできたろうし。新聞の記事に対する信頼度を損ねているという意味で、朝日の上層部は、「事実関係からみてあり得ないような記事」を紙面に掲載した記者に対しては、酔っぱらい運転に匹敵するぐらいの処分を考えてもいいのでは、と思いました。しかしそのあと、

この歴史特集は8月7日に朝日新聞社から出版されます。
というCMつき。うーん、本にまとめる前に、かなり専門家の指摘を参考にしたほうがいいのでは…。
新聞記者というのは、人に会って話を聞くのが基本的な仕事なせいか、「関係者の証言」に対する信頼の度合いが高いみたいに思えます。「人は自分の体験について語る場合は嘘を言うはずがない」という人間性善説というか。世間一般の人間は多分そうだとは俺も思うし、思いたいんですが、「○○は悪いこと」だという、イデオロギー的な部分を強調したい気分のときや、そういう主義な人の証言だったりする場合もあるので、新聞記者が関係者の証言を取り扱う場合は、警察や検察が容疑者・証人の証言を疑うぐらいに疑ってみることが必要なのでは、と思います。たとえば「○○という制度が私の人権を侵害しました」という証言があった場合は、「人権が侵害されるとはけしからん」と怒る以前に、本当にそのようなことがあったのかという、事実の確認は正直言って義務でしょう。デマを流布させることが新聞の義務だと思っている記者だったら別かもしれませんが。